『共感』のもとに芽生えた福祉と個人の幸せは、
普通は一致するものだよ。
『共感』のもとに芽生えたその逆も一致するものだよ。
(テロのようにね)
このことは間違いなく、
満足のもとにあり、
不満足で不幸をため込むグループよりも繁栄する。
『共感』、つまり『道徳心』が芽生えてくると、
系統を残す手段も変わってくるはずさ・・・・・
(昨日の続き^^)・・・・・メンバー以外の襲撃もあったはずだ。
そのためには強さとのアピールと、
健全さと子孫を残すための同グループの共感の助けを必要としただろう。
(2016年08月31日 | 日記)
きっと、粗雑だった人間がグループで暮らしていくために、
履行しなくてはならない約束事、つまり『道徳』は、
今日でも最も重要な『道徳』で、
ほぼ、
本能として残っている。
そしてそれは、近縁な関係の中では最も強く現れていた。
殺人、強盗、裏切りなどがまかり通るなら、
どんなグループも維持していけなくなるので、
同じグループの内部におけるそのような犯罪は、
『不名誉』を突き付けられることになる。
が、グループの枠を越えれば、そのような感情を起こすことはない。
これはきっと『いじめ』への悪しき『道徳の起源』だよ。
グループ以外の人間に対しては、
それに反しても罪とはならない考え方だよ。
きっと、初期の人類も現在も、
グループの意志として表現された希望が、
個々のメンバーの行動に大きな影響を与えてきた。
そして、誰もが幸せや満足に憧れるものだから、
『善』や『幸福の原理』は最も重要な目的となる。
が、満足の方向が変われば、
『原理も変わる!』
今でこそ『自殺』は良くないことと言われるけど、
他国では『勇気の印』と、
『名誉ある行い』と見なされていた部族もあった。
『赤ちゃん殺し』は非難されない時代もあった。
(中絶はまさにそれさ)
それどころか、女児殺しは部族のためになるか、
少なくとも悪いことにはならないと考える部族や、
時代もあった。
聞いた話だけど、
インドの強盗集団は、
自分の父親くらいの旅人を、
絞め殺してその持ち物を盗まなかったならば、
心から後悔する、と聞いたことがある。
『善』や『幸福の原理』も方向が変われば、
満足や幸せの地位も変わってゆくのさ。
どんな残酷な『道徳』であったとしても、
そこには『美徳』が存在するものなんだ。
(ある意味残念だけど)
それは『高く評価されること』によってあるんだよ。
しかし、利益は常にその部族の『善』であり
『善』を追求するとそれは本当の利益か、
『赤字』かに気付くことになっただろう。
そして『男女の関係』もそんなことを繰り返し、
修繕され、
それが一夫多妻であれ一夫一妻であれ、
婚姻が一般的になるやいなや、
嫉妬心が『道徳感情』を変え、
女性の『美徳』を教え始め、
それが名誉となると、
未婚の女性にまで拡張されることになっただろう。
『共感』は『道徳』を築くもので・・・・・
・・・・・続く^^
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