結~つなぐ、ひらく、つむぐ~

身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

「安慶名城跡」「安慶名闘牛場」「慰霊碑」…安慶名中央公園(2)

2014-01-10 | 癒し

「安慶名城跡」「安慶名闘牛場」「慰霊碑」…安慶名中央公園(2)

 うるま市安慶名の「安慶名中央公園」は、広い敷地に、「安慶名城跡」「安慶名闘牛場」「慰霊碑」などがあり、歴史を学ぶ場、憩いの場となっています。

慰霊之塔・慰霊碑

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 広場の右手に階段が見えたので、広場を抜け、そこから回ることにしました。

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「この慰霊之塔は 過ぐる日露の役より第二次世界大戦に至るまで 無念にも戦没された肉親 同胞のご冥福を祈り 併せて未来永劫の平和を祈願するためにここ由緒ある城址の麓に市民の総意をもって建立する 昭和六十三年十一月 具志川市」

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「具志川市慰霊之塔境内に刻銘された合祀板は戦後50年で新たに確認なされた当市関係3400余柱の全戦没者、(軍人、軍属および一般住民)を慰霊之塔に合祀、誓って悲惨な戦争体験を風化する事なく平和を願うことを念じ記文奉納する。戦後50周年記念事業実行委員会 具志川市戦没者遺族会」」

安慶名闘牛場

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「私が選ぶ 新おきなわ観光名所 安慶名闘牛場 1995年4月15日認定 主催:沖縄郵政管理事務所 共催:沖縄県 沖縄ビジターズビューロー 琉球新報社」

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中央に闘牛の入退場門があります。

安慶名城跡

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 闘牛場裏に城壁が見えるので、入り口を探しましたが、なかなか見つかりません。近くにいた高校生に聞いてみたのですが、知らないとのこと。あきらめて帰ろうと思い、駐車場でバスケットをしていた中学生に尋ねると、正面の丘を指して、「あれが安慶名城跡です」と教えてくれました。ありがとうと礼をいうと、「上るのはきついですよ」と話していました。中央公園碑から芝生の広場を抜けると、左側に入り口がありました。

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「史跡 安慶名城跡 昭和47年5月15日国指定…安慶名城は、14世紀の頃、安慶名大川按司によって築城されたと伝えられ一名大川城とも呼称されています。城跡は天願川畔の平地に屹立する琉球石灰岩の山全体を占め自然の断崖を巧みに利用して城壁とし、さらに山の柱腹部から野面積手法によって城壁を築き上げています。中心部は山頂大地であり、これを泡護するように外郭をめぐらした輪郭式の構造をもっています。内郭南側に開口する城門までは、東側下方から斜面に沿って石造りの階段がとりつけられていています。城門は自然の岩盤の裂け目を利用して、これを一部掘削し、さらに切石を組み合わせて、アーチ状に建造したものとなっています。城門の間隔は約1.0mと比較的狭くしてあり、内部中央付近の上下両脇には扉をとりつけるための敷居・鴨居穴が見られます。城内からは中国製の陶磁器やグスク時代の土器等が出土しています。なおこの地域で許可を得ることなく現状を変更し、文化保存に影響を及ぼす行為をすることは、法律によって禁じられています。文部省 沖縄県」

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途中に休み場所が設けられていました。

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頂上からの眺望です。遠方まで見通すことができます。

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城跡から見おろした闘牛場です。

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「ヤシ科クロツグ」で、沖縄の御嶽に多くみられる植物です。

 城跡は、よく整備されているとは言い難いのですが、多くの植物に銘標が取り付けられていました。「クスノキ科ヤブニッケイ」「クロウメモドキ科リュウキュウクロウメモドキ」「トウダイグサ科クスノハガシワ」「ヤブコウジ科モクタチバナ」「クスノキ科タブノキ」「ヤシ科シンノウヤシ」「ニシキギ科マサキ」「クワ科ガジュマル」「カキノキ科リュウキュウガキ」「クワ科アコウ」「トウダイグサ科アカギ」「サトイモ科クワズイモ」など、いろいろな植物を見ることができます。

 


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