4月14日 快晴 朝から18℃
「天気晴朗なるも温高かるべし 」か・・
破裂を恐れて籠っても仕方ない残りの人生
楽しまなくてはね!
JRで散策に行ってみようと思い妻に話すと
途中の”山口フラワーランド”に行きたいと言う
もう・・・破裂考えてない妻
情に流されて仕方なく車で出かける
先ずは柳井市外へ
とことこ速度で”白壁の町並み観光駐車場”に到着
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目の前に緑の屋根の”パティスリー プルミエ(PREMIER)”さんも見えますな
ここから坂になった広い歩道のある道を下る
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やがて案内表示板に”白壁の街並み”と出てきた
左手には明治風のレトロな石造りの2階建ての建物が
ドーンと見えて来たので寄り道をしてみると
”柳井市街並み資料館”とあり
”街並みふれあい館” 二階は”松島詩子記念館”ともある
周防銀行本店として明治40年(1907年)に建築された
当時の銀行の重厚な姿を今日に伝える、日本でも数少ない建物の一つ。
設計者は、明治期の洋風建築を多く手がけた長野宇平治氏の高弟佐藤節雄氏で、
周防銀行はその後合併を重ね、最後の所有者の株式会社山口銀行から平成10年に
柳井市に寄贈されました。また、平成12年には国の登録有形文化財認定された。
当時の銀行の重厚な姿を今日に伝える、日本でも数少ない建物の一つ。
設計者は、明治期の洋風建築を多く手がけた長野宇平治氏の高弟佐藤節雄氏で、
周防銀行はその後合併を重ね、最後の所有者の株式会社山口銀行から平成10年に
柳井市に寄贈されました。また、平成12年には国の登録有形文化財認定された。
ともかくルートマップを手に入れなくてはと
妻が館内に入っていく
しばらくすると
妻
「無料で観光ガイドさんと散策されないか
と提案されてるのだけど、どうする?」
私
「エッ!ありがたい! 知識が広がり楽しいじゃないか!」
柳井観光 考えた事もなかった
そうゆう頭で有ったからスマホの案内で寂しいと思っていた
その矢先の出来事
「よろしくお願いします」と快諾のお返事を返した
館内はこのような美しい造りです
先ずは館の責任者らしい方の館内の説明から聞くことが出来た
にこやかな笑顔で楽しくスピーディーな説明を受けました
「ハートの中で撮影されませんか?」
照れながらハィ!と快諾
赤と青のペール缶に座りました
金魚提灯の奥に大きな金庫も見えてます
お金金魚も小さく見えてます
こちらの地区は繁盛していたので銀行も多かったようですよ
金魚提灯についても説明を受けてます
【江戸時代から明治にかけて、ロウソク屋を営んでいた熊谷林三郎という人が、
青森県弘前市の金魚ねぷたにヒントを得て「金魚ちょうちん」を
青森県弘前市の金魚ねぷたにヒントを得て「金魚ちょうちん」を
作り始めたと言われています。
林三郎の死後は、息子の定治が宮本の姓となり、看板屋を営みながら
林三郎の死後は、息子の定治が宮本の姓となり、看板屋を営みながら
「金魚ちょうちん」を作っていた。
そして定治の息子は小間物屋を営みました。
本町通りで洗張り業をしていた長和定二という人が、
そして定治の息子は小間物屋を営みました。
本町通りで洗張り業をしていた長和定二という人が、
宮本定治から作り方を習い、
第二次世界大戦頃まで「金魚ちょうちん」を作っていましたが、
その後は作らなくなり途絶えていました。
しかし、長和定二が昭和三十七年に他界される直前に、
第二次世界大戦頃まで「金魚ちょうちん」を作っていましたが、
その後は作らなくなり途絶えていました。
しかし、長和定二が昭和三十七年に他界される直前に、
文献により柳井に昔「金魚ちょうちん」というものがあったことを知った
周防大島町小松に住む上領芳宏さんが「金魚ちょうちん」を復活させました。
昭和三十七年七月のことです。】
周防大島町小松に住む上領芳宏さんが「金魚ちょうちん」を復活させました。
昭和三十七年七月のことです。】
「長~い説明お付き合いお疲れ様でした」
ありがとうございます!
続きまして、下の写真ご覧ください
右の白い水玉デザインが弘前・左が柳井デザイン
発祥は弘前と聞いて納得! ねぷた祭の歴史が有るものな
白い水玉の点は金魚が天然痘(疱瘡)?を食べてくれると
言われその魔除けの縁起の良いデザインと聞ききました
そうですよね!
当時も現在もワクチンしてないと大変怖い病気ですからね
弘前金魚デザインの話ほんと?
弘前金魚ねぷた
弘南鉄道株式会社 様のウエッブの画像を引用しています
弘前の桜情報もありますよ
弘前ねぷたは、1722(享保7)年に初めて文献に登場して以来、
様々な形のねぷたが時代を彩ってきた。
江戸時代、金魚は一部の上流階級の間でしか飼うことのできなかった
江戸時代、金魚は一部の上流階級の間でしか飼うことのできなかった
高級魚であった。
庶民は憧れを抱き、それをねぷたにして子供たちに祭りの時、
庶民は憧れを抱き、それをねぷたにして子供たちに祭りの時、
提灯のように持たせ練り歩いたとされる。
「金魚」はその名の通り金運をもたらし幸福を呼ぶ縁起物として
「金魚」はその名の通り金運をもたらし幸福を呼ぶ縁起物として
長きに亘り、廃れずに今現在も市民に親しまれている
馴染み深い工芸品である
と記録がありましたので引用させて頂きました
さてさてこの上の階
2階は柳井市出身で昭和の歌謡史を代表する歌手、
松島詩子の記念館になっている様です
代表曲「マロニエの木蔭」などのレコードやポスター、
愛用したピアノなどを見学できるようですが上がりませんでした
そうそう!この様な曲です
マロニエの木蔭
松島詩子
Provided to YouTube by King Records
Release - Topic
歌手の松島詩子さんの夫は 歌手の内海一郎さん
”道頓堀行進曲” でご存知ですね。
かなりガイドさんも手持ち無沙汰様ですが説明は続きます(笑)
ご存じ? ”お鐘金魚”
この不思議な形 ”お鐘金魚”と言うらしいのです
金の金魚の頭からコインを入れると
筒からチィィ~~ンと澄んだ金の音がします
これだけでも金運が上がった気がします
呼び鈴・カウンターベル・コールベルみたいな
濁ってますけど~(笑)
ここではコールベルに致しましょう
金運を呼ぶ (笑)
コインは下からてくるのでそれを
備え付けの紙「お鐘金魚幸運包み」に包んでお財布に入れるか
金魚のお守り袋に入れても持てば運気上昇気分!
お賽銭ではないので返ってくるのです 気分いいい!
”お願い金魚”を買い求められればパーフェクトです
気持ちです ハイ
前もって柳井の昔地図を見ておいてください
⇩
ホイール前後で拡縮
地図移動はカーソル左ボタン押して
吹き出しクリックで説明が開きます
さて、ガイドさんと散策開始です
ここでgoo blogの画像UPがリミットとなりました
残念ながら続きは次回とします
次回は
商家博物館むろやの園から白壁の町並みとします
お暇が有れば見においでください
破裂予備軍 爺ちゃん八海でした
では、また
すぐ疲れます・・・
弘前だけじゃなく青森ねぶた金魚もたくさん駅にブラブラ
実はねぶた祭りに参加した事がない私です
何でだろ?
ブログ書くのが目が疲れるので無理になってきたよ。
青森・弘前出目金ねぶたがあれば願掛けたいよ。
しかし昔弘前で疱瘡が流行ってたとは余りに悲しい
親も子も恐れの日々だったのかと思うと胸が痛い・・
コメント毎回ありがとうございます。