今多コンツェルンの広報室に勤める杉村三郎は、義父でありコンツェルンの会長でもある今多義親から
ある依頼を受けた。それは、会長の専属運転手だった梶田信夫の2人の娘たちが、父親について本を書きたいから
相談に乗ってほしい、というものだった。梶田は、8月のある日、石川町のマンションの前で自転車にはねられ、
頭を打って死亡していた。姉妹からの依頼を受けて、杉村は梶田の過去について調査をはじめるが…
杉村三郎シリーズ「誰か」「名もなき毒」は、どちらも発表されてすぐに読んだ記憶があるのですが、どちらも
読後感があまりよくありませんでした。しかし「ステップファザーステップ」「パーフェクトブルー」につづき、
TBSが懲りずに宮部作品をドラマすると聞いたので、「じゃあちょっと読み直すか」と思い、久しぶりにこの
「誰か」を手に取りました。いや、しぶしぶ読むくらいなら読まなきゃいいとは自分でも思うんですが、主演が
小泉幸太郎なので、ドラマが始まったらうちの母親から「最後どうなるの?」「犯人は?」「なんで?どうして?」と
質問攻めにされること請け合いなので、一応復讐しておこうかと思って…。
というわけで、ここから先はがっつりネタバレしてますので、ご注意ください。
恥ずかしながら、読み始めてすぐのときは、内容を思い出せませんでした。何年も前に読んだ本だからというのも
あるんですが、単に私が宮部作品を読みすぎてて(除くファンタジー)、頭の中でいろんな話がごっちゃに
なってるからだと思います。
ただひとつ、覚えていたことはありました。それは、この作品には
宮部さん大好物の小学校高学年から中学3年生くらいまでの少年が出てこない
ということ。いや、これは珍しいことですよ。マジで。短編とかならともかく、これだけの長編で。
これだけでも「おお!宮部さん新境地か!!」と衝撃を受けましたもの。
さて、宮部ファンなら当然のお約束話はこれまでにして、小説の感想です。
読み始めてすぐのとき、内容の詳細を思い出せませんでしたが、最初にこの本を読んだ時のイヤ~な気分は覚えてました。
で、そのイヤ~な気分の原因はなんなのか。それは、梶田姉妹が登場したときにぼこっと思い出しました。
あとは、自分の記憶を掘り起こして再確認しながら、最後まで読み終えました。
小説のはじまりは、梶田信夫を自転車ではねた人物は誰なのか、その犯人探しがメインテーマであるかのようでした。
しかし、実際はそうではなく、梶田の長女・聡美が幼いころの恐ろしい記憶の真実と、その記憶を巡る次女・梨子との
どうしようもない姉妹の確執こそが、この小説のメインテーマでした。
以前読んだときに私の読後感がイヤ~な感じだったのは、この姉妹の確執が原因でした。
なんか「姉の婚約者は妹と浮気してた」ってのが、昼ドラ(今だったら2ちゃんねるの修羅場板?)みたいで、ねぇ…。
妹の梨子の
「トシ(婚約者のこと。この呼び方が既にヤバい)は姉さんなんかより私のほうを愛してるのよ!」
なんて脳内がお花畑満開セリフは痛いわ寒いわ腹が立つわで不快だし、姉の聡美が妹と婚約者の関係をつきとめた杉村に
「見て見ぬふりをするつもりだったのに!余計な事をして!」
とキレる相手を間違えてるのにもイライラしました。そして、さすが姉妹というか、聡美と梨子の杉村への捨て台詞はともに
“あなた(杉村のこと)みたいな恵まれてる人に私の気持ちがわかるものか”
でした。まったく正反対の性格のように見えても、こういうところは似るんですね。それとも切羽詰まった人間なら誰でも、
杉村のように経済的に恵まれている人間に対して卑屈な、歪んだ気持ちを持ってしまうのでしょうか。
そして、今回再読して読み終えたときも、モヤモヤとすっきりしない気持ちになりました。でもそれは梶田姉妹に対する
ものではなく、杉村のとった行動に対してでした。どうして杉村は、聡美の幼い頃の記憶の真相を、姉妹に伝えなかったのか。
聡美が感じた恐怖を否定することで聡美を見下し、両親との美しい思い出だけを胸に、姉の婚約者が真に愛してるのは
自分だと思い込み、自分にとって都合のいい世界に閉じこもっている梨子。幼い頃の記憶から逃れられず、自分に自信が
持てず、目を閉じ耳をふさいでうずくまるだけで、恐怖や不安と立ち向かおうとしない聡美。伝え方やタイミングが
難しかったとしても、杉村は彼女たちに「真実」を伝えるべきだったのではないかと思います。姉妹の関係を変えるには、
2人がそれぞれの幸せに向かって変わるには、「真実」を知る必要があったのではないでしょうか。ありもしない幸福や、
ありもしない恐怖の存在を信じ込むよりは。
タイトルの「誰か」は、聡美の幼い頃の記憶の真実に迫る場面に出てくる
だから、人は一人では生きていけない。どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。
からきているのではないかと思いますが、人は「自分以外の誰か」が必要だけれど、同時に「自分以外の誰か」によって
傷ついたり、苦しんだりもします。時として、それら二つの「自分以外の誰か」が、同一人物になることもあります。
杉村が最も大切にしている人たちは、杉村を最も苦しめてもいるのだから。そういった矛盾を、宮部さんはタイトルに
混めたのではないでしょうか。
「誰か」を読んだので次に読むのは「名もなき毒」ですが、こちらは「誰か」以上に読むのをためらっています。
宿題じゃないんだから読まなくてもいいとは思うんですが、ここまでくると気になって…。
月曜8時ってNHKのツルベさんの番組と重なるのよねぇ。。。
宮部さん大好物の少年…もしかして、その成長した姿が、杉村三郎ってことなのかな~と、原作読んだ時にちょっと思ったりしたのですが。
大河ドラマで評判を取った「最後の将軍」小泉クンの現代ドラマちょっと見てみたい気もするけど、たぶん毎週視聴はムリかも。
ご無沙汰していますが、ブログはいつも拝見しています。
こんばんは~。
>「懲りずに」っていうのが笑えました。
いや、マジで「まだ懲りてないのか」って思いましたもの。
新聞の番組紹介なんかを読んだ感じだと、原作の設定をいろいろいじってるみたいですが、どうなることやら…。
>宮部さん大好物の少年…もしかして、その成長した姿が、杉村三郎ってことなのかな~と、原作読んだ時にちょっと思ったりしたのですが。
ああ、なるほど!
あのものわかりのいい聡明で善良な少年たちが成長するとこうなるのか!納得です。
だから杉村三郎って一見幸福そうだけどどこか影があるというか、無理してとりつくろってる感じがするんですかね。
小泉孝太郎は慶喜役で新境地を開いた感じですが、このドラマでは従来の好青年のイメージみたいですね。
ちょっともったいないような。
ブログを読んでくださってありがとうございます。つたない文章ですがこれからもがんばります。
タイトルの意味を考えようとネットで検索して、このブログに行きつきました。
>タイトルの「誰か」は、聡美の幼い頃の記憶の真実に迫る場面に出てくる
>だから、人は一人では生きていけない。どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。
なるほどな、と思わされました。
僕は冒頭で引用されていた西條八十の詩から考えたのですが、やはり「誰か」は梶田聡美と密接に関わるだろうという点では同じ考えで、なんか不思議な感じがしました。
いきなり自分の思ったことばかり書いてしまって、申し訳ありません。
URLのところに、自分のブログのそれを貼らせてもらいました。もし気が向くようでしたら、見ていただけると嬉しいです。
はじめまして。
冒頭に出てくる西条八十の詩は、いろんな解釈ができそうですね。
「暗い、暗い」と言っている「誰か」というのは、凝り固まった主観に振り回されている聡美と梨子の両方にあてはまりそうです。
コメントありがとうございました。
復讐…誤字かと思いますがある意味笑っちゃいました。
こんばんは。お返事が遅くなりましてどうもすみません。
>復讐…誤字かと思いますがある意味笑っちゃいました。
あら。変換ミスですが、自分でも可笑しいのでこのままにしておきますね。