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SH快特みやっち

旅する鉄ちゃんが気が向いた時に作品を上げるページ。

3ヶ月後の被災地~岩手沿岸縦断編~大湊線乗りつぶし&撤収番外編~

2011-10-09 22:12:00 | 長編
6月21日
3日目は大湊線を乗りつぶし。

ゆっくり朝食を食べてからチェックアウトです。

野辺地まで青い森鉄道に乗っていきます。

八戸以北は移管後初めて乗ります。
隣のホームに停まっとる車両は、フロントガラスをアイロンたわしで洗っとるけどいいのか?
傷付いてしまうで。



野辺地に着いたらまず指定券を買います。

30分前で余裕で取れた。
野辺地はみどりの窓口は置いてないんだね。
マルスはMR端末じゃなくてノートパソコンで、しかも旅セとかにある法人端末です。
発券は時間に余裕を持って来ましょうね。
自由席が付いとると思っとるアホな鉄ちゃんが、乗車直前に大騒ぎしとったし。
鉄ちゃんのくせに(爆)

指定券も買って時間があったし、徒歩5分て書いてあったから防雪林へ行くことに。



いざ来たら10分もかかってしまった。

いやぁ、清々しい。
よし戻ろう。


あすなろがやって来ました。
・・・。
ガラガラやん。
ほりゃあ30分前でも取れるわな。

海沿いに出ると・・・。

まるで北海道。


大湊に着いた。
返しまで1時間。
特にやることなし!

まあ駅でぼけーっとしとるのもなんだから、駅の近くをぶらぶらすることに。
したら・・・、

こんなポスターがあった。
青森力を結集すると新幹線が右側通行になる力が使えます。
ドッカ~ンbomb

してもまだ時間があるから、これも載っけとくかね。



駅舎の壁ね。
右から見たら夜景で、左から見ると昼間。
遠目から見るときれいだけど、近付いてじっくり見ようとするとドットが荒すぎてばっちいの。

さてさて、やっと帰りの列車がきました。

帰りは八戸直通の快速しもきたに乗っていきます。
さすがに吉永さんは降りてこんわな(笑)

陸奥横浜で行き合いしたあすなろは1号よりガラガラでした。


八戸で盛岡行きに乗換。

IGR直通の青い森車。


盛岡到着。
大湊できっぷ買ったらIGR着は発券できんかったから、仙北町で切りました。

なので、きっぷくださいじゃなくて乗り継ぎと言ってもらってきました。

この日は駅前の東横イン泊です。


6月22日
はい撤収撤収。
帰りまっせ。

帰るのになぜかIGRに乗ります。


で、厨川で下車。

厨川から郡山行きの高速バスに乗ります。

東北新幹線が不通だった時に、運行しとった福島線と郡山線を統合して定期路線化したやつね。
盛岡駅からでも乗れるけど、始発から乗りたいのがバッちゃんの性(笑)
てゆうかミドルデッカーかよ。

で、いざふたを開けると45人乗りで乗客2人(みやっち込み)
・・・。
ち~ん。
ま、気付いた時には廃止になっとるわって思っとったら、8月31日付で見事廃止になりました。

長者原、国見で休憩して、福島駅、二本松は9分の早通で、郡山駅には予想外の5分の早着。

予想外の早着で乗継のあぶくまさんまで2時間もある・・・。

駅のフードコートでラーメン食べてきました。
で、ようやくあぶくまさんが来ました。

やっぱりエアロアースだねぇ。
那須高原と羽生で休憩して、新宿には20分の早着。

やっぱり東口の降車は微妙だなぁ。

でもって松屋でごはん食べてから飯田橋へ飲みに・・・、否、GTYへ。
ま、最後にゃ飲むんだけどね。


ギリ健全な黄色の電車に乗って新宿へ。

中央高速線の夜行便で帰ります。


相変わらずの20分の早着。
んじゃそういうことでね、岩手沿岸縦断編も終わり。
なんとか書き上げたぞ。

よし、んじゃあ来週だ。
文久三年!



2ヶ月後の被災地~弾丸仙石線・石巻編~

2011-10-02 23:01:00 | 長編
長らくお待たせしておりましたね、伝わらないから書くだけムダな長編記事ですよ。
いつも通り分かってもらえる人だけに分かってもらえれば、それだけで十分です。

長編だからPCで見てね。

さてさて、今回はですね、5月の仙石線・石巻編です。
この時点では柳津~志津川間には未だ代行も振替もなかったので、今回も南三陸町は見送ることに。
7月から代行区間が松島海岸~矢本に短縮されたけど、この時はまだ東塩釜~石巻間でした。
運転取扱の関係で列車の運転は高城町と矢本までだけど、陸前大塚までと陸前小野までは工事さえすれば走れなくもない感じがしました。
結局、東名から野蒜にかけての東松島市内が壊滅的で、代行を余儀なくされているのです。
暫くは電車代行が続きそうですな。

でもって、今回は4月以上に弾丸だったので、行きは青葉くんで仙台直行、帰りは東京でGTYの写真展会合で呑んだくれて帰ってきました。
まだ写真展の締切前だったんだなぁ。
あの時は写真展に出す気全く無かったから、ストックで適当にあしらう気満々だったもん。

よし、本編行ってみよー!




5月19日
名鉄BC21時発のどんたくんを見送って、21時半発の仙台行き青葉くんに乗っていきます。

さりげなく青葉くん初乗りです。
途中休憩は駒ヶ岳と国見のはずがなぜか駒ヶ岳は乗務員交替だけで、夜中の2時ぐらいに本来乗務員交替だけの妙高で開放休憩をした。
なしてそんな真夜中にわざわざ起こすだや?

5月20日
でもって翌朝は普通に国見で休憩。



仙台には6分の早着でした。

新幹線が走っとるって至って普通のことだけど、やっぱ安心感が違いますな。



そそくさと仙石線に乗って野蒜へ。
東塩釜で電車代行に乗換です。


7月に高城町まで再開したわけだけど、この時点で復旧作業は軌道修正をしている段階でした。
陸前大塚までは大きな被害は無いように見えたけど、一山越えて東名に出たら状況は一変しました。


2ヶ月経っても引かない水。


水没した車や瓦礫で埋まる川(運河)。



そうして野蒜駅で下車。
駅前はきれいにはなったみたいだけど、倒れかけた街灯に中が抜けた案内板。

駅の横のヤマザキショップもあの日のまま。



駅舎の中も瓦礫で埋まり、駅事務室も窓は破れて制御盤が残っているだけでした。


駅構内も土砂と瓦礫で埋まっています。
状況を見に来ていた保線区の人に聞いたら、仙石線で一番被害が大きい区間だそうで、このあと石巻まで行ってその話に納得しました。


東名方では転轍器が転がっていて、その先は架線が切れていました。

架線が垂れてる架線柱の横には、一階の柱のうち一本がなくなっているのに奇跡のように建っている家がありました。
流石にもう取り壊されただろうなぁ。

野蒜から東名に向かう線路は一直線に延びていました。

でも、今は路盤はえぐられ、軌道も曲がっています。


線路のすぐ横にある野蒜郵便局。
局内はすっからかん。


局のそばには流されたカブ。


野蒜小学校の職員室の黒板ですかね?
線路脇にありました。


警報器が倒れてるけど、もうどこが線路か分からん。

よく地方へ撮影に行くとショートカットとかして平気で生きた線路を歩いてるけど、列車の走っていない死んだ線路を歩くのはやっぱり寂しい。
廃線も死んだ線路だけど、それとは違った寂しさがある。


道路沿いの家の庭先は流されてきた瓦礫が山積みになっていました。

道路沿いで見た失われた日常。

道具は意思を持たない物ではなく意思を持つもの。
道具は人一倍大切に扱うみやっちは、こういう光景を見ると悲しいです。


玄関先にあった足踏みミシン。
今どき一般家庭に足踏みミシンがあるってすごいね。
ずっと大切に扱われてきたんだろうねぇ、うれしいなぁ。


努力賞のノート。
また頑張ってもらおうね。


運河沿いを歩いて東名へ来ると、軌道内は瓦礫で埋まっていました。
当然軌道中心はずれてます。



線路の近くのアパートの駐車場にはボンネットも屋根もはがれた車がありました。


東名駅の裏。
流される建物と流されない建物の違いって一体なんだろうね?


陸橋から見た東名駅。
土砂が流入して、線路はめくれ上がっていました。


ジェットコースターのレールではないですよ。
ホームから見ると線路と枕木が柵みたい。



東名から代行バスに乗って石巻へ向かいます。


野蒜の先ではとりこになったままの列車がいました。


一時間ちょっとで石巻に到着。
いたるところにサイボーグ009がいます。
石巻は石ノ森章太郎の出身地です。

今回女川は諦めてたから時間はたっぷりあるので、とりあえず渡波ぐらいまで行けるとこまで歩いて行くことにしました。




駅周辺では信号は点いてたけど、商店街の方はまだ復旧してません。
お巡りさんが交通整理してました。


北上川まで来ると、まだまだ手付かずのままの瓦礫がたくさん残っていました。
中洲の漫画記念館も被災して、復旧の目処が立っていません。


船も打ち上げられていました。

橋を渡ると、陸前高田や田老とは違い、未だ片付かない石巻の現状がありました。
ニュースであれだけ石巻は人手が足りないって言っていた意味が理解できました。





神社の境内も瓦礫で溢れ、いたるところに漁船が打ち上げられていました。
学習塾の前には泥にまみれた机とイスが。

ある家の壁にはこんな横断幕が。

こうやって感謝の気持ちを示されると、やってる方は当たり前のことをしているんだけなんだけどね、やった甲斐があるってもんですわね。
う~ん、でも自分は何を協力したんだろう?
自分の目で見たものを撮って書いてブログに載せとるだけじゃそこら辺のやじ馬と変わらんよね。
こんな記事で何か役に立ってますか?

ここから先へ進むにつれて状況はどんどんひどくなってきました。

道も狭くなってきて歩道も歩きづらくなり、足元も土砂に油が混ざって足を取られるようになってきました。
この先は作業してるとこも多くて、歩道を歩いていくことも難しそうだったから残念ながらここで引き返すことに。


帰り道、歩道橋にはがんばろう石巻の横断幕がありました。
この交差点を左折すると北上川、直進すると国道。
国道方面の道は、所々冠水していました。


幼稚園児も応援してます。
これは員弁の幼稚園から贈られたものです。


アーケードも所々屋根が落ちかけていました。

この震災で地盤沈下した地域が多くあります。
石巻も例外ではなく、女川代行は道路状況により運休になる場合もあるから、今回女川は外していました。

この日は運転していたから、渡波まで行ってみることにしました。


渡波の駅前には水産高校が造った花壇がありました。

街中を歩いていると、ガソリンスタンドの見本のようなスタンドがありました。

ガソリンスタンドはその性質上耐震設計されています。
根こそぎ流されたスタンドも多くありますがこのスタンドは流されず、逆に流されてきた家をしっかりと受け止めていました。


さらに海沿いへ行くと、まだまだ瓦礫の残る光景がありました。
瓦礫が残る中、電柱だけが新しく建て直されているのは異様な感じがします。


約2時間歩き回り、行きと同じバスに乗って石巻へ戻りました。
帰りは国道のトンネルが大渋滞で20分ぐらい延着しました。


数日前に石巻まで開通した石巻線で小牛田へ出ます。
なにも食べていなかったのでNDでお弁当を買って車内で食べることに。

おや?なんか余分な缶が・・・。

あ、石巻はいつもヒーローが復興を見守っていてくれますよ。


小牛田で陸羽東線に乗り換えて古川へ。

この日は古川の東横インに泊まりです。

夕食サービスでカレーがあるんだけど・・・。

どう見てもこれは量が多いぞ。
そんなこんなでお腹いっぱいになりすぎて、風呂入って飲んでこの日は終わり。
結局また飲んだんだ。

5月21日

ゆっくり10時前にホテルを出たのはいいけど、次の小牛田行きは10:50です。
特に今日の予定を決めてなかったから、作戦会議をすることに。

ほいで決まった行先は、高城町~松島海岸。
石巻経由で行くのは時間がかかるから、東北線経由で松島から歩くことにしました。

松島と塩釜は仙石線まで歩いて15分ぐらいなのね。

まずは高城町へ。

高城町は駅前へバスが入れないから、公民館前に代行バス乗り場があるんだけど、駅には一応駅員さんがいるのね。




列車が走らないから錆びた線路。
石巻方ではかたわらに咲く花が廃線を思わせます。
仙台方のポイントも錆びています。
でもこの2ヶ月後の7月には高城町まで開通するわけで、高城町~松島海岸間でも工事が行われていました。

松島海岸まで歩いていくつもりで時間が合えば高城町から代行に乗っていこうかと思ったけど、ちょうど行ったあとだったから仕方なく歩いていくことに。


公民館へ行く途中、学校のグラウンドには瓦礫が集められていました。

松島海岸まで歩いてくると、思ったよりも活気があってちょっと安心しました。
でも、いくら松島湾の島々が津波の勢いを和らげてくれたとは言っても、被害を受けたお店が何軒か見受けられました。



シャッターがひしゃけたお店や、中までやられたお店。
他の地域に比べたら、確かに被害は少なかったかもしれないけど、やっぱりそれなりに被害は受けているわけで・・・。
遊覧船も早くに運航を再開したから、早く観光地の活気が戻るといいですね。

さて、今回の被災地回りは松島で終わり。
松島海岸から代行バスに乗っていきます。

上下便同発です。
同時進入で警備員さんも苦笑い。
エアロが上りで、セレガが下り。


東塩釜の到着は東口です。
電車を待っていると試運転が来ました。


あおば通り行きに乗って仙台へ。

仙台からは新幹線だから、マジきっぷの約半額のやまびこ片道きっぷを使います。
で、Maxも数年後にはいなくなるから、早めの乗り納め。

自由席はリクライニングしんのだね。


2Fだと防音壁なんか関係ないね。
なんか缶があるけど・・・。

東京に着くと反対のホームには200系の国鉄色が。

そのまま飯田橋へ行って呑んだくれ。

帰りは中央高速線の夜行便。

京王便。


翌朝、名鉄BCは20分の早着。


さあさあさあ、まずは5月仙石線・石巻編はこれでおしまい。
めでたし。
次は6月岩手沿岸縦断編ですよ。
じゃ、文久三年。



プロローグ

2011-05-03 00:04:00 | 長編
第ゼロ日目、4月14日(木)
羽田へ前乗りです。


仕事終わりで名古屋駅へ直行し、終車ののぞみ66号に乗り、品川乗換で京急空港線大鳥居へ。





この日は大鳥居の東横イン泊です、節電のため看板は点いていません。


ミッドナイトで泊まろうかと思っとったけど、残室数が少なかったから最初から予約を入れておきました。


どうでしょう班、ホテルでのワンシーン風。

軽くシャワーを浴びておやすみなさい。

翌日羽田から飛んで本編突入です。


本編 ~ 4月15日 新地編 ~

2011-05-03 00:03:00 | 長編
4月15日(金)


大鳥居の朝食は6時からなので、全力で食べて6時半過ぎの空港行きで空港へ。


仙台行き満席です。


飛行機は駐機場の真ん中にいるので、バスに乗っていきます。

ポケモンジェットが見えますな。
一回このワイドバスに乗ってみたかったんだよねぇ。
でもまさかこんな形で乗ることになるとはねぇ。


ジェット機にタラップで乗るのも初めてです。
正式にはタラップって言わないんだよねぇ、海外じゃタラップって言っても通じないよ。


それじゃあ仙台へ向けて、ひやうい~ぐを~!




どの辺を飛んどるのかよく分からんうちに船岡ら辺を飛んどった。
多分安達太良とか蔵王の辺りを飛んだんじゃないかねぇ?

そして、海側から仙台空港に着陸。
着陸直前、瓦礫の中を走る路線バスを見たら涙が溢れてきました。

着陸後、スポットへ移動中には滑走路脇で飛行機に向かって敬礼している警備の人を見たら再び涙が出てきました。

まだ小さかった頃、初めて飛行機に乗ったのが小牧から仙台でした。
しかも、東亜国内航空、JASの前身です。
だから仙台空港が閉鎖になった時はショックを受けたけど、再開した時には嬉しすぎて泣きました。
そんな思い出もあるから、仙台空港の滑走路に降り立った時はいろんな思いが込み上げてきました。


仙台空港は到着口の一ヶ所以外は空港ビル自体が使用不可なので、タラップで乗降してビルと飛行機の間はバスに乗っていきます。
本来の出発ロビーの入口は損壊しています。



手荷物受取り場を半分に仕切って、左を出発、右を到着に使っています。
で、ビルまでバスなんかに乗せられとるもんだで、名取行きの代行バスに乗れなんだ。
さりげなく積み残されました。
仕方なくタクシーで名取駅へ、3080円は痛い・・・、だからタクシーは嫌いです。


結局名取駅にはバスより早く着きました、あっちも直行なのに。


ホームで世間話をするおばちゃんたち。
いたって日常だけど、時刻表の臨時ダイヤのお知らせが非日常です。
そして、名取から常磐線の電車に乗って、最初の目的地新地町へ向かいました。


節電のため昼間は車内灯はトンネル内以外は消灯しています。



車内広告は何故かSuicaのポスターが各車に1枚あるだけ。

常磐線は亘理までで相馬までは代行バスに乗換です。





各停便と快速便があります。

亘理駅から国道へ出るまでは至って普通な感じがしたけど、国道へ出たらそうでもなかった。
国道はいたるところで亀裂が入ったり路肩が崩壊していて、中には交差点の真ん中で亀裂が入って凸凹していたところもありました。


代行バスの新地駅は新地町役場前です。
バスを降りていきなり隆起した歩道をお見舞いされました。


国道から駅へ行く道に被災者・関係者以外立入禁止の看板があったんだけど、近くで作業してる人に一般人は入ったらマズイですかみたいな感じで聞いたら、邪魔にならんければいいよ的な感じだったから邪魔をしないように駅へ向かいました。

道の脇には車がベコベコになって土砂にまみれとったり、泥だらけの炊飯器が転がっとったり。





コカ・コーラの自販機も転がってました。

何故か車のバンパーだけ転がっとるし。

あとね、ふしぎの海のナディアのビデオがぽつんと落ちていたのね。
たぶん幼稚園ぐらいの子がお母さんと一緒に見てたんじゃないかねぇ、そんなことを思うとやるせなかったです。













そんなこんなでいろんな「日常」がみやっちの足を止めさせるもんだから、新地駅に着く頃には11半を回っとるもんだから全力で流された車両と駅を撮ったわけで。
駅構内の状況はやはり映像で見ただけではわからないぐらいひどい状態でした。












結局駅を後にしたのが12時ちょっと前、亘理行きのバスが12:07だからこれまたBダッシュでバス停へ戻ったら3分ぐらい遅れてきたからセーフでした。

途中駅から代行バスに乗る時は、運ちゃんから乗車証明をもらって亘理駅の窓口で通しのきっぷを発券してもらいます。


途中で爆睡して仙台に着きました。

盛岡まではJRがまだ運休中だから高速バスで行きます。

新幹線乗換口が閉まっているのが違和感ありまくりです。



駅ビルも修理中です。

宮交高速BTへ行ったら盛岡行きの乗り場は長蛇の列。

でもなんとか乗れました。

岩手県交通のくせにエアロかいな。

通常アーバン号は仙台側は一番町にも停まって、盛岡側は盛岡BC始発終点だけど、当分は一番町は通過で盛岡駅始発終点での暫定運行です。
途中、中尊寺PAで休憩したけど、本線はそこら中凸凹しとったから、いくら制限がかかっとるとは言ってもちょっと危ない気がしました。


結局盛岡駅には7分の延着でした。

久慈行きのこはくさんに乗り換えるんだけど、1時間近くあったから駅前のぴょんぴょん舎で盛岡冷麺を食べてきました。




再び西口へ戻ってこはくさんで久慈へ行きます。



こはくさんは盛岡~九戸間は高速を走って、途中二戸PAで休憩です。

久慈駅には定時の到着です。


今日の宿は県北バス久慈駅前バス停の目の前にある久慈第一ホテルです。

ネットで探しても沿岸地方は軒並みダメだったけど、唯一久慈で泊まることができました。
久慈も港があるけど、駅周辺は2・3キロ離れているから直接の被害は無かったみたいです。


とりあえず、豚とんていうラーメン屋で夜ごはん食べて、そのあと駅周辺でちょこっと撮影しました。


でもって撮影してた時に思わぬことに気が付いてしまったのです。
明日は陸中野田~小本を県北バスでつないで、田老へ寄って宮古へ行く予定です。
しかし、明日は土曜日。
県北バスは土日祝運休です。

・・・。

げ~!!!

やっちまったぁ~

部屋へ戻って明日の作戦を練り直しです。
JRバスの白樺さんか県北バスのこはくさんで来た道を戻るか、二戸行きのスワロー号か、八戸線で八戸経由かの三択だけど、スワロー号は運休中、八戸線は時間かかるから問題外。
てことで、朝一の白樺さんで戻ることにしました。

この夜この旅で唯一の余震を感じました。
余震は何回かあったみたいだけど、感じたのはこの一回だけでした。


てことで、田老編に続く。


本編 ~ 4月16日 田老編 ~

2011-05-03 00:02:00 | 長編
4月16日(土)

そして朝起きたら7:13・・・。
白樺さんは6:55。
やっちまったぁ~。
7:25に県北バスのこはくさんがあるけど、いくらバス停がホテルの目の前だっちゅうても流石に無理だから、9時の白樺さんに乗ることにしました。
こんなことなら朝食付きにしとけば良かった。

白樺さんは三鉄からの接続を取ったのか、5分延発です。




途中葛巻高原で休憩します。

まだ雪があります。

白樺さんで直行しても106急行まで1時間半ぐらいあるから、沼宮内でIGRに乗り換えることにしました。

葛巻に着く前から雨が降りだしたけど、沼宮内に着いたらちょっと強くなってました。
沼宮内にはほぼ定着だったから、乗り継ぎに40分ぐらい時間があったけどなんもやることがなかった。
11:24発は沼宮内折り返しです。


そうして、ただこはくさんと白樺さんを乗り比べただけな感じで、ようやく盛岡に着きました。


それでもまだ時間があるから東口の立ち食いそば屋はやてでじゃじゃ麺を食べてきました。


やっとこ106急行に乗って宮古へ向かいます。

いつかは山田線と106急行を乗り比べようと思っとったけど、まさかこんな形で106急行に乗ることになるとは思わなんだ。
バスは山田・岩泉線を撮りに何度か通った道を走るので、車窓には懐かしい風景が流れていきます。
こんな時だけど一応撮影ポイントの状況も確認しながら乗ってました。
途中おなじみのやまびこ館で休憩です。


茂市を過ぎたらもうすぐ宮古です。
千徳を過ぎて市街地へ入ったら、なんか違和感がある。
津波の被害を受けたはずなのに、被害を受けた気配を感じない。
だけど、道路とかは泥とかで汚れとる。

宮古駅に着いても、信号は機能しとるし人も普通に行き交っていたから、ほんとに宮古か?って思ったぐらいでした。

三鉄の駅前には鯉のぼりが泳いでいます。

宮古に着いたものの、三鉄は16:05発で1時間近くあったから、山田線の釜石方の様子を見に行くことにしました。

駅前からニッポンレンタカーの通りを歩いて一つ目の信号まで行ったら、なんか車の走り方が変なのね、特に脇道から右左折する車がね。
よくよく見渡すとこの通りの信号機は全部点いてないのよ。

そりゃあ車の動きも変になるわ。
おまけに電柱も傾いとるし。


山田線の踏切まで行って錆びた線路を撮ってたら、また違和感を感じたのね。
線路脇に車とか家の一部があり得ん風に転がっとるのよ。

ようやくね悟りましたよ、鈍感ですいませんね。
やっぱり津波に流されとるんだよ。
線路の先に車止めが見えたから、線路沿いの道を歩いて行ってみました。
団地の先で閉伊川の堤防に登ったのはいいけど、目の前の光景に愕然としました。

車止めの先は第34閉伊川橋梁と共に線路ごと流されてました。






さら言うと、線路を挟んで南側の団地は被害がないのに、北側のR106号跨線橋と山田線と閉伊川堤防に囲まれた地区だけが被害を受けているのです。






船も打ち上げられ、建物はどこを見ても「解体OK」と書かれ、車にも「移動OK」と書かれています。






近所の憩いの場であったであろう居酒屋さんも。


アパートの外壁もはがれ落ちていました。



何かの大会のカップだと思うけど、瓦礫の中にポツンと残っているのがなんだか切ないです。

いくら誰もいないからっていっても、被災した家の内部を撮るのはちょっとためらったんだけど、目の前の状況をありのままに記録するために撮るんだって自分自身を無理矢理納得させて撮りました。


いつものことながら時間切れで、ダッシュで駅へ戻りました。

当分の間特別運賃なのできっぷは全部窓口発売です。
田老まで買ったら、運賃変更印が押された硬券が出てきました。

国鉄時代によく見られた運賃変更の硬券を、この時代に自分が買うとは思いませんでした。


閉信は使っていないので、出発合図は旗を使います。
夜はカンテラね。
今は小本までを一閉塞としているので、途中の交換設備のある駅も閉信は死んでます。
ようは、岩泉線と同じ状態ですよ。

運転再開時は徐行運転(多分25か35km/hだと思うけど)だったから、小本まで一時間以上かかってたけど、今は数分遅いだけでほぼ通常の運転時分になってます。
それでもまだ路盤が安定していないのか、軌道の歪みが多少見られました。

宮古から約20分、時間通りに田老に着きました。

一の渡・佐羽根は内陸を走っているから沿岸の様子は分からなかったけど、田老に着いた時に見た景色はやはり衝撃的でした。
仙台空港周辺、新地町周辺、宮古、田老と見てきて、それなりに心の準備もできてきたからだんだん衝撃も和らいできていました。
仙台空港に着陸する時なんてのは多少の心の準備もしてあったけど、それを遥かに上回ってピュアな(?)みやっちの心には重すぎる衝撃だったから。
それを考えれば、衝撃的な惨状には変わらんのだけど、慣れるのとは違うけど徐々に気持ちに余裕ができてきたんだと思うのね。
まあ、一日一日を復興に向けて頑張ってる被災地の人達を見てきて安心したっていうのかな?多分そんな気持ちだと思います。
でもね、なんでも慣れてきた時が一番怖いんだよ・・・。

田老は日本一の防波堤があった町です。
でも、それを乗り越えて街を呑み込みました。



田老でもあちこちに「日常」が散乱しています。
駅前の観光センターには瓦礫に紛れて三鉄の月報もありました。




田老で一番やるせなかったのは、泥にまみれた昭和天皇の写真集です。

最初閉じた状態で落ちていて、通りすぎる時に一瞬表紙の模様が菊の御紋に見えて、あれ?と思いながらよく見たらそれでした。
昭和天皇と皇太后様の仲睦まじい御写真になんだか切なくなりました。

餅屋さんも取り壊されます。



津波が来たであろう時間で止まったままの時計がありました。


帰りがけにすれ違った自衛隊員とあいさつを交わしました。
「こんにちは」と言ったあとには自然と「ご苦労様です」という言葉が出ました。

去り行く彼らの後ろ姿に大きな誇りを感じました。

結局田老でも時間切れで、ダッシュで駅へ戻りました。
帰りは普通に整理券を取って降りる時に精算です。
行きのきっぷはもらってこうかと思ったけどちょっと気が引けたから、帰りに宮古で一の渡までのきっぷでも買ってけばいいかって思ってもらってきませんでした。
ちなみに行きのきっぷの券番は7600番でした。

でもって宮古に着いて、三鉄エコバッグを買うついでにきっぷについて聞いてみました。
以下、みやっちと窓口のお姉ちゃんのやり取りです。
みやっちが鉄ちゃんになる瞬間をご覧ください。
(注)みやっちは全区間・全券種硬券で発券していると思っていたのでその体でご覧ください。

(み)今って往復券って発券してます?

(窓)発売してますよ~、ただ、手書きですけど。

(み)えっ?!まぢっすかぁ~!
えっと~、片道券は全区間硬券ですよねぇ?

(窓)田老と小本は硬券なんですけど~、他の区間は穴開けるタイプなんですよ。

(み)え~!、そうなんスかぁ!
じゃあですねぇ、一の渡の片道と往復を切ってもらってぇ、田老の片道も一緒にお願いします。

(窓)は~い、ではちょっとお待ちくださいね~。

てことで現状の三鉄の普通乗車券コンプリートです。

ちなみに、田老の券番は7601です。そう言うことですよ。

いやぁ~、みやっちのスイッチ入ったの分かりました?
いやね、参ったね。
でもね、さりげないとこで売上に貢献したと思っとるそこのあなた、それは間違いです。
きっぷは本来、発券→改札→集札という流れで扱われるものです。
常備券や補充券なんかは最後に照合が必要らしいので、特にダメです。

今回は完全非鉄の旅なのに、思わぬとこで火が点いちゃいました。

そんなこんなで鉄ちゃん魂に勝手に引火しとるもんだで、帰りの106急行の時間ギリギリじゃん。

思わずバスを撮るの忘れてまったし。
車両は最終型のスペースアローでした。
そういえばビーム1はこの日は京急バスが県北の営業所にいましたな。

帰りもやまびこ館で休憩して盛岡駅に到着です。




着いたらそそくさとホテルへ行きます。
今日の宿は東横インです。

駅前と開運橋の2軒あるけど、今回は開運橋です。
2泊ね。

翌朝気付いたんだけどね、隣が岩手県交通の本社(?)なのよ。
ビックリ。


この日の夜ごはんは一風堂です。
まあ、当然からか麺ですわ。
さらにホテルへ戻って一杯。


といったところで陸前高田編へ続きます。