ここでは特にアメリカと日本の規制に絞って議論をしたい。まずアメリカにおいてであるが、死亡胎児の利用に関する法規制には1968年に成立した「統一死体提供法(Uniform Anatomical Gift Act)」がある。ここでいう死体には死亡胎児も含まれ、親の一方が同意をして、もう一方の親が拒否しないならば死亡胎児を研究目的や治療目的に使用することができる。ただし、胎児組織の入手先は死亡胎児のうち、自然流産あるいは子宮外妊娠(spontaneously aborted fetuses or ectopic pregnancy)によるものだけを容認し、中絶胎児については認めないという州もあった。[11] 1988年には中絶胎児組織を用いた移植研究には連邦予算を出さないとの決定がくだされている。しかし、クリントン大統領の就任後の1993年に、中絶胎児組織の利用に対しても連邦予算の拠出が認められるようになった。
話変わって、今回総大会、このサイトでは英語圏ですがホランドさんの話が視聴回数一番多いようでインパクトあったのかな・・家族の虐待とかに警鐘があったりで?! 「Jeffrey R. Holland | April 2021 General Conference 61,228 回視聴•2021/04/04」 https://www.youtube.com/watch?v=8kBZQAI_FTQ
生け + り じゃないですか?
「り」は動作が完了して継続していることを現す助動詞だったと思いますが?
理系なんで、いい加減ですけど・・・。
き き きる きる きれ きろ・きよ
「生く」「活く」の活用は
か き く く け け
です。
「り」という助動詞が文語にあって、指摘されたように過去、完了、存在態(てある、ている)を表します。ただ、接続が動詞四段の已然、サ変の未然に続くとあって、「生け」(そんな動詞があるとして)との接続が難しくなります。
私も詳しい筈はなく、「新国語必携」国語文化研究所編昭和29年発行によっています。
わたくしも違和感ないのですが、
https://www.hello-school.net/haroajapa009003.htm
げにあはれなるものの隈ありぬべき世なりけりと…(源氏物語・橋姫)
(なるほど、趣き深い、人知れない場所が確かにありそうな世の中であったなぁと…)
ーーー
主は生けり。キリストは生きていらっしゃるんだなぁ。という詠嘆というのも変ですしね。
”生けり”で検索しても末日聖徒の讃美歌くらいしか出てこないですね。
思い込みとはげに恐ろしきかな。
鯉の生け作り(活け造り)
花を生ける(活ける)
足りる → 足れり
ta ri ru を ta re ri と表現するときには「足」の次の文字を「り」ではなく、「れ」に変化させて、続けて「り」と付けます。
同様に
生ける → 生けり
は、「生きる」は「生ける屍」の様に「生ける」と言う使い方も有ります。
「生けり」は、「現在生きている」と言う意味を持たせるために最後に助動詞の「り」を持ってきますと、「生」の次の「き」を「け」に変えた方がつながりが良いんじゃないですか?
足りる → 足れり を 「足りり」ではなく「足れり」と言うのと同じでは無いでしょうか?
これで沼之川関には、通算15勝15敗の五分に。
河津掛け
https://www.youtube.com/watch?v=7pwL93r2dHU&t=2s
衾道を 引手の山に 妹を置きて
ふすまぢを ひきでのやまに いもをおきて
山路を行けば 生けりともなし
やまぢをゆけば いけりともなし
柿本人麻呂
巻2 212
かにかくに人のなさけに我れ生けり手にとりて見る珠数の一房 土田耕平
生ける屍と柿本人麻呂の文、貴重な例と見て、出直します。(敗色が漂ってきたか?)
”金沢大学” アスペクトから見た
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E2%80%9D%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E2%80%9D%20%20%E2%80%9D%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%88%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E2%80%9D&ei=UTF-8
他には・・
原文: 後遂尓 妹将相跡 旦露之 命者生有 戀者雖繁
よみ: 後(のち)つひに、妹(いも)は逢はむと、朝露(あさつゆ)の、命は生けり、恋は繁(しげ)けど
意味: いつかはあの娘が逢ってくれるだろうと思って、朝露(あさつゆ)のようにはかない命を保っているんです。恋心は絶えることはないけれど。
昨晩大阪は、朧月夜でした。 春霞と言うのは霞過ぎでして、考査の影響でしょうね。
朧月夜と言えば、有名な叙情歌が有りますね。
菜の花畠に 入り日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し
里わの火影も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
この最後の「霞める」ですが、たぶん動詞で「霞んでいる」の意味かと思います。
しかしながら、意味的には、朧月夜に対する「形容詞」にも見えなくもない。
形容動詞と言う品詞が有るとか無いとか?
「主は生けり」は「主は生きている」と言う名詞と動詞の組み合わせなのでしょうが、「生ける預言者」と言うと、「生ける」は「生きている」と言う動詞と見るより、「預言者」を現す(形容する)言葉とも取れます。
私には、「生ける神」の「生ける」は「神」の枕詞の様な使われ方とも思えます。
ですから、「主は生けりと知る」も、言葉そのままでは、「主は生きている事を知っている」なのですが、モルモン信仰の中で「生ける主」「主は生ける」と言う慣用句になっているように思います。
「生きる」と言う動詞で、「主」「神」「預言者」の特徴を現している(形容している)のじゃないかと思います。
枕詞、掛詞に近いように思います。
と、全部私の憶測にすぎません。
ちゃんとした国語学者さんの見解を聞いて見たいものですね。
↓
春霞と言うには、霞過ぎで、黄砂の影響でしょうね。
それで、大阪府では義村知事の発案で「まん延防止等重点措置」の略語「まん防」にちなんで、大阪南港にある水族館「海遊館」の魚の「マンボウ」をイメージした「マン坊」と言うキャラクターを登場させて、心斎橋でコロナ予防のキャンペーンをするらしいです。
吉本とOSKが協力して「ヘイ!マンボー」って踊りながら練り歩くらしい。
ちょっと悪乗りしすぎだと思いますが・・・?
よけいに密になりそう。