SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

『知見』東京・池袋での暴走事故 2019年(平成31年)4月19日 ~ 裁判開始 ~

2020-10-09 17:00:30 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)
◆東京・池袋で11人が死傷した暴走事故で、89歳の被告が「車に、異常が起きて暴走したと思っている」と述べ、無罪を主張した。旧通産省工業技術院の元院長という科学の目を持つ人の知見がせめて「思っている」以上の何事かであることを遺族のために願いたい。どんな主張も被告の権利である。だが責任を認めない態度は、遺族をなお傷つけながらの権利の行使になることを胸に刻んでいただきたい。



【読売新聞 編集手帳 令和2年(2020年)10月9日より】 
 記事の「読み上げ」を ぜひお聴きください。 


「知見」
<見て知ること>
という語釈にやや物足りなさを覚えた。

<物事に対してしっかり考える>
といった意味合いが最近強まったかのような気がしている。



あらためて
亡くなられた奥様とお子様のご冥福をお祈りいたします。



ご覧いただきありがとうございました。
【イラスト /みさきのイラスト素材】


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
科学にかかわるということ・・・・ (わくわくかあさん)
2020-10-09 22:09:43
こんばんは~
科学にかかわる人であればあるこそ、出てくる結果の予想(希望)によって、出てきた結果に私見を挟むこと許されない。予想(希望)どおりでなくても、結果をそのまま受け止めることが科学者たるものである。
尊敬する父がお酒を飲みながらよく話してくれました。
それだけ科学者でも(だからこそ)難しい事だったようです。

でも、特に工業技術の専門家であったと思われる方であればこそ、『思っている』以上の何事かであることを、私も同じように願いたいです。
返信する
コメントありがとうございます。 (光夫天)
2020-10-10 18:58:41
今回の新聞コラムで、被告ご本人の捉え方に疑問を感じています。そして、それ以上に、弁護側の「知見」に注目し続ける必要があるように思います。
わくわくかあさんが言われる「結果をそのまま受け止めることが科学者たるものである。」については、まさしくその通りであり、現在の大問題である日本学術会議への政府の人事介入の問題に通ずることでもあります。たいへん重要な事柄だと捉えております。
返信する

コメントを投稿