南門を出て、南関正街に入る。右手遠方に見えるのは、小雁塔である。市内で最も、唐代の面影を残しているという建物だ。左折して雁塔路に入り、4kほど行くと慈恩寺である。大雁塔は、この境内にある。
この辺一帯は、かつては城内にあり、城壁で囲まれていたそうだ。かつての長安城の巨大な規模に、驚かされる。
見上げる、西安の象徴でもある大雁塔。高さ64mで、四角七層の朽葉色の塔は、どっしりと構えて天に突き上げていた。各層には、アーチ型の窓がある。
この塔は、玄奘がインドから持ち帰った、大量のサンスクリット語経典や仏像などを保存するために、652年に建立された。当時は、インド様式の五層の塔だったが、修復を繰り返して現代のような姿になったのは明代である。
慈恩寺は、唐の第三代皇帝・高宗が、亡くなった母・文徳皇后への報恩のため、648年に建てられた仏教寺院である。隋末の戦乱で消失した廃寺を、再建したものという。
往時は、現在の敷地面積の7倍以上あったそうだ。最盛期には、300人ほどの僧侶が住んでいたというが、唐代末期の戦乱により焼失している。
シルクロードを通って、西域128ヵ国を巡って、インドで遊学を終えて戻った玄奘。多くの経典と仏像を、長安に持ち帰った。この慈恩寺を大層気に入り、境内に塔を建てて、仏像と経典を保存したいと願い出た。高宗は、玄奘のその願いを適えてあげたのだった。
玄奘の建議によって、インドの塔婆に似せて塔を造った。その材料は、レンガや石灰、土、餅米を使い、内部は土で、外面にレンガを積んだ。塔が早くできるようにと、玄奘も毎日重労働を手伝ったという。
塔の完成後に仏像を安置し、持ち帰った経典を、約11年もの間翻訳を続けていたそうだ。
塔の内部は、人が擦れ違うことができるほどスペースのある、螺旋階段がある。最上層まで上ることができるので、ゆっくりと上っていく。しかし、しぜんに足早になってしまい、上に着くころには汗が流れ落ち、足が棒のようになってしまった。
四方の窓からの眺めは素晴らしく、大窓から吹き込んでくる風が心地好い。
遠望する西域の空が靄っているのは、黄砂が舞い上がっているのだろう。
大雁塔から約2K西に「陝西歴史博物館」がある。
ここには、陝西省地区からの出土品約11万3000点が収蔵されている。一階の第一展覧室は、先史時代から秦代。二階の第二展覧室には、漢代から魏晋南北朝時代の文物。第三展覧室は、隋、唐、宋、明、清時代の出土品を展示している。時代順に巡ることができて、分かり易い。
ここの建物の特徴は、唐代の建造物の風格を持ち、中国の伝統的な「院落(四合院)」様式の古典的な建物を模して設計されている。屋根には瑠璃瓦を用いて、古代建築の雰囲気を出している。