遊戯雑談

問題だと感じた事を綴ります。

淡路恵子さん 錦之介さんと同じ霊園に

2014年01月14日 12時24分07秒 | 日記
http://www.daily.co.jp/gossip/2014/01/13/0006633348.shtml

・・・東京・池袋の仙行寺は日蓮宗だそうで。
 日蓮宗といえば、癌になるというし。

 愚生の母方の祖母も本屋が日蓮宗法華同心協会だったようだけど、癌で亡くなっているから。
 日蓮宗は怖い。
 伯父も何故か身延山の日蓮宗を訪れられておられ、大腸癌にもなったけど、昨年、亡くなっている。


それぞれの宗旨の害毒の特徴

たとえば、浄土宗や浄土真宗などの「念仏信仰」の教えというのは、
「この現実社会は汚れた世の中であるから、この世に生きているうちは、苦しみがあってもしかたがない。しかし、西方極楽浄土の彼方に、阿弥陀仏の住む極楽浄土という世界がある。この阿弥陀仏にすがって、一心に阿弥陀仏の名(念仏)を唱えてさえいれば、死んでから極楽に行き、幸せになれる」
というものです。

こうした教えですから、これを信仰しますと、すぐに現実を逃避したがる、諦めの強い、退廃的で優柔不断な性格、生き方になってしまうのであります。

ことに浄土真宗などは、この教えを一歩進めて、
「念仏を称えて死ねば極楽に行けるのだから、いつ死んでも不安はない。いつでも死ねる明るい心(?)で生きることが大事である」
などと立てていますから、これを信仰する人は、何か問題にぶつかると、「死んでもいい、どうなってもいい」といって、破壊的な行動に走りがちです。また、こうした、破壊的で自暴自棄な心の故に、性格が非常に攻撃的でひねくれたものとなり、他人の粗を捜しては批判することが得意になるようです。

ともあれ、念仏信仰の教えに共通した特徴は、現実を逃避する厭世主義でありますから、これを熱心に信仰していくと、ついには自殺まで走る例が多く出てくるのであります。

次に、曹洞宗や臨済宗などの場合ですが、この教えは、端的にいって、
「座禅を組んでいる自分自身こそが、仏であり、絶対者である。したがって、もはや仏教典も不要である」
というものです。

これを信仰するならば、なるほど、自分の力だけで生きていく、という強さだけは身についてくるように見えますが、反面、迷いと苦しみの中にある自分をそのまま仏であるとする傲慢な教えでありますから、たいへん思い上がりが強くなり、自分が他の人々より勝っているかのような、また、全てを悟っているかのような、分を弁えぬ心が起きてきます。

そして、そのような心のために、他の人達と心から通じ合えない、相容れないことになって、自分自身が孤独になっていってしまうのであります。

また、「真言宗」の場合には、本来、仏教典はすべて釈尊が説いたものであるにも拘わらず、「大日経という経典は大日如来が説いたものである」
などという真っ赤な嘘を並べ、あげくは
「大日如来に比べれば、釈尊などは草履取りにも劣る」
といって、仏教を説いた教主たる釈尊を押し倒し、架空の大日如来を本尊に立てております。

この、虚飾に満ちた、本来の柱を倒すような教えを信仰いたしますと、個人においては、自ずから嘘と誇張の多い人間となり、また家においては、柱であるべき主人・長男が立たない―――つまり主人・長男が、早死にしたり、病弱だったり、精神障害でまともな生活が送れなかったり、という形が顕れてきて、そのぶん女性の気性が強くなったり、女系家族になっているという例が非常に多く見られます。

さらに、この教えが一国に弘まったときには、歴史上にみる承久の乱のように、下克上が起こって、国家・社会の柱が倒れるのであります。

なおまた、いわゆる「日蓮宗」に属する宗教においては、第二章でも述べたように、正当なる相伝を無視・歪曲して、勝手に宗旨を立てています。その説くところは、日蓮大聖人の教えであると称していながら、じつは、まったくの偽物でありますから、真実の教えに似せた分だけ、他の邪宗教より質が悪く、いわば、世人を迷わす邪宗の中の邪宗、最悪の邪宗教であります。

これを信仰いたしますと、そのつど、考えること、いうことが全く一変してしまう、というような精神の異常が顕れたり、頑迷で歪んだ人格が形成されたり、また、業病、不慮の災難、一家離散等々の、悲惨な現象が顕れてくることが、じつに多いのであります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 海外産はちみつご用心 花の... | トップ | 胎内記憶って本当にあるの? »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事