シルクロード風紀行

シルクロードを中心に、旅をしています。写真と文章で、シルクロードを紹介します。

城壁に囲まれた街

2008-09-12 14:20:38 | Weblog


四方を城壁で囲まれた西安の繁華街は、鐘楼を中心にして、道路が東西南北に延びている。商店やレストラン、デパートなどが並び、若者や観光客で賑わっていた。
先ずは見晴らしの良い、高さ36mの鐘楼に上る。
戦時中は、物見台や司令部になったというほどに、展望が良い。どの方角からも、街が一望できる。わたしはしばし、西の安定門の方向を眺めていた。すると自身が、古の旅人になってしまったかのように思えてきて、思わず呟いた。
「ここから、ローマへとシルクロードが続いているのだなあ……」
この鐘楼は、1384年に創建されたものだ。当時は、西大街と広済街の交わる辺りにあったそうだが、1582年にこの場所に移された。高さ8mのレンガ造りの土台の上に楼閣が建てられている。
その造りは重櫓複屋(ちょうろふくおく)といい、屋根は三重だが、実際には二階建だ。正方形の木造建築の鐘楼には、釘が一本も使われていない造りである。楼閣の扉のレリーフに刻まれているのは、有名な故事という。
かつては、楼の上には大きな鐘が吊るされ、毎朝70回撞き終ると、東西南北の4つの城門が開かれたといわれている。



鐘楼から400mほど西に建つのが、鼓楼である。
どっしりとした構えの鼓楼は、鐘楼よりも4年早い1380年に建てられた。高さ33mの楼閣の土台にはアーチ型の通路があり、今でも人や車が通っている。
往時の楼上には大きな太鼓が掛けられており、夕方になるとその太鼓を打って、時を知らせていたという。その音を合図に、東西南北の門が閉められたそうだ。鼓楼は、清代に二度修復されている。
鐘楼から、南大門を1キロほど行くと南門に出る。見上げる、強固な造りの城壁の側へ来ると、賑わった街とは裏腹に、過去にタイム・スリップしたようである。
西安のシンボルでもある城壁は、唐の長安城を基礎にして造られている。1370年から1378年にかけて、レンガを積み重ねて築かれたものだ。その後、再三の修理を経て現在の姿になった。
東西に長い、矩形の城壁。その周囲の長さは、約14kある。高さは12mで、上部の幅が12mから14m。底部は、15mから18mにも及ぶそうだ。東西南北には城門楼があり、我々は南の城門に登楼した。



現在の城壁は、かつての6分の1の規模しかないという。城壁から眺める、遥か南に聳えている大雁塔は、当寺は長安城内にあったそうだ。
安定門が、西門になる。古の旅人たちが、西方シルクロードを目差して旅立った門である。しかし以前の西門は、8kほど先にあったのだ。西安から、昭陵、乾陵への途上である。現在、城門の模造がある場所が、唐代の西門があった地点になる。
そこには、「絲綢路起点群像」の石像が建っていた。彫りが深て髭を伸ばした、西域商人が彫られている。キャラバンの駱駝を率いて、シルクロードを旅する当時の隊商の姿である。古人はこの門で送別会を行い、シルクロードへと旅立っていったのだろう。



城壁に囲まれた南門の側に、「陝西省博物館」がある。1950年に創建された、陝西省最大の博物館だ。かつては孔子廟だった建物で、「碑林」とも呼ばれている。
収蔵物は8万点以上あり、館内は、歴史陳列室と石刻芸術陳列室、碑林の三部分から成っている。
ここには、史都西安に伝わる、「草書般若波羅蜜多心経の石碑」や「達磨趺坐図石碑」を始め、各時代の逸品が多々展示されている。
この博物館の中心をなすものは、碑林である。1087年に創建され、多くの石碑が林立するところから碑林との名が付けられたそうだ。




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