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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

file.no-81 『黄金太閤』

2007-11-25 22:09:52 | 書籍
冷酷な下克上の人だったのか、亡君の夢を継いだ情の人だったのか。
戦国の末、華麗な黄金文化を創出した豊臣秀吉について書かれた本が今回のレヴューです。

黄金太閤 夢を演じた天下人
  山室恭子  中公新書  1992年


豊臣秀吉は、その大坂城にしろ、もろもろの政策にしろ、とかく派手好き祭り好き…そんな印象が強い。
しかし、彼の行動を追い、考察してみると、彼は政権を維持するために、かくも派手な行動を「演じ」続けていたのでは…そう提唱するのが、本書である。

哀れな道化。
一からの成り上り。妻・おねの「木下家」の格を手に入れて、のち羽柴家を創出し、公家の養子となり、さらには豊臣の姓を下賜され…。
織田信長の葬儀から始まる、その華麗な催事のすべて…。
すべては、庶民へのアピール。
あの、海を渡った「朝鮮出兵」すら、彼にとってはアピールの一つにしか過ぎなかった。

アピール、と馬鹿に出来ない。未曾有の出兵にしろ、壮大な儀式にしろ、京の民、日の本の民、諸公家、大名家の目の前に突き付けることのできる「力」であるから。
諸侯を率いての、九州・奥州・朝鮮征討。巨大な大坂築城。莫大な費用を要する、その壮挙を豊臣秀吉のみが為し得るということを、当時の人々に十分見せつけたことだろう。
すべての富を集める、まさしく「黄金王」のそれではないだろうか。

しかし、後世からみるなら、それを演じ続けねばならなかった、彼の姿には一種の哀れみすら覚える。
いつもなにかを見せつけ続けねばならぬ、その姿。
「黄金王」を演じ続けねばならぬ、その姿。

中国唐代の女帝・武則天も、同様である。唐帝国の先帝たちが造り得なかった、聖天子の政庁たる『明堂』。建物の規模ではそれを上回る、神々を祀る聖堂たる『天堂』。
天地を祀る封禪の儀、京帥での壮大な法会も想起する。
武則天も、史上先例のない巨大な建築物やセレモニーを以て、自身を人々にアピールし続けた。

豊臣も、武則天も、身一つで頂点まで上り詰めたが故に、庶民を味方にしようと動き続けたのかもしれない。
しかし、結局は、両者ともその栄耀は一代で終わったのも、あわれなるかな。
豊臣の辞世の句…いささか芝居じみてはいるけれども…まさしく、

 “つゆとおち つゆときえにし わかみかな
                なにわの事も ゆめの 又 ゆめ”。
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