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SH快特みやっち

旅する鉄ちゃんが気が向いた時に作品を上げるページ。

本編 ~ 4月17日 陸前高田編 ~

2011-05-03 00:01:00 | 長編
4月17日(日)

この日はこの旅の最大の目的地、陸前高田市へ行きますが、この時はまだ盛岡から1日1往復の臨時バスしかなかったから、盛岡前泊じゃないと行けない陸の孤島状態でした。


盛岡へ帰るまでごはん食べられないからしっかり腹を満たして、いざ、陸前高田!




臨バの運行は岩手県交通です。
マル貸からの転用路線車のスーパークルーザーが来ました。



乗り場は釜石線と大船渡線と同じです。

途中までは大船渡線と同じルートで、世田米から分かれていきます。
途中の米田交差点で休憩です。

同発の大船渡線は遅れて到着です。

米田交差点からしばらく走ったら、いきなり宮守に出ました。
高校生の時に銀河ドリームを撮った懐かしい場所です。



でもって鱒沢まで快速はまゆりとサイドバイサイドです。
鱒沢で釜石線と別れてあとはひたすら山の中を走りました。
どこも同じだけど、沿岸は壊滅的なのに、山間部の景色は地震の被害を感じさせません。
でも、陸前高田市が近付き気仙川沿いを走って竹駒付近に出たら、その景色は一変しました。
やはり、他の沿岸地域と変わらない瓦礫の山と化した街がそこにありました。

バスは瓦礫の街中を走り、竹駒と陸前高田の中間に位置し、高台にある高田ドライビングスクールに30分ほど早く到着しました。


バスを降りて街へ出ると、なんとか外観を保って残っているローソン屋敷がありました。
ここでどうでしょうDVDを予約して受け取る予定だった藩士もいたのではないでしょうか?


いきなりらっきょうを漬けている瓶が流されていました。


石垣の上にあるお寺にも津波は押し寄せ、塀や門が損壊しています。


瓦礫の中にそびえ立つ木がちょっと悲しげです。


瓦礫の中には卒業アルバムや創立記念誌がたくさん埋もれています。




当日は式があったのでしょうか?白い草履もありました。


消防車はひっくり返り、タンクローリーも流されています。


瓦礫の中で泥にまみれたプーさんや、座り込んで持ち主の帰りを待つクマのぬいぐるみがなんともやるせないです。




家の土台だけ残して大黒様と達磨さんが。


玄関先だった場所には、その家の家族の安否、避難先を書いた立て札が何軒もあります。


この赤ちゃんとおじいちゃんは無事避難できたのでしょうか?


瓦礫にぽつんと立つ消火栓が、なんだか痛々しく思えました。


竹駒駅は駅舎とホームは辛うじて残っていました。

わずかに残るレールとホーム、駅舎、そして、倒れた停目、ここが駅であることを主張しています。

当日は近くの学校で卒業式があったのでしょうか?法面には流されてきた花束がありました。


カメラもありました、しかもフィルムカメラ。


辛うじて残る踏切が線路があった場所を辿らせます。
踏切の先には水路に突き刺さったダンプカーが・・・。


竹駒駅前には立派な蔵が流されることなくしっかりと建っていました。


蔵の周辺の瓦礫にはゴジラのぬいぐるみが。

この瓦礫の山が津波じゃなくてこのゴジラのぬいぐるみが襲ったものだったならっていう、ちょっと現実逃避をしていました。

線路は車で走るところではありません。

・・・。
普段ならそんなアホなことを言っとると思うけど、そんなことこれっぽっちも思いつかんぐらい目の前の状況を撮ることに必死だった。

このあとさらに、気仙川橋梁まで行きました。
歩いていてふと気付くと、無意識でボロボロと涙を流していました。
感情も何もなく、勝手に涙が溢れてきました。
でも、多分それが普通の人間の普通の感情なんだと思います。




流された気仙川橋梁の脇を素っ気なく流れる川が、日常であり非日常でもありました。
一言で言えば、なんだかなぁ~、って感じです。

気仙川の河原にはたくさんの瓦礫があった、あるというよりは流されてきてここに集められているが正解だと思うけど、いろいろな日常があった。








いつものことながら、また時間を使いすぎ、この時点ですでに12時半でした。
帰りのバスは15時です。
余裕を持って14時過ぎには陸前高田駅を後にするつもりでした。
なので、ダッシュで市街地へ向かいました。

向かったのはいいんだけど、竹駒駅前のガソリンスタンドで非常用の給油機で給油しとるもんだから、思わず声かけて給油作業を撮らせてもらいました。









撮らせてもらったあとにちょっとお話を伺ったら、この方は津波が来てから逃げたけど間一髪で助かったそうです。
そして、今回被災地で唯一声をかけた被災者の方でした。
そうして、お礼を言ってダッシュで陸前高田駅へ向かったけど、被災地はさらに行く手を阻みます。




小学生でしょうかね?女の子が書いた絵本がありました。


築堤の上に線路があるのに、そこまで家が打ち上げられています。


更に少し行くと、被災した普通車に紛れてボッコボコの岩手県交通のバスがありました。

1台だけじゃなく、その先にもそのまた先にも流されてボコボコになったバスが何台もいました。






バイパスに出る手前に、ガラスの道という場所があります。
夕日が当たってキラキラ輝いたら綺麗だろうねぇ。


道路標識もこの有り様・・・。


バイパスの跨線橋付近では、瓦礫の中からバス停のポールが顔を出していました。


瓦礫に埋もれた写真の中で一番衝撃的だったのがこの写真。

なにかの記念写真とも、遺影とも取れるこの写真にはものすごい衝撃を受けました。

駅へ行く道は途中で陥没したり法面が崩れたりしていました。


そうして、ようやく駅に着きました。
ホームは残っているけど駅舎は跡形もありません。
駅前薬局の看板でここが駅であることがわかります。

倒壊した駅舎の瓦礫の中を必死に駅である証を泣きながら探していました。
見つけたのは使用済み乗車券入れです。

たったこれだけのものを見つけただけなのに、うれしくてさらに泣いてしまいました。
これだけでも見つけられたから良かったんだけど、どうしても駅名板を見つけたくて周囲を探しました。
ちなみに、去年の夏にリアスシーライナーに乗った時は↓こんな感じ。


で、ありました、同じ駅名板です。

もう見つけた瞬間ボロボロと涙が落ちて大泣きでした。
ホームの上にはなく、構内踏切の警報器の脇まで吹っ飛ばされていました。
しかも、「高」と「田」の間で引きちぎられて。
↓ケータイで撮った同じ画は、この惨状を忘れたくないから待受けにしています。


そしてここでタイムアップです。

大船渡方を一枚撮ってダッシュでバスへ戻りました。

瓦礫の山の傍らでは桜が咲き始めています。


その桜の下には「復興の湯」という銭湯が営業しています。


道草ばっか食っとるもんだから、バスに着いたのは発車5分前でした。
危ない危ない。

高田の松原まで行けなかったのがちょっと残念だったけど、それはまた機会があれば。
心残りではあったけど、盛岡への帰途につきました。


ちょっと爆睡こいてまったけど、帰りは宮守の道の駅で休憩です。

あの眼鏡橋のところね。

横には弘南バスのマル貸がいました。
なんか落ち着いてきたらお腹が空いてきたから、パンと大判焼を買ってきました。

そうして約10時間ぶりに盛岡へ帰ってきました。


夕映えの岩手さんを望みながらマックスバリューで買い物をしてホテルへ帰りました。


マックスバリューなのにバドがなかったから、仕方なくのどごし生にしました。


〆は駅のNDで見つけた盛岡冷麺缶。



そうして夜は更け、短くて長かった陸前高田での一日が終わりました。






エピローグ

2011-05-03 00:00:00 | 長編
4月18日(月)

さ、帰んべや。

窓際の鉢植えは真実の木だって。




朝食を食べてから部屋でスッキリを見とったら、被災地をまわる長渕剛のVをやっとった。
避難所で被災者の人たちと歌い、松島基地で隊員みんなで肩を組み熱唱する映像。
そして、実際に自分で被災地を回った人にしか分からない、真のコメントにやられた。
長渕に泣かされた。

今日もスカッと晴れ渡っています。


岩手さんもきれいに見えますな。


帰りは迷った挙げ句、こまち&つばさで帰ることにします。
こまちは在来線区間は初乗りです。

最初は仙台から臨時快速乗継のつもりだったけど、あとあと乗りつぶす時に奥羽線の大曲~横手がネックになるから背骨だけつぶしておくことにしました。

上り方面だけ表示が出てないのが非日常ですな。


こまちは特別措置でグリーン車以外全車自由席だけど、特急券は特定(立席)で発券するんだね。


はやての接続を受けて発車です。
車窓にはしばらく岩手さんが見えます。

ん?なんか缶がある。
やっぱね、飲まなやっとれんわ。

一応車販も乗ってます。


赤渕と神代で交換するんだけど、赤渕は信号停車だけですぐ発車して神代だけ交換しました。

赤渕はリンレイとやるんだろうね。

大曲は定時の到着です。

入りきらなんだ・・・。
新幹線改札の脇にはサボが展示してあります。

懐かしいねぇ。
昔はそこら中で見れたのにねぇ。


乗継時間が1時間半ぐらいあるから、ちょうどお昼だしなんか食べようと思って外に出たんだけど・・・、なんもない。
あるのはNDと1時間50円のコインパーキングだけ。

仕方なくNDでお弁当買ってホームの待合室で食べました。



やっと列車が来ました。
701系だけど、後ろの車両はロングシートなのに前の車両は半分ずつでした。

ご丁寧にテーブル付きで。
ん?また缶があるぞ?
・・・、もう何も言うまい。

横手は駅舎の橋上化工事中でした。

北上線の車両は大船渡線のステッカーが貼ってあります。


横手を出てしばらくすると、一面雪でございますよ。
なんちゃって雪景色が撮れそうです。

ふと運賃表を見てちょっとビックリ。

整理券番号が120番まである。
どこからどこまで走れるんだ?

そして、一回来てみたかった難読駅、及位。

いたって普通のローカルな駅ですな。

でもって、新庄到着です。

隣は陸羽西線の列車。
庫にはイーストアイがいました。



新庄の方が駅前なんもねえなぁ。
山交は西工が多いねぇ。
ここのNDはなんもなかった。
さりげなく物流に影響が出とるんだねぇ。

新庄からつばさに乗っていきます。

つばさは完全初乗りです。

ホームには400系のボードがあります。

結局400系は乗れず、ほとんど見ることもなく終わっていました。

霞城公園はまだまだ蕾ですな。


山形は何回か来とるけど、新幹線ホーム初停車です。


福島から結構乗ってきて指定席もほぼ満席です。
やまびこの普通車は全車自由席なのに、つばさは所定の編成で運転だから、自由席のお客さんが指定席のデッキまで溢れていました。

福島からは減速運転です。
220km/hかねぇ?

19:56、通常のスジを1本落とした感じで東京に到着です。

ホームへ降りた時、少し緊張が緩んだ気がしました。

のぞみ263号に乗換です。



なんとまぁ、Z1編成ですか。

でもって、品川に着く前に車販が来た・・・。

早すぎるっちゅうねん。
こっちにも心の準備ってもんがあるんだで。

さて。

22:03、いつもと何も変わらない名古屋駅に着きました。

名古屋に着いてまず思ったこと・・・。
ホーム明るすぎ・・・。
明るいことは幸せなことだけど、なんだか申し訳ない気分です。


さあさあさあ、短くて長かった被災地を巡る旅、これにて完結でございます。

被災地が一日も早く復興できることを願うと共に、自分たちは各自の持ち場でやれることをやる!
よし!気合い入れて解散!


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名鉄7000系電車

2009-12-03 01:50:00 | 長編
※きっぷの話に続き大容量なのでPCでご覧下さい。※

※ケータイでは全てを表示できません。※


さてさて、今日はちょっとパノラマカーのことを書きましょうかね。


おっとぉ、いきなりモノクロですかぁ。
こりゃ高校時代のやつですな。
高校時代は写真部だったから、モノクロフィルムを使う頻度が結構高かったですからね、ネオパンね。アヤパンじゃないですよ、タメだけどね。

さて、名鉄7000系電車、通称パノラマカー。
実はデビュー当初からパノラマカーと呼ばれていたわけではなかったそうです。
誰が最初に呼び出したのか、いつしかパノラマカーと呼ばれるようになり、みんなのスーパースターになったのですな。

実を言うと、0系新幹線も当初はただ新幹線電車と呼ばれていましたが、100系がデビューした頃ですかね?もうちょっと前からだったかな?こちらもいつの間にか0系と呼ばれるようになっていました。
0系が0系と呼ばれた理由、それは、形式表示が二桁で百の位がないからです。
先頭車は21・22形、グリーン車は15・16形、といった感じで、百の位がないのです。

スーパースターになるにはそれなりの愛称を付けてもらわんといかんてことですかな?

それじゃあね、半分7000系写真館みたくなるけど懐かしい写真満載でお送りしますのでね、「写真館へGO!」をポチッとなと。



*特殊系統板について*
名鉄では古くから7000系をはじめ多くの列車で、本来の系統板ではなくイベントPR等の特殊な系統板で運転する列車があります。
名鉄社内では特殊系統板と呼ばれているそうですが、みやっち的には基本的に全てを総称して系統板と呼んでいます。
また特殊系統板で運転する列車の呼称について、徳田耕一氏の著書で「名鉄 名称列車の軌跡」がありますが、この「名称列車」という単語は徳田耕一氏の登録商標ですのでご注意下さい。



***********************************

さてさて、懐かしい写真がわんさか出てきますのでね、心の準備はよろしいですかな?(←なんでやの)

まずは何からいきましょうかね?
たくさんありすぎて迷いますな。

ん~、やっぱり最初はこれですな。

みやっち的鉄ちゃんの原点の一つ、平日7:04津島駅のエンド交換ですな。シートの色が緑ってのが懐かしいねぇ。
ちなみにこの写真は、じいちゃんが撮ったものです。
前にも書いたけど、みやっちの鉄ちゃんの原点は、一宮の尾西線と名古屋本線・東海道線に挟まれた稲荷公園と、平日の津島7:04着09発のパノラマカーのエンド交換です。
家から一番近いのは尾西線の町方か六輪なのに、電車を見に行くって言うといつも決まって稲荷公園でした。
そして、じいちゃんばあちゃんとお出かけするって言うと、いつも決まって津島7:09発のパノラマカーでした。
それから10何年後の専門学校時代も、朝は津島8:16発のパノラマカーのお世話になっていました。もちろん津島始発の列車でした。
ちなみに、初めて列車の写真を撮ったのは、もちろん稲荷公園です。当時7歳ぐらいでしたなぁ。

じゃあ、なるべく時代を追う感じで書いていきましょうかね。

次はなんだぁ?
ん~、やっぱり正月輸送ですかな。
昔の正月輸送といったら、豊川臨特と新春ライナーですな。
臨特は当然7000系白帯と7700系の重連の6連です。

今じゃ考えられんけど、昔の正月臨特の指定券は取るのにも一苦労でした。
で、それを補完するために走っていたのが、7000系6連と7500系の着席保証列車の新春ライナーです。


って、ありゃ?2枚とも7500系だぞ。
臨特・ライナー共に、津島、岐阜、鵜沼、新可児と名古屋から出てました。
臨特の場合は、鵜沼と新可児は併結で、岐阜方の7700系が鵜沼行きで、豊橋方の7000系が新可児行きでした。

鵜沼・新可児は7000系重連で夕方の定期特急でも走っていたから7000系の系統板は日頃から見れるけど、7700系の鵜沼・新可児板は正月の臨特でしか見れない板でした。


正月のP6定番団体といえば、「豊川かなえ講」です。

じゃ、特急つながりでちょっと書きましょうかね。

まずは懐かしの黄板特急ですな。当然稲荷公園です。
この写真は親父が撮ったやつですけどね、みやっちは当然その傍らで電車を見ていました。初めて自分で撮るのは、これから数年後のことですな、当然のことながら初撮影は稲荷公園ですよ。
しかし黄板の三河湾は渋いなぁ、トゥットゥルーって感じですな。
はっきりとした記憶であるのは緑板だもん。
えげつなかったけど名鉄の一番輝いとった時代ですな。


お次は津島特急。
普通は上の列車みたいに「津島 佐屋」表記なのね。
ところが・・・、

これはまんま「佐屋」なのね。ちゃんとP停目もありますな。それはいいや。
この頃はまだ1600系(現1700系)登場前のはずだから、津島佐屋板のはずなんだけどねぇ。
ちょっと珍しいですな。

懐かしの定番矢作川橋梁ですな。

名鉄の特急板は、通常は「津島 佐屋」みたいな表記の板を使うんですな。

ちょろっと写るPのカマ急(蒲郡急行)が懐かしいですなぁ。
名古屋・河和・内海・犬山なんかは普通に板と幕を使う時もあるんだよねぇ。


こちらも懐かしのトコ特(常滑特急)ですな。
常滑行きの1号車は常滑競艇専用車両になっているので、競艇へ行く人は指定券無しで乗れました。
でも、実際問題競艇へ行こうが行こまいが、常滑までの乗車券を持っとれば乗れたんですけどね。
競艇専用車両って言うのは、常滑競艇が車両買取ってことで競艇来場者を乗せていたのです。
トコ特の運転は実はミュースカイ誕生に一枚かんでいたんですなぁ。
セントレア開業後の空特は、名古屋~空港間を30分以内で走らせる計画でした。
そのために、トコ特はダイヤ改正のたびに運転時分が変わっていきました。
当時の名鉄の種別は、特急・急行・普通と歴史の中で一番シンプルな時代でした。
なので、空特も当然特急として走らせると思われていました。
しかし、運転時分で考えると名古屋常滑間が25分で走れれば空港まで30分は楽勝ですが、結局最後まで特急では28分止まりでした。
なので、車体傾斜を導入して、奥の手で特急の上に快速特急を設定して、神宮空港間ノンストップにしてなんとか空港まで28分で走らせることができたんですな。


こちらはごく普通の「日本ライン」ですがぁ、実は常滑線系統からの列車ではなく、西尾始発なんですなぁ。
たしか高校の頃だったと思うけど、わざわざ連れと乗りに行ったもんねぇ。
この頃は名鉄バカだったからねぇ、いろんな列車に乗りまくっとたなぁ。
蒲郡発佐屋行きのパノラマDXとかね。
やっぱそう考えると今の名鉄ってつまらんねぇ。
平日の朝はまだ少しはおもしろいけど、昔に比べたら屁みたいなもんですわ。


これは高校の頃ですな。
中京競馬場前行きの特急勝馬。
待避しとる列車もPだね。


特急つながりは更に続きまっせ。
一部指定席特急(現一部特別車特急)登場時は、1000形の編成数が足りなかったので、7700系を指定席車に充てていました。
1000形も7700系も一般席車はSR車4両もしくは6両を併結していました。
SR車ということは、当然Pも一般席車に充てられたわけで、写真のように7700系の指定席に7000系6両の一般席車もありました。
ま、これはまだいい方ですわ、1000形編成の一般車にPの白帯がくっ付いた列車もありましたからね。
7700系にPの白帯がくっ付いたら正月臨特じゃんて感じですわな。
7700系の編成パターンとしては、以下の通りです。カッコ内はラッシュ増結時。
7700+SR4+(SR2)
7700+SR2+SR4
7700+SR6
てな感じですな。
てことはですよ、SR6は除いても、SR4にP白帯が入って、SR2に7700が入ったらえらいこっちゃだよね。
このパターンは中部運輸局の事前の指導で回避されてたと思いますけどね、実際に走ってたらおもしろかっただろうね。
でも前出の1000形+P白帯は実際に走ってたみたいだからね。


で、こっちは同じ特急でも、15年ぐらい前まで名鉄で一番熱い被写体だった全車一般席特急。
20年ぐらい前までの名鉄の種別は、特急・高速・急行・準急・普通でした。
当然特急は全車指定です。
で、20年ぐらい前からだんだん本線特急乗車率が低くなってきたもんだから、岐阜~豊橋間の特急に限り高速と合体させて、一部指定席特急としたのです。
ちなみに、全車指定席特急はA特急、一部指定席特急はB特急と呼んでいました。
で、特急の中でも3種類あって、A特急とB特急、そして高速の名残として朝夕に走ったC特急こと全車一般席特急。
このC特急はSR車以外に、6000系で運転の列車もありました。
C特急として最後まで残ったのは通称「80列車」こと新岐阜7:30発の豊橋行き(東岡崎で車両交換、のちに東岡崎行きに変更)でした。晩年は快急に格下げ(でも停車駅は同じ)で、車両も3Rになりましたが、最後まで熱い被写体でした。
最終的なC特急の名残は、Pが引退した去年の12月の改正まで走っていたセントレア発金山行きの終車でした。今は快急に格下げです。

じゃ、特急つながり最後だけど、まともな特急とはあんまり関係ないですけどね。

座席指定幕
あのねぇ、7045Fにしか入ってなかったのよ。
で、しかも営業では絶対見ることができないのね。
じゃ、なんでこれが撮れたかってね、幕がぶっ壊れて座席指定になっちゃったのね、で、そのまま走ってきちゃったんだねぇ。
7045FってPの中で一番変な編成だったね。
幕が他の編成と違うのよ、7045F専用ですわ。
新岐阜は「新」が付かんし、犬山経由の「経」は糸偏が付かんし。
でね、一回だけ幕がぶっ壊れて、修理のために板に交換して走ってた時期があったんですよ。
↓これね。

多分廃車になった7500系非更新車の板を使ったんでしょうな。

これが通常の姿ですな。

でもってこちらはその後の試運転だったかなぁ?
出場試運転だけど、まさかPの試運転を撮れるとは思わんかったね。

次は併結運転ですかね。
まずはP+Pですな。

白帯重連。
これの特急は最高でしたなぁ。
それに比べたら1000形やミューの8連なんて屁みたいなもんですよ。
みやっち的に今一番熱い重連は、SR4+4ですな。


一般編成の重連がないですなぁ。
まぁいいや。
上は在りし日の本線急行、下はP最期の時まで一番熱かった朝のウマ急(鵜沼急行)、昔はそれと並んで激熱だった岐可急(犬山経由・新可児急行)です。
一昔前は普通に本線急行でPの重連が走っとったもんねぇ、むしろ豊川急行と犬山~知多系統なんてほぼ確実にP6だったしね。
3Rが登場してからだねぇ、年々減ってったもんなぁ。
でも、Pの重連でパノラマ席が真ん中でくっ付いとるのはなんかもったいない気がしますな。

SRとの併結は様々です。

同じ白帯同士、7700系との併結ですな。
特急なら当たり前だけど、急行やダラでこれが来ると特急で指定席料金を払うのがアホらしくなりますわな。

P末期の優等運用において、最後の相手でもあったスーパーですな。
スーパーは昔から津島線では西尾系統でお世話になってます。
P亡き後、名鉄に乗る時にスーパーが来ると内心ちょっとうれしくなるみやっちがいます。
スーパーロマンスカーだもん。

併結最後はもう一つのスーパー、5500系です。
日本初の料金を必要としない大衆冷房車両として登場した車両です。
名鉄ってねぇ、いろいろ日本初ってものがあるんですよ。
5500系もSRなのでスーパーですが、基本的にスーパーは5300・5700系のことなので、5500系は普通に形式で呼んでました。
で、この5500系は、東海豪雨を機に廃車されました。
その日の夕方、たまたま新川検車区で留置されていた5505Fが水没してしまい、それを境に一気に淘汰されました。
東海豪雨がなかったらねぇ、もうちょっとだけ走ってたかもしれんねぇ。
好きな車両だっただけにちょっと残念でした。

最後に併結のおまけ。

11月29日で廃車になった7100系との併結ですな。
Pの中間車に運転台を付けた車両なので、正真正銘Pの残党です。
ま、言っちまえば7700系も同じようなもんだ、車体も機器も同じだもん。


7000系とそっくりな外観だけど、別の形式7500系。
その中でも7045Fと共に変な編成だった7515F。
7000・7500系の中で唯一、板がバカデカイ。
豊川の板をはめとるけど、ちょっと小さく見えますよね?小さいんじゃないんですよ、逆富士の方がデカイのよ。
多分この編成撮ったのはこの1枚だけのはずなんだよなぁ。


で、こっちは初めて目の当たりにしたPの廃車。
何番か忘れたけど、初めて見た廃車でした。
この頃はまだ新川工場で全てを賄っとったからねぇ。


ここからは懐かしの風景って感じですかね。

昔はこんな光景当たり前だったねぇ。神宮でPの同時進入なんて当たり前だったし。


たま~に車掌室が仕切られとることもあったね。


夕方にはよく西枇で寝てましたな。


青塚カーブを行く正月臨特。お気に入りの場所ですな。



西日を浴びながら旧東笠松を通過する急行。
駅があった時からの良いポイントです。


乙川を渡るP。
ここも今も昔も良い場所ですな。



お気に入りだった男川カーブ。
今はねぇ、浄水場かなんかの建物が建って撮りづらくなったんだよねぇ。
マンションはうるさくもあるんだけど、良いアクセントにもなってます。
昔このすぐ裏に従姉弟が住んでました。


トランパス導入前の勝幡駅ですな。
ここの駅舎もねぇ、古くて渋いんだよねぇ。
名鉄もよく残したねぇ。
停車しとるのは、言わんでもPですな。


正月早々こんなこともありましたな。
電動幕の蛍光灯が切れちゃったんだねぇ。


これね、豊橋行きの急行です。
この日は事故かなんかでダイヤが乱れてましてね、6500系の全車一般が走ったりしてましたよ。
でもね、板はちゃんと出さないかんわね。


やっぱかっこいいですなぁ~。
まだまだ頑張ってた頃ですな。
6年ぐらい前だね。
無骨なラインが飽きないデザインなんだねぇ。


未だこれ以上のシルエットが撮れたという手応えがないです。
でもね、この写真はろくにシルエットの撮り方も分からんのに、適当に撮ってこれですからね。
じゃ、今はなんだって感じですな。
やっとれんぞ。
これに匹敵するシルエットって言ったら、出雲の廃止1週間前に斐伊川橋梁で撮ったやつですかねぇ?とりあえずそれ以外は手応えがないねぇ。


名鉄と言ったらやっぱここ無しでは語れんな。
併用時代の犬山橋。
しかしあれですな、昔は後討ちでも結構お構いなしで撮ってたんですな。
でもちょっと空気が読めんと・・・。

↓こうなります。

結構日常茶飯事でしたね。
こうなると列車はタイホーン鳴らしっぱですな。
Pなら遊園発車から鵜沼構内進入までミュージックホーン鳴らしっぱですわ。
一回鵜沼発車から遊園進入までのミュージックホーン鳴らしっぱを録音したことがありますよ。
なかなかの圧巻ですな。
ちなみに、ミュージックホーンはミドラホーンとも呼ばれていましたな。
メロディーがミドラでしたからね。

極めつけ。

現役時代のPの運転台。
7044ですな。
編成番号の横に6両の両数表示が見えますな。6連時代の7043Fです。
7043F、そう、P最終日に最初に落ちた編成です。



じゃ最後はPギャラリーポジ編といきましょうか。
ま、ショボイ画ばっかですけどね。

定番須ヶ口カーブ、朝の逆光具合がPのシルエットをより引き立ててくれます。


枇杷島橋、こちらも超定番、光線状態と露出の具合でイメージも変わりますな。


木田の桜、画的には微妙だけど穴場の桜。


ついでに菜の花も、同じ木田で逆討ち。欲張り構図で散漫だ。


佐屋のアジサイ、この時初めてアジサイが咲いてるのを知りました。


モノレールと最後の共演、Pが逝った次の日、モノレールも逝きました。


最後の春、本線定番の笠松並木、最後も見事な満開で見送っていました。


夏だよね?、この日、夏にしては夏らしくない筋雲が出てました。夏の朝って夏らしくないぐらいの清々しさですな。


名古屋入線、下りの新名古屋入線は画になりますな、線形が良いんですな。


四つ目が通る、もうちょっとレールが光ると思ったんだけどなぁ、最後まで再撮がかなわなかった一枚。



ここでちょっとケータイ画像を3枚。

最初は7011F白帯復活前のイベントのやつ。
快急の三河湾。
この頃の名称列車復活運転は、一般列車を運変してやってたから一般の旅客に迷惑かかりまくりでしたな。
この時は、三河湾復活でかなりテンション上がりましたが、上の画像じゃちょっともの足りませんな。

・・・。

↓ちと落書きしてやりました。

ん~、やっぱりこっちだな。
三河湾のくせに吉良吉田なのと快急なのが気に食わんけど、それも白帯でチャラですな。


Pの特徴の一つ、2階にある運転台。
そこへ上るステップにはちゃんと足元灯が埋め込まれています。


長年名鉄の案内表示のシルエットになっているパノラマカー。
P亡き今でも駅へ行けばPを偲ぶことができます。
これぐらいはいつまでも残してほしいですね。


さ、最後です。
P終焉、最後の追い込み編です
ポジとデジ入り乱れてお送りしますよ、じゃどうぞぉ。


'08,05/17・18ウテ(撮影は17日)
まずは、名古屋本線東西直通50周年記念列車ですな。
本来3Rの6両で運転している列車を、P6に差替えて普通の定期列車として運転しました。
豊橋行きは、島氏で流して見事に失敗しました。
岐阜行きは、定番新川で仕留めました。
でも、定時で来ても被る心配があったのに、予想通り遅れてきました。
あと1分遅れてきたらモロ被りでした。


'08,11/13
定期運用終了前の0系をやっつけたあと、今度は7000系を追い込んでいました。
白帯復活後は、朝のウマ急に白帯が入る度に仕事へ行く前に西枇で朝練してました。


'08,11/20ウテ
約10年ぶりの入線でした。
ミュージックホーン鳴らしっぱで走り去っていきました。
板は、公式発表では緑板の津島佐屋板でしたが、尾西線内はサプライズの黄板いちょう号でした。
現役時代の黄板は憶えてるわけないので、ほぼ初めて見る黄板はかっこ良かったねぇ。


'08,12/03ウテ
定番小野浦、懐かしのヤングビーチ。
知多半島方面は、光線状態を考えるとここしかやるとこがないです。
でも、もう小野浦へ行くこともないんだろうなぁ・・・。


'08,12/17ウテ
みやっち定番、こちらも懐かしのおいなりさん。
この時見つけたポイントで、今ではみやっち定番ポイントです。
絵本撮影もラストランもここで撮りました。
この頃から編成は標準~中望遠で撮るようになりましたな。


'08,12/26
43F落ちる。
P定期運用最終日、この日は残念ながら昼だけ仕事で、朝と夜だけやりに行きました。
この日最初に落ちたのは43Fです。



'08,12/26
2番手は白帯。
上がポジで下がデジです。
モトカサ待避でも良かったんだけど、乗り撮り派が大挙してお祭りになるのが嫌だったから、あえてモトホシにしました。
車掌が良いアクセントです。ちなみに運転台はわざと入れませんでした。
運転台まで入ってなくとも4灯が写っていればそれがPです。
ポジは暗すぎ、デジは明るすぎ、中途半端ですなぁ。
雰囲気的にはポジの方が良いと思います。



'08,12/26
しんがり、ラスPは41F。神宮での式典の影響で10分延でやって来ました。
こいつも乗り撮り派を回避する為に、ホームからやらずに線路脇の柵の間からやりました。
こちらはホームの撮影者が良い味出してますな、たまには鉄も役に立ちますなぁ。
これも上がポジで下がデジ。こっちのポジはそんなに暗いとは思わないですが、デジはやっぱちょっと明るすぎますな。
時に、ラスP夜の部はなぜにケツ撃ちなのか?それにはPを思えばこその理由があります。
最期の最期までPをPとしてPらしく見送るために考えた結果のケツ撃ちです。
そもそもPという車両をアタマから撮る場合、4灯全光状態じゃないとPじゃないんですよ。てことは、夜それをやっちゃうと、4灯だけどせっかくの記念系統板がつぶれて見えない。でも減光して2灯だとPじゃない。んじゃあいっそ、ケツ撃ちでやるかと、それなら系統板もしっかり写るし、尾灯だからさよなら感も出て一石二鳥ぢゃん、って感じでケツ撃ちになったんですねぇ。
ま、スーパースターの最期ですからね、これぐらい考えてあげんとね。
0系のラストランもみやっちなりに考えた結果が、あの真っ青な0系ですからね。



'09,06/09ウテ
四つ目が通る再び、
この日はPのお誕生日会でしたが、なぜか列車を止めてしまったみやっち、ありゃ絶対俺悪くないアルヨ。犬山区はね昔から変なんだよ、うん、そういうことにしておこう。
やっぱ四つ目は迫力あるねぇ。
名古屋通過を失敗して東枇でやったんだけど、なぜか2台とも動態ブレ、ポジの方がちょっとマシでした。


'09,07/11・12ウテ(撮影は12日)
最後の最後で7700にも白帯を復活させちゃいましたな。
で、その重連で走ったのが「うつみ」と「あつた」。
でも、偽物。
とりあえず板の色が薄い。
内海はいいとしても熱田が仮名なのはいかんわ。
んで、こん時はなぜかボケて2台とも連写してまって、7000は失敗でした。が、実は7700も連写して失敗しかけたんだけど、ポジはなんとかいけてました。
定番小野浦で撮影するのもこれが最後ですな。




'09,08/08・09ウテ(撮影は上が8日、下2枚が9日)
これも偽三河湾ですな。
結局最後までまともな三河湾は走りませんでしたなぁ。
2日とも撮りに行ったけど、初日は矢作でやった時にポジがレリーズした途端に電池が切れました。
この三河湾の最大の目的は、東幡豆の6Rとの交換風景でした。
返しは、ミュージックホーン豊明として走りましたが、初日は米津でやるつもりが交換場所を読み違えて失敗したので、2日目は手堅く吉良吉田でとりあえず押さえておきました。



'09,08/30ウテ
ラストラン。
上の矢作はポジです。デジはあり得んミスで失敗です。
半分落胆しながら本宿カーブへ向かったのですよ、時間も場所も無いからデジに300付けて、換算450の手持ちで迎撃でした。
最初は左隅の鉄ちゃんがうるさいからトリミングしようかと思いましたけどね、まんまの方が自然かぁと思ってノートリにしました。
このあと本宿駅であんなミラクルな画を撮るとは思ってもいませんでした。
ま、ラストラン、どちらも満足の行く結果だと思います。


ラストランつながりで、11月29日に舞木送りになった7100形のラストランを。
ケツには7700形がくっついとるんですけどね、こいつも廃車になるんですかねぇ?
それともラストランに便乗して検査入場か?ま、次は7700形の番ですな。


'09,09/16
最期の時。最期の時もこれほどまで美しい廃車体は見たことがありません。
お疲れ様でした。

またいつの日か7000系という形式が復活する時、パノラマカーを上回るスーパースターが登場するのでしょうか?
ステンレスでパノラマカーを造って再び7000系を充てるか?
なんにしろ、7000系復活の時にはパノラマカーの名を汚さない車両にしてもらいたいですな。


あ、これで終わるつもりだったけど、まだもう一個書くことあったわ。
あのね、みやっちの部屋のカーテンね、Pなんですよ。

気分はいつでもPです。

あとね、系統板もありまっせ。


豊川・国府板



犬山・新岐阜板
新岐阜ってのが懐かしいね。
犬山の下はノーマル犬山と「成田山 犬山」が、新岐阜の下はノーマル国府と緑内海が隠れています。
緑ってことは特急板だったんだねぇ。

ついでにこれもいっちゃおっか。



7700のB特急で使ってたやつですな。
昔は津島西尾とか正月特急用とかいろいろあったのにねぇ・・・。

あと、系統板でスペシャルなのはこれね。

今でも時期になると使ってますな。

ついでに種別板もいきますか。


特急の裏は白紙、回送の裏は急行、準急の裏は普通(赤)
ちなみに、このセットの特急・白紙板の下には急行・回送が隠れています。


さあさあ、これでほんとに終わりです。
今回も長かったですねぇ、暇つぶしぐらいにはなりましたかね?
じゃそういうことでまたそのうち。
じゃ、解散。







7000系パノラマカー48年間お疲れ様でした~。



P逝く

2009-08-30 23:59:00 | 長編

初めて見たのはいつだっけなぁ?

初めてミュージックホーンを聞いたのはいつだっけ?

初めて乗ったのはいつだ?

ん~?分かりませんなぁ、てゆうか憶えとるわけないわな。
物心ついた時にはもう普通に走っとるんだからね。

車社会の名古屋も、昔のお出かけは家族揃って名鉄特急で、ってのがステータスでした。
それだけ昔の方が交通の便が良かったんでしょうな。

確かにうちも名鉄電車でいろんなとこへ出かけました。
こないだの蒲郡線の件もそう、年末に廃止になったモンキーモノレールもそう。
岐阜の花火も昔は長良橋まで路面電車に乗って見に行っていました。

昔はどこへ行くにも列車でした。
まあ、子供が電車が好きだからってのもあったと思いますけどね。

そんなパノラマカーですが、津島線では何かと馴染みがありました。
津島7:00発豊橋行きと、15年ぐらい前まであった7:04着折返し7:09発鳴海行きは、共にパノラマカーでした。
豊橋行きは一時編成が前後逆転していた時期もありましたが、晩年は豊橋方4両がPで岐阜方4両がスーパーでしたが、元々はPの4+4でした。
豊橋方4両のPは朝森上へ入ってその返しで豊橋行きになっていました。
この頃は尾西線も夕方にはPの定期運用がありました、今となってはシンジラレナ~イ!ですね。
しかもP6の森上行きだったので、津島と森上以外途中駅はケツ2両締切でした。
そして、その4分後にやってくる津島返しの鳴海行き、こいつはP6でした。
幼稚園や小学校低学年の頃は、よくこの列車のエンド交換を見に行っていました。
高校の頃この列車は佐屋着発に変更されてしまいましたが、実はもう一本津島返しの列車が設定されていました、もちろんP6。
8:11着16分発折返しの須ヶ口行き。
専門学校時代はこの列車に乗って学校に行ってました。
何かと朝のPにはお世話になっていたものです。


なんだかんだ言ってもパノラマカーは名古屋のステータスです。
だから、パノラマカーは名鉄に走っていて当たり前、走っていなきゃ名鉄じゃない、・・・。

走ってない、てゆうより走らない。
もう走らない。

ん~、多分すぐに慣れますよ、慣れるけどなんだろうね?
寂しいと言うか、違和感があると言うか、多分そんな感じだと思います。
自分も含め将来7000形の現役時代を知る世代がいなくなったとしても、新幹線0系と共に永遠に語り継がれる伝説の車両になると思います。

でも、ありがとうじゃないんだよなぁ~、・・・、なんだろ?なんて言えばいいんだ?



やっぱり無難に・・・、

      お疲れ様でした



きっぷの話

2009-06-07 01:44:00 | 長編
*容量がデカ過ぎてケータイでは全てを表示できないので、この記事だけはPCでご覧下さい。*

さて、今日はですねぇ、みやっちなりのきっぷの話をしようと思います。

撮り鉄であり食べ鉄でもあり、もちろん乗り鉄でもあるみやっちですが、乗り鉄としてのみやっちは何の変哲もないたった一枚の青春18きっぷから始まりました。

平成6年、15年も前の話ですねぇ、ちょうど中学を卒業した春休みです。
中学時代は当然お金もないのでなかなか遠出も出来ませんからね、自然と地元の名鉄ばかり追っかけるただの名鉄バカでした。
でも、4月からは高校生ということで、とりあえず旅に出たわけですな、日帰りの。
ちなみにこの日は新疋田デビューをした日でもあります。なんか子供の公園デビューみたいだなぁ。
朝早く一宮から375M(現臨時Mながら)に乗って新疋田へ行きました。
当時の疋田は駅員配置駅で、旧駅舎でした。数年前に行って無人駅になったのを知った時はちょっとショックでした。
この日は大カーブ裏(鳩原)へは行かず、南条踏切の大カーブへ行きました。
当時はまだカーブ内側からの撮影も出来たので、内側から撮影していました。
撮影後は敦賀へ寄ってから、帰りましたが、帰り道はなぜか大阪まわりでした。
新疋田で撮影中に、普通に来た道を帰るのはつまらんなぁと思って時刻表とにらめっこした結果、大阪まで出て関西線経由でも名古屋から名鉄の終車に間に合うので、じゃあ行くかってことでそんな帰り道になったんですよ。
どうせ遠まわりするのに草津線や奈良線でカットするのはつまらんなぁって思って、どうせなら大阪まで出て大和路快速で座ってくかっていうことですな。
当時の関西線加茂~亀山間の普通列車はワンマンながらまだキハ58が走ってたんですなぁ、懐かしいですなぁ。



とまあ、今思えば小さい旅ですけどね、当時としてはとても大きな旅でした。そしてこの旅をきっかけに乗り鉄になっちゃったんですねぇ。
そうして旅三昧の高校時代を過ごすはずだったんですけどね、何故か未だに旅三昧の高校時代を勝手に延長しているみやっちがいるんですなぁ・・・。

やっぱね、旅ってのは良いですね。
でもね、楽しいだけが良い旅じゃないんですねぇ、嫌なことや辛いこと、いろんなトラブルなんかがあってずっと記憶に残る旅こそがほんとの良い旅なんじゃないかと思います。

じゃ、ちょっときっぷの話でもしましょうかね、長いけど。
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ほんとに長いですから・・・。


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さあそれじゃきっぷの話しましょうね。

とりあえず現行制度での主なきっぷの種類を軽くおさらいしてみましょうね。

きっぷの種類には列車に乗るための代金として必要な「運賃」と、それに加えて付帯サービスを利用するために必要な「料金」があります。
運賃は簡単に言えば乗車券のことで、普通乗車券のほかに定期乗車券や回数乗車券などがあります。今流行のICカード乗車券は普通乗車券になります。
料金は、特急券や急行券などの余分な出費のことです。
料金券には以下のものがあります。

急行券:急行列車に乗るために必要な料金券
自由席特急券:特急列車の自由席に乗るために必要な料金券
特急券:特急列車に乗るために必要な料金券
新幹線特定特急券:新幹線を隣接駅間で利用するための自由席に限った
            特別な料金券
新幹線自由席特急券:新幹線の自由席に乗るために必要な料金券
のぞみ特定特急券:新幹線のぞみの自由席にも乗れる料金券
新幹線特急券:新幹線に乗るために必要な料金券
のぞみ料金:新幹線のぞみの指定席に乗るための料金
立席特急券:①全車指定席の特急列車で満席の時等に発売されるもの
        ②寝台列車の一部区間を座席利用するためのもの
        共に枚数限定の発売
特別車両券:特別車両(現行ではグリーン車)を利用するために必要な料金券
        特急・急行用と普通列車用があり、普通列車用は首都圏料金と
        それ以外の料金があります
寝台券:寝台列車に乗るために必要な料金券
指定席券:指定席を利用するために必要な料金券
ライナー券・乗車整理券:湘南ライナー、ホームライナー等当該料金券を設定している
               列車を利用するために必要な料金券

じゃ、所蔵のきっぷから出しながらいろいろ説明していきましょうね。

まずは急行列車編。



左は急行列車に乗るために必要な急行券、中は急行列車の指定席に乗るために必要な急行券・指定席券、右は急行列車のグリーン車に乗るために必要な急行券・グリーン券
現代は急行列車自体が数えるほどなのであまり見る機会がないですね。
上3枚はそれぞれ、七尾線で走っていた急行能登路、長野五輪で中央線に走った臨時急行安曇野、グリーン車廃止直前の急行つやまのものです。
中は左が硬券の急行券、右は同じく硬券の準急行券。
昔は急行以外に、準急行も存在し、準急いでゆ、準急東海、準急はまななど急行の列車名として有名な列車は、元をたどれば準急行列車から格上げされたものが多々あります。新幹線超特急ひかり号の列車名も元は九州のしがない準急行列車でした。
下は車内補充券で金額切取式です。

特急列車編。


上はA特急券で右は乗継割引適用例で、下はB特急券です。
元来特別急行列車とは全車指定席なので、券面表記は「特急券・指定席券」ではなく「特急券」です。
なので急行券とは違い「特急券=特急料金+指定席料金」です。
急行券は自由席、特急券は指定席と覚えましょう。
また、特急料金には2種類あり、基本となるA特急料金と首都圏・近畿・九州とその他一部区間に適用しているA特急よりも安く設定されているB特急料金があります。
上左のI LOVEは予土線に愛称が付いたことを記念して走った特急で、車両は車内に特別な装飾をしたキハ185の2両が使われていて、車両のアタマにはカワウソのラッピングをしていました。上右はキハ181初乗車となった特急いそかぜです。
下の特急にちりんは九州で初めて乗った特急列車です。


左はA特急の自由席、右はB特急の自由席です。
特急券で書いたとおり元々全車指定だった特急に自由席が付いたのは、昭和43年10月の白紙改正からです。
特急が大増発されL特急という名前が出来たのもこのときです。
これ以降急行は衰退の一途を辿ることに・・・。
自由席特急券には、一部区間や短区間利用のために特定料金が設定されている場合もあります。
特急の定義は全車指定席であることなので、一応自分の中では定義に沿って「特別急行」と「特急」を使い分けています。
なので基本的に現代には「特別急行列車」と呼ぶに値する列車は存在しないことになりますね。
自由席から指定席等にランクアップして乗車変更をすることは出来ますが、指定席から自由席に変更することは出来ません。これは急行列車でも同じ取扱いです。
指定席類同士の変更であれば特急・急行相互の変更は可能です。



次はグリーン券です。
上の左はA特急グリーン券、右はB特急グリーン券、下は例外でA特急と社線乗り入れのグリーン券です。
特急の基本料金は指定席ですが、グリーン車等を利用する時の特急料金は自由席と同じ料金で、それにグリーン料金を合算します。
グリーン券を払戻す時は、特急券・急行券には手数料が発生しません。たまに間違えて両方に手数料を掛ける係員がいるので、払戻額に注意しましょうね。
左上の特急白鳥は当時昼行特急最長距離を走る列車であり、新幹線を除いて在来線で唯一801㌔以上のグリーン料金がかかる列車でもありました。
廃止後即東北特急で復活したのにはガッカリしたのを覚えています。
右上の特急きらめきは昔北陸特急として走っていましたが、はくたか復活で新幹線長岡接続の役目を終え、九州で通勤特急として復活しました。
そして券面のきらめき1号は平日に限り12連で運転するので、始発の門司港で先頭の7号車に乗車しようとすると、ホームが低すぎるので客車時代のホームの低さを味わうことの出来る唯一の列車でしたが、今は停止目標の位置が変更されたのか少し改札よりになってしまいそれを体験することは出来なくなりました。
下の特急あさぎりは言わずと知れた御殿場線と小田急線を相互乗り入れしている特急です。
JR東海も1編成だけ持っていますが、指定席の管理は台帳方式で(今もそうか?)小田急が管理しているので、小田急に電話取次ぎで席を確保して時刻と号車席番を手書きします。




寝台券ですね。
上はB寝台券で、中はA寝台券(個室)です。
グリーン券と同じで特急料金は自由席料金と同額です。
10年ぐらい前に大阪から出雲市まで山陽・伯備経由で臨時快速ムンライト八重垣が走っていました。
この列車はムンライトで唯一寝台車を連結した列車です。
昔は長距離普通列車でも寝台車を連結していた列車もありましたが、現代では考えられませんね。
八重垣の寝台車は普通列車扱なので券面の料金表示は寝台料金のみです。乗りたかったなぁ・・・。
寝台券の払戻しもグリーン券と同じ扱いです。
寝台券は設備ごとに料金が違い、二人用の場合は個室料金に二人分の特急料金を合算した額になります。
上のはくつるは東北新幹線が八戸まで行っちゃった時に廃止になった列車です。
この時はわざわざ釜石線のSLを撮りに行くのに乗りました。
中のあかつきは九州へ行く時はほぼ毎回お世話になった列車であり、初めてA寝台に乗った列車でもあります。
寝台列車、自分の中では東京発の東海道の寝台列車だけが「ブルートレイン」、それ以外の列車はただの「寝台特急」だと思っています。ということは、富士はやぶさがなくなったので、自分の中にブルトレは存在しないということになります。
現在マルスで発券される寝台券は、開放寝台は普通サイズですが、個室は横長サイズでの発券です。
下の硬券は上は緑の窓口で通常発売されるタイプのもので、下は該当金額の位置で切って発券する一種の常備券タイプのものです。上の寝台券の列車名、みずほですが「みづほ」になっているのが渋いですね。



普通列車用グリーン券
首都圏の普通列車や湘南ライナーに連結されている自由席のグリーン車と、瀬戸大橋線の快速マリンライナーなどの一部の普通列車と一部のライナー列車に連結されている指定席のグリーン車があります。
料金も分かれていて、首都圏のグリーン車suicaサービスの料金とそれ以外の料金があります。
上のマルス券左はsuica導入以前の東海道線の普通列車グリーン券、右は名古屋地区のライナーグリーン券です。
下の磁気グリーン券4枚は上2枚がsuica導入前で、左は英語併記無しで右は英語併記あり。下はsuica導入後で、左が平日料金で右がホリデー料金。平日と土休では料金が異なり、さらに、乗車前に買うのと車内で買うのも料金が異なります。


ライナー券・乗車整理券
料金は列車によって違いますが、券面は似たようなもんです。
券面の湘南ライナー17号は、定期時代の下りながらを小田原まで先行するのによく乗った列車でした。
ライナー列車は電車区へ回送する特急車両を営業化したのが始まりですが、最近はその定義も崩れている気がします。今のライナー列車は、車庫へ回送するというよりも着席保証の帰宅列車という気がします。


指定席券
指定席を利用するのに必要な料金券ですが、基本的に510円で、閑散期・通常期・繁忙期でも変わりますが、地域によっても変わってきます。
早い話が特急の自由席特急料金と特急料金の差額が指定席料金です。
急行列車の指定席なら急行券と指定席券、ムンライトなどの普通列車なら指定席料金のみということです。


立席特急券
全車指定席の列車で満席時に発売されるものと、寝台列車の座席利用できる区間で発売されるものとがあり、共に枚数限定での発売となります。
画像は前者の場合に発券されたものです。
全車指定席の成田エクスプレスで、当該列車が満席になったために発売されました。
全車指定席時代ののぞみや東北新幹線のはやてなど、全車指定席の新幹線列車に対しては設定されていない。


ここからは新幹線編です。
最初は新幹線自由席特急券です。
新幹線の自由席特急券には、自由席、のぞみ特定、特定があります。
自由席特急券は基本ひかり・こだま用で、新幹線特急料金から指定席料金を差引いた金額。
のぞみ特定特急券はのぞみに自由席が設定された時に、特例として設定された料金券で、のぞみ停車駅間に設定されているが金額は自由席特急券と同じ。
新幹線特定特急券は、新幹線隣接停車駅間を利用する場合の専用特急券で、通常の自由席特急料金よりも安く設定されている。
また、隣接駅間の中間に新たに新幹線の駅が設置された場合は従来の区間もそのまま特定料金が適用される。(例)名古屋~豊橋間で、あとから開業した三河安城から両駅までの特定特急は840円、名古屋~豊橋間は従来通り950円となる。
左はのぞみが全車指定席だった頃の自由席特急券、中はのぞみに自由席が設定された後の自由席特急券・のぞみ特定兼用の自由席特急券、右は隣接駅間に設定されている特定特急券。


新幹線特急券
新幹線も開業当初は全車指定席でした。
左はのぞみの特急券、右はひかり・こだまの特急券です。
両方とも東名間の方が分かりやすいけど、東名間のひかりの普通車の特急券がなかったので距離も料金も同じ岡山で例を挙げました。画像のひかりの特急料金は閑散期の料金ですが、通常期で比較すると東名間ののぞみひかりの差額は200円です。




新幹線同士の乗継特急券
大宮・高崎と東京以外の新幹線停車駅で改札を出ずに同一方向の列車に乗り継ぐ場合は、発駅から着駅まで通しの料金で計算できます。
画像は東海道山陽新幹線で博多から帰る時に新大阪で乗り継いだ例です。
新大阪まではひかりレールスターを、新大阪からはのぞみをそれぞれ利用しました。
乗り継いだ場合ののぞみ料金は、実際ののぞみ利用区間の差額がかかります。画像の場合は新大阪~名古屋間の200円がかかっています。
指定券面右下に(席)、(回)と印字されていますが、これは原券の種類を表しているみたいです。見たことのある表示は(特)、(席)、(回)だけですが、(特)は指定席を利用できる特別企画乗車券の時、(席)は席無し指定というモニタ表示ですが、いまいち意味が分かりません、(回)は当然指定席回数券を利用した時です。
どれが印字してあってもあまり関係ないらしいようで・・・、じゃあなんの意味があるんだ?
大宮・高崎は同一方向なら他駅と同じように計算できますが、東北⇔上越、上越⇔長野の相互(共に上り→下り方向)の列車では2個列車として計算します。東京駅の場合は東京駅だからですね。
下の硬券は乗継ではないですが、上のマルス券と同じで乗継の場合は1個目の列車と2個目の列車の列車名号車席番が記入されます。


九州新幹線の特定割引
博多~鹿児島中央間でリレーつばめと新幹線つばめを新八代で改札を出ずに乗り継ぐ場合は、両列車を1個列車とみなして通しの特定特急料金で計算します。
博多~鹿児島中央間を2個列車で計算すると5,090円、通し料金は4,060円で約2割安くなってますね。リレーつばめを山陽新幹線と九州新幹線で挟む場合は、通しではなく通常の乗継割引が適用されます。さらに東海道山陽新幹線の前(または後)に在来線特急を利用する場合はそちらに乗継割引を適用し、リレーつばめは通しで計算します。
料金上は1個列車でも、実際は2個列車です。乗車変更の時は気を付けましょう(体験談)


乗車券じゃない乗車券、東海道新幹線のぷらっとこだま、普通の乗車券・特急券ではなくJR東海ツアーズが主催する個人包括旅行です。
なので、取消料はJRの手数料ではなく旅行商品の取消料が適用されます。
東名間のぞみは速すぎてしんどいですが、こだまならワンドリンク付いてのんびりできて快適です。
基本的にマルスのような席番指定はできませんが、空いてる列車なら海・山、窓・通路の指定は可能です。
ちなみにグリーン車の持ち席は禁煙車で8席ほどです。


特例扱いの料金券
JRのフリーきっぷで自由席を利用できるもののほとんどが、指定席を利用するのには特急料金を二重に払わなければいけません。
そこで、JR九州は二重徴収を解消しました。
それが料金券です。
周遊きっぷはゾーン内は自由席に乗れますが、指定席やグリーン車を利用するにはもう一回特急料金を払う必要があります。
自由席が利用できるって事は普通に考えれば自由席特急料金が入ってるって事なのに、指定席を利用するのに特急料金をもう一回払う必要はありません。指定席料金だけ払えばいいんですよ、常識的に。
で、JR九州は自社の自由席利用のフリーきっぷに対して二重徴収を解消するために料金券が設定されました。
設定されたのはJR九州チャレンジ2000㌔という企画の時です。
この企画には専用のフリーきっぷが3種類設定されていて、共に自由席利用のもので、当初は指定席・グリーン車を利用するには別途特急券・グリーン券が必要でした。
数ヵ月後にそのきっぷを利用してグリーン券を買った時には料金券が設定されていたので、話を聞いたらそういう事情だったそうです。
画像は左が通常のB特急・グリーン券、右がグリーン料金券です。
周遊きっぷもこうしてもらいたいもんですな。


次は特殊な発売方の指定席券類行きましょうね。

前出のあさぎりですね。
端末落しではなく小田急持ちなので、電話取次ぎで座席を確保します。
号車席番の指定は可能です。


銀河亡き後唯一の客車急行はまなす。
座席車、寝台車に加え、カーペット車もつないでバラエティーに富んだ列車ですが、カーペット車の発券方は超特殊で、青森駅と北海道以外で発券する場合は購入不可の場合もありうるぐらいの難易度です。
この車両の発券方のキーワードは、「はまなすカーペット」と「B寝台」です。
座席車でありながら、設備は「B寝台」で入力し、席は上下段入力になります。
そして列車名は「はまなすカーペット」です。


九州新幹線通し券
そこまで特殊じゃないですが、一応特殊な券です。
新幹線とリレーつばめを直通する場合は2つの列車を1個の列車として発券します。
他の列車の特急券等からこの通し券に変更する場合は、原則として新幹線とリレーつばめの2個列車として扱います。


今は買えないムンライトながらのボックス。
マルス、MV機共に列車名は「ムンライトながら(コ)」
マルスでは席番指定できるのに、東日本のMVでも席番指定できない不思議な席。


マリンライナーのパノラマグリーン席のグリーン券です。
213系から5000系+223系になってグリーン車は指定席とくっ付いて2階建てになりました。そのうちの4席、1ABCD席番はパノラマ席として発売されています。
列車名は「マリン・パノラマ」
MV機でも発券は可能だけど、席番指定はできません。


特急つばめ(現リレーつばめ)のグリーン個室、これもなかなかの曲者です。
4人用個室のくせに、何人で利用しても人数は2人で入力します。


常備補充券
18きっぷシーズンになると赤地の常備券を買い求めるマニアがよくいますが、この特急券もそれと同じものです。
この券は豊肥本線宮地で買ったものですが、現在は宮地もマルスが導入されてしまったので買うことができません。
簡易委託駅は買えるかどうかわかりませんが、基本的にJR社員のいる駅で時刻表の索引地図に緑の窓口の印がない駅で買うことができると思います。
マルスに頼る今の窓口業務において、営業制度と乗車券類の発券方を熟知していないと正しく切れないきっぷです。現代においてきっぷの中のきっぷです。



元名鉄の特急北アルプス連絡特急券
もう何年前ですかねぇ?高速バスひだ高山くんにおされて廃止になってしまいましたね。
運転当時は名鉄とJRの間で連絡特急券が発売されていました。
歴史は古く準急たかやままで遡ります。
この連絡特急券はあさぎりとは違い、マルスで座席管理していました。
なので、名鉄の駅(発売窓口は名古屋3駅と江南・犬山に限定)で発券する場合は、JRへの電話取次ぎだったような気がします。
下の紙券は犬山までの社線内特急として利用する場合の特急券で、席指定はなく自由席特急券扱いで、料金は名鉄の座席指定特急と同額でした。


ひかりレールスター各種指定席券
これは最もポピュラーな特殊券じゃないですかね?
レールスターには大型背面テーブルとAC電源を備えた「オフィスシート」と緊急時以外車内放送、検札、車販の声かけを一切カットした「サイレンスカー」があります。
マルス発券時の列車名は、オフィスシートは「オフィスひかり」、サイレンスカーは「サイレンスひかり」です。
JR東海以外(新大阪・京都は除く)の駅なら簡単に発券できると思いますが、東北・北海道方面はあまり馴染みがなさそうですが、東海よりは早く発券できそうな気がします。


特殊券ではありませんが、懐かしい券を。
マルス105ですね、まだ漢字が使えない機種です。


さてさて、ほんの一部の例を挙げましたが、他にも特殊な発券方のきっぷはいろいろあると思うので、暇な人は窓口の係員と遊んであげて下さい。


次は乗車券編です。
硬券乗車券類もちょこちょこ出てきますよ。

乗車券には主に以下の種類があります。

普通乗車券:主に発駅から着駅までの片道乗車券
往復乗車券:主に発駅から着駅までを同一経路で往復利用する場合の乗車券
連続乗車券:原則として片道にも往復にも当てはまらない乗車券
回数乗車券:普通乗車券のまとめ売り、一般的には10枚分の金額で11枚つづりで
        発売されるが、会社や区間によって枚数・金額の設定は多種多様である

じゃ、こちらも所蔵から出しながら見て行きましょうね。
まずは普通乗車券から。



まずは硬券乗車券ですね。
上2枚はエドモンソン券で、乗車券として一般的なもの。
左下はB型券と呼ばれる用紙節約型のもの、右下はエドモンソン券と同じサイズで、現在券売機で発売される乗車券類の一般的なもの。
平成初頭まではJR各社でも硬券乗車券や硬券入場券が発売されていましたが、現在はほぼ消滅していると思われます。




マルス発券の普通乗車券
左は通常の片道乗車券、右は簡易委託駅等で発売されるタイプのもの。
様式は同じですが、委託券は日付を空白にして発券されます。
マルス券の湊町の表記が懐かしいですなぁ。
下2枚は通称パソコン券です。今普及しているMR端末が出まわるまではよく見ることができた券です。
上は米原の中間窓口で発券したもの、下は関西空港開業日に関空内のTisで発券したものです。米原の登録がマイハラになっていますが、実は駅名は濁っていますが当時の町名は濁らなかったのです。ただし、現在は市制施行で米原市になり、同時にマイバラと濁るようになったようです。
現在はどちらもMR機になっています。
今はこの券自体廃止になっていると思います。
JRをはじめとする日本の鉄道の運賃は、遠くへ行けば行くほど運賃比率が安くなる遠距離低減法を採用しているので、大多数は一枚で普通に買った方が安くなるが、一部は何枚かに分割して買った方が安くなる場合もある。
101㌔以上の乗車券は発駅から着駅までの間は戻らない限り何回でも途中下車ができるが、101㌔以上の山手線内発または着と201㌔以上の特定都区市内発または着の場合、その範囲内の駅では途中下車はできない。


常備券タイプの普通乗車券
マルスが普及した現代では、前出の特急券の常備券と共に目にする機会は少ないが、端末が設置されていない駅や、端末のトラブル時には常備券が使用されることがある。
特急券よりは手に入れる機会は多い券ではある。


入場券と同額の区間を兼用したタイプの乗車券。
今はこのタイプの券はないですね。
昔は名鉄でもこの手のタイプの券は多々ありました。
列車に立ち入ることのできない入場券と、列車に乗るための乗車券が1枚になっているのはおかしな現象ですね。



みなさまおなじみの青春18きっぷ。
今はマニア御用達になっている常備券タイプよりも貴重なやつです。
普通乗車券で出したパソコン券タイプの18きっぷです。
上は5枚1セットだった旧タイプ、下は1枚で発券される現行タイプ。
券が違うだけで中身は同じですね。
ちなみに常備券タイプの18きっぷですが、年々発売駅が減少する中、米原駅が春で発売を終了したようです。


これもちょっと特殊な乗車券、団体用の区変券です。
団体の場合乗車券は1枚で発券されるので、着駅で改札を出ずにその先を利用する場合普通乗車券を買うことになります。
普通乗車券の変更なら、原券欄は原券の区間が表示されます。
この券は原券が団体なので原券欄には団と表示されています。
実際問題この時は岐阜で改札を出たので、この券は団体区変が欲しかったがためにわざわざ買っただけです。


懐かしい学割券ですな。
学生時代の話もひと昔前の話になってしまいました、歳はとりたくないもんですな。
この券は関空へ行った時ですかな?
シャトルだけの暫定開業だったか、試運転を始めたかどっちかだと思います。
中一から専門学校まで8年間で何枚学割を使ったことやら・・・。
専門学校時代なんて年間の枚数制限があったにもかかわらず、他の生徒がほとんど使わんのだでその分を回してくれ的なのりで使いまくってました。
今時の学生って学割使うの?っていうか学割の存在知ってる?
学生の鉄ヲタは当然知ってるよね?
あ~ぁ学割使いたいなぁ・・・。


普通回数乗車券
この場合は券面区間の10枚分の運賃で11枚発券されるものです。
普通回数券の場合は11枚つづりが基本になっている。
新幹線の回数券は主に6枚、在来線の特急回数券は主に4枚で発売されます。
九州の場合は他に2枚で発売される2枚きっぷもある。
回数券の中には最近流行の価格競争の波に押され、2枚または4枚で発売される激安きっぷもある。が、それらはどちらかというと企画きっぷ的要素が強い。なので、発売期間等が設定されている場合もある。
普通・特急・新幹線共に、金券ショップがばら売りで扱っている。
回数券が使いきれなかった場合は、金券ショップに持ち込めば買い取ってもらえる。
グループなどで利用する場合、結構重宝するきっぷでもある。


往復乗車券
上は600㌔までの通常の往復券、下は601㌔以上の往復割引(復割)適用の往復券。
復割は片道1割ずつの割引で往復で2割になる。学割適用の場合、復割の1割を引いたあとで学割の2割を引きます。一気に3割引くのは×。
下関~博多間の山陽新幹線と山陽・鹿児島線が経路に含まれる場合は、往復で経路が異なる場合でも復割は適用されます。
また、乗車区間が復割適用外の600㌔以下の場合、601㌔以上になる駅までの乗車券で発券した方が安くなる場合がある。


連続乗車券
普通乗車券じゃなく、往復乗車券でもないです。
画像の券は数年前まで時刻表のピンクのページに計算の例として載っていた経路です。
連続の有効期間は2枚の有効期間を合算した日にちになります。
あまり使う機会はない乗車券だと思います。


乗車券じゃないけど入場券も書いときましょうね。
同じ入場券でも端末によって書式等が違うんですよ、だから窓口が多数あって端末も様々な機種が置いてある場合は同じ駅であっても違う書式の券が出てきます。
画像は名古屋駅の入場券ですが、全て違う機種の端末で発券したものです。
左はパタパタの301端末、中は現行のMR端末、右はPOS端末です。
POS端末はあまりなじみがないと思います、今はこの機種はないと思います。


同じ日に買っても違うんですね。
左はマルスで発売時刻の入った2時間以内有効、右は新幹線の券売機で発券した当日一回限り有効のもの。
この頃は東海も発売2時間以内になった頃なので券面はスタンプで対応していたものもありました。


左は前出のPOS端末、右は基本的に発券しないらしい幻に近いパタパタマルス券。
蒲郡のPOS券は、東海がPOS端末を導入して間もない頃にたまたま窓口の係員さんに教えてもらって買ったものです。当時の蒲郡はパタパタなので、もちろんそっちも買いました。
そして、鳳の入場券は基本的には窓口発売をしていなかったらしく(当時)、発券にかなり時間がかかりました。
書式も「駅」の文字が入らないのはこの駅だけだと思います。
ちなみに端末はパタパタの301です。


これもちょっと変わった入場券ですね。
竹野はMR端末じゃなくて、昔の西日本に多数存在したSKS端末だったと思います。
MRと同じタッチパネル式ながらちょっと違うんですね。
買ったはいいけど車補タイプで出てきてちょっとビックリでした、保存に困る・・・。
書式は普通のやつと変わらないですね。


すぺしゃる入場券、餘部駅入場券!!!!!
日付からして下り出雲最終日ですな。
この日は豊岡鉄道部が来ていて、オレンジカード等を発売しながらちゃっかり帰りのきっぷも売っていました。
そこで、入場券は出んかね?と聞いたところ、出ると言うので買っちまいました。
駅持ちの端末なんですね。書式は車補券の様式とは違い、ちゃんと入場券の様式があるんですね。
車補入場券、多分最初で最期でしょうね。


JRには列車だけじゃなく、自動車線もあります。
今はJRバス各社が引継いでいます。
画像はJR東海バスのドリーム号のバス指定券です。
列車と違って指定席料金、特急、急行、超特急料金はかかりません。
運賃だけでいいんです。
JRバス各社共同運営のネット予約サイトがあるので、みどりの窓口で発売される機会は減りましたが、割引無しの普通運賃でも良ければ今でもみどりの窓口で発券できます。



とまあ、きっぷ自体の話はこんなもんですかねぇ?
次はちょっと体験談的話や、鉄ちゃん的話をしましょうね。
まだまだ終わりませんよ。

ね、長いって言ったでしょ・・・。



まずね、一番ありえんきっぷからいきましょうね、これはほんとありえんよ。

なんの変哲もない土佐くろしお鉄道窪川駅発行の硬券乗車券ですが、よ~く見てくださいね、一ヶ所だけ変なところがありますからね。
分かりました?
あのね、発売当日限りってところがね、発売当限限り有効になってるのね、ありえん誤刷りですな。


あんまりないことですけどね、日付相違の誤発行です。
可部線の廃止区間を乗りに行く予定だった時の帰りの新幹線の特急券です。
何から乗変したか覚えてないんですけどね、レールスターのオフィスシートに変更しようと思ったら、あっさり取れちゃったからラッキーって思ってたんですよ。
いざ乗ったら座ってる人がいるじゃないですか、オイオイって感じで券面見たら日付昨日ぢゃん!って感じで車掌室へ行って、事情を説明して調整席を充ててもらいました。
当日広島駅の改札係員も日付を見落としとるからいけませんわな。
こういうこと以外でも調整席自体は結構充ててもらうことが多いですよ。


誤発行つながりで、出雲の話しもしましょうね。
この出雲さんは東海には何回も誤発行されました。
この券を買いに行った時は、廃止直前の3/13日分を取りに行きました。もちろん朝10時に。
そしたらね、何故か発券できたんですよ、不思議に思ってカウンターを覗き込んで券を見ましたらね、個室番号22番、・・・?、列車名を見たらサンライズ出雲、・・・?、
いや列車違うけどってことになりますわなぁ、それから出雲を照会しても空いとるわけないわ。んで2/14日まで遡って全ての日付を調べさせたらたまたま翌日の2/14日が空いとったってわけですよ。
申込書に「出雲」って書いてあるのに、わざわざサンライズで出すアホも珍しいと思いますが、同じことが2回ありましたからね、もう意味が分からん。
いざ乗ったら乗ったで、肝心な餘部を通過する時は二度寝しちゃうしね、こっちも意味が分からんわ。
みなさんもね、日付と列車名には気を付けましょうね。


乗車券と料金券を1枚で発券したやつですね。
本来は乗車券と料金券は別々で発券しないといけないんですけどね、今は全て1枚で発券するのが主流ですね、自動改札を使わせたいから。
乗車券・特急券や、乗車券・指定券ぐらいならまだ見れますけどね、↓のやつぐらいになるともう見れんよ。

左は新幹線グリーン券の1枚発券、右は回数券の指定券発行。
・・・、見れんね。
在来線のグリーンや回数券ならまだ見れますけどね、新幹線は見れんわ。
なぜ見れんかってね、新幹線の自動改札は改札データが印字されるからなんですよ。
有人改札でチケッター入れてもらう分にはそんなに気にならんのだけどね、自改は何故か気になるんだよね。


さて、ここからはちょっとマニアックな話しをしましょうね。

上の4枚は名古屋発名古屋着の一筆書き乗車券ですが、これもれっきとした片道乗車券です。駅名略からナコナコ券と呼んでいます。
左上は中学時代に初めて買ったやつ、右上は高校時代に初めて新宮夜行に乗った時のやつ、左下は出雲廃止直前で山陰線内の工事で時変がかかって餘部でバリ順撮影のために行った時のやつ、右下はC57-180が門デフを付けて信越線を走った時のやつです。
最初のやつは一番単純な岐阜・美濃太田・多治見・金山経由です。
2回目は、東海道・新大阪・紀勢線・亀山・関西線経由で新大阪から新宮夜行に乗って、紀伊勝浦から普通列車グリーン車扱いの当時の南紀2号の3列グリーンに新宮まで料金無しで乗せてもらい、新宮からは普通列車で亀山経由で関西線で帰りました。
3回目は、出雲廃止3ヶ月前に山陰線内の工事のために京都から時刻変更が行われ、餘部を定時より2時間ほど遅く通過するので、バリバリ順光で撮影できるということで、前日から関西線・片町線・JR東西線・東海道・伯備線・山陰線まわりで前乗りして鳥取でSTBしました。そして翌日出雲さんは超バリ順の中を通過していきました。この券は行きに京都を通らない経路なので帰りに京都を通って東海道経由でまんまと片道きっぷで済ませることができます。この券を買いに行った時は、申込書に経路を全て書いたにもかかわらず時間掛かりそうだったので、口頭で線名・接続駅を指示しました。
4回目は、門デフC57を撮るために米原から急行きたぐにで直江津へ行き、帰りは新潟からムンライトえちごで東京まわりで帰りました。
そういえばこの券を買いに行った時に窓口のお姉ちゃんがアホなことぬかしとったなぁ、もちろん毎度おなじみの名古屋駅みどりの窓口ですよ。
新潟からえちごで新宿に着くけど、乗車券は最短距離の東京経由で発券されるもんだから、「新宿では途中下車できませんけどいいですか?」だって、・・・。
最短距離で計算するだけだから新宿でも途中下車できるけどって言っときましたけどね。
これね、相手が一般のお客さんだったらボッタクリになりかねませんからね、東海にはもうちょっと営業制度の熟知徹底をしてもらわな困りますな。窓口だけじゃなく車掌もね。新幹線だけ10秒で発券できてもなんの役にもたたんし。



前出のナコナコ券のような乗車券は一筆書き乗車券または大回り乗車券と呼ばれますが、普通の片道乗車券で多数の経路を通る乗車券を多経路乗車券と呼びます。
多経路乗車券といえば、故・宮脇俊三氏が有名ですね。
最長片道切符といえば分かりますね、あれも多経路乗車券になります。
通常の普通乗車券では上のナコナコ券のように経路は8路線まで印字されます。
通常9路線以上になるとあとは手書きで追加されますが、どうやら本来は経路記入だけで補充券を切らないといけないようです。
下は周遊きっぷゆき券ですが、経路は13路線印字されています。が、実際には鹿児島線のあとに小倉・新幹線・博多が付くので、16路線になります。
これも毎度おなじみの時間のかかる名古屋駅ですが、周遊きっぷ+多経路乗車をやると発券までに1時間待ちは当たり前なので、なるべく暇そうな時に買いに行きましょう。

次はまた営業制度の話です。

通常201㌔以上の乗車券は、在来線経由だろうが新幹線経由だろうが特定都区市内が設定されている場合は、「市内」または「都区内」の表示がされます。
ところが、マルスのあるキーを使うと特定都区市内でも個々の駅発着の券を切ることができます。
そのキーは「乗車駅単駅指定」「降車駅単駅指定」です。
通常の券と比べると、↓のようになります。

降車駅単駅指定の例ですね。
上は通常発券なので名古屋市内着、下は名古屋駅の単駅指定。
上の場合、市内での途中下車はできないが、最遠で東海道線南大高までと関西線の春田まで、中央線の新守山まで乗車することができる。
下の場合、南大高から名古屋までの東海道線各駅で途中下車できるが、単駅指定なので関西線、中央線の市内設定駅までは当然ながら乗車できない。
使いようによっては便利な機能だが、実はこのキー、一般発売には使用不可である。
単駅指定は団体乗車券で使用するらしく、博多の窓口で教えてもらいました。
今は単駅の指示はしないですが、当時東海はそれを知ってか知らずか、こちらの指示通り単駅で発売しとったのはどうだったんだ?
では過去の単駅指定発券をどうぞ。

北九州市内発ですが、名古屋から周遊きっぷで経路1の場合、北九市内より門司単駅の方が数十円安くなるんですなぁ。たった数十円ですけどね。


営業制度最後は山手線内発着の乗車券です。
東京都区内発には201㌔以上の乗車券に適用する「都区内」と、101㌔以上200㌔までに適用する「山手線内」があります。
都区内発は前出の特定都区市内発と同じですが、山手線内もほぼ同じようなものです。
上は東京から軽井沢までで山手線内が適用になった券ですが、下は高崎から山手線内を外した大井町着の券です。
後者は当時の東日本はきっぷをもらっていけなかったので、もらって行くために山手線内を外して大井町着にしたものです。結果的に東京で途中下車してそのまま持ってきました。
特定都区市内も山手線内も中心駅発着の運賃で設定区間の最遠着駅まで乗車できるのは良いのですが、途中下車できないのはどうも解せません。
手前の駅まででよい場合でも中心駅まで運賃が取られるわけだし。
JRも細かいところで未だに国鉄を引きずってるんだよねぇ・・・。そういうところはなんとかならんのかねぇ?


あんまりどうでもいいことですけどね、ちょっとマニアックなことを。
車内で買う車内補充券、今の車補は必ず列車番号が入るんですよ。
なのでね、記念に残すにはもってこいなんですよ、感熱紙であることを除けば。
で、左は廃止になった特急いそかぜの車補券、右は関係ないですが特急くろしおの車補券。
当時いそかぜは29D・30Dを名乗っていました、ちゃんと29Dと印字されてますね。
これはいそかぜという名前を特急券とは別の形で残せんかと考えた結果、車補で発券すれば列番が入るじゃんてことで車補で買ったわけです。
ちなみにこの2枚の券、両方とも乗継なのが分かりますかねぇ?
いそかぜは在来線→新幹線、くろしおは新幹線→在来線です。
車補の乗継って基本的にありえないですよね。
乗継の場合、原則乗車前に買うことになっています。
いそかぜの車補は計画犯でしたが、事前にどうしても買えない場合は車補でも発券してもらえると思いますが、基本はあくまでも乗車前に買っておくことが必要です。
さて、問題はくろしおの車補乗継ですよ。
これね、実はね、車掌さんの好意ですね。新大阪まで新幹線使ったんですけどね、特急券はもらってきたんですよ。で、財布ん中に入ってたのがチラッと見えたんですな。
車掌が新幹線乗ってきた?って聞くもんだから、特急券見せて乗継にしてもらいました。このパターンは東海じゃなくても絶対にありえないですな。
でも期待していないことを現場の機転でしてもらえると嬉しいですね。


さあさあ、長かったですけどね次で最後でございますよ。
みなさんね、窓口で指定券を買う時に席番の指定をすることはないですか?
ABCDね、あれね、紛らわしい時あるよねぇ。
それをね解消する方法教えましょうね。

左上から時計回りに15A・12B・3C・1Dですが、A席はアメリカ、B席はボストン、C席はチャイナ、D席はデンマークと言います。なので、画像の場合は15番アメリカ、12番ボストン、3番チャイナ、1番デンマークになります。
これは旅行会社等で席番確認の際に混同しないようにするために使っています。

新幹線の場合はE席まであるので、E席はイングランドになります。
画像のE席は、14番イングランドになりますね。
この言い方は旅行会社ならほぼ100%通じますが、駅の窓口だとたまに通じんやつもいるので注意です。



さあさあさあ、長かったですなぁ。
ようやくこの記事も終わりですぞぉ、よくお付き合いくださいましたね。
付き合ったからってなんも出ませんよ。
まあまあまあ、そういうことですのでね、また暇な時に覗いてくださいね。
じゃお疲れさん。