病室より、子持山と小野小山の間に白い谷川岳が見える
人より丈夫と思っておりましたが、いつの間にやら癌に侵されていました。
幸い、早期発見で内視鏡による手術で済み元気に退院することができました。
以下は、入院手術の覚えであります。
平成28年9月8日 人間ドック
胃カメラで食道に異常が発見され再診を告げられる
平成28年9月14日 再診
担当医は、女医さん。
「逆流性食道炎の疑いがあります。再検査をしたいと思いますがお酒を飲まずにいられますか?」
数日後に再検査かと思い「はい」と返事をしてしまう。
「それでは、おおむね3か月後に再検査をします。3か月分薬を出しますので、それまでお酒を飲まずに来てください。」
「えー」と思ったが後の祭り。次回は12月2日、麻酔をかけて内視鏡による再検査だそうだ。
その後、9月の表銀座や11月のハ経ケ岳・大台ケ原への山旅はもちろん、数々の宴会ケ岳でもお酒を飲んでしまい、検査日の1週間ほど前から飲まないようにした。
平成28年12月2日 内視鏡による再検査
「内視鏡検査の結果、3か月飲酒をされなかったわけですが炎症を起こしていると思われる部分に変化がありません」
(やっぱり、飲んだのばれてるのかな)
「食道内にルゴール液をかけたところ褐色に染まらない部分があり病変部分と思われます。組織を採りましたので検査に出しますが、次はご家族の方と来てください」
「はい」
人間ドックの内視鏡検査は麻酔なしなので自分でも画像を見ることができる。食道内に扁平状に盛り上がった部分があるのでもしやと思っていたが、やはり癌のようだ。
妻には、人間ドックの結果栄養指導か何かあると伝えた。それから、インターネットで食道癌にかかわる情報を収集し始める。国立がん研究センターの「がん対策情報センター」が役に立った。
平成28年12月15日 病理組織検査結果及びCT撮影
妻を伴い病院へ
「病理組織検査をしたところ食道癌です。場所は歯から奥へ30 cmの所で大きさは2cm位。治療方針は早期の癌なので内視鏡治療。進行状況からみて内視鏡だけで済む絶対適応ではなく、場合によっては追加治療も必要となる相対適応の段階です」
担当医は何時もマスクをしていて顔立ちは解らないが、目がパッチリの可愛い感じの女医さん。実際は上記よりも丁寧に絵を描きながら説明していただいた。自分は、事前に食道癌について調べたり、同僚が当病院で大腸癌の腹腔鏡手術を受け10日程で元気に退院していることを承知していることもあり、余り不安感はなかったが、妻は涙声になっていた。
「セカンドオピニオンを受けることはできますか?」
「必要があれば資料は全部提供します」
「いつ頃、癌になったのでしょう?」
「少なくとも1年以上前です」
「毎年人間ドックを受けているのに・・・。昨年の人間ドックは、バリウムでした」
「バリウムでは初期の食道癌は見つからないでしょう」
初期段階でもあり、標準的な治療であるので当病院で手術を受けることにした
平成28年12月27日 CT検査結果及び大腸内視鏡検査
便秘が続くこともあり念のため大腸の検査も実施。朝から下剤1800 ccを飲み、5回程トイレに通い便が無色透明になった。自分も画像を見ながら大腸の内視鏡検査。
「きのうブロッコリー食べました?」
「はい」
「繊維質の多い物や粒粒が多いものは残ってしまってます」
「えっ、キノコやツブツブの多いイチゴ・キウイは駄目と書いてありましたが、ブロッコリーは・・・」
「次に検査受けるときは気を付けてください」
腸内に残っている便やブロッコリーを吸引しながら見ているが、取り切れず残っているものも見える
「大腸検査は残留物を取り切れなくて見えない部分もありましたが、癌の兆候はありません。CTによる画像診断の範囲では、食道の病変や転移は認められません。セカンドオピニオンはどうしますか?」
「ここで手術をお願いします」
「CTでは癌ではありませんが、膵臓に一部石灰化も見られます。お酒はやめた方が良いと思います」
「はい」
1月16日入院、17日手術、23日退院予定が決まる。執刀医は9月まで当病院に在籍し、その後開業した精悍で頼もしい感じの40代の男性医師
毎年、胃癌の内視鏡手術は100件以上手掛けていたそうだ
平成29年1月3日 赤城鍋割・荒山登山
自覚症状もなく元気なので、新年恒例の鍋割・荒山へ行き癌根治と今年の山行の無事を祈願
平成29年1月5日 病院へ
麻酔科で全身麻酔について、歯科で手術前の口腔ケアについて及び栄養指導を受ける
平成29年1月16日(月) 入院
8階の病室から赤城山・子持山などがよく見える。上越国境方面は雪雲の覆われている。
明日からは食事ができなくなると思い、昼食に好物のパスタ料理を妻と食したが、昼の病院食は味噌ラーメンだったのでこれも平らげた。病院食がまずいのは昔の話のようで、今は食事療法を考えつつ栄養バランスもとれた美味しい献立が用意されているようだ。夕食には肉も出た。
平成29年1月17日(火) 手術
14:30から手術予定。朝から水もお飲めず、昼前より点滴開始。
手術は「食道ESD(内視鏡的粘膜下層剥離手術)」というもので、全身麻酔で口から手術用の内視鏡・肺に酸素を送るチューブ・体調測定のセンサーなどを入れ、動かないようベットに体を固定して行うそうだ。
眠っている間に手術されるので何が起こっているか解らないが、手術室の看護師が事前によく説明してくれた。
事前に執刀医の先生から受けた手術の手順は
①内視鏡で病変の周囲に切り取る範囲の目印をつける
②粘膜下層に薬剤を注入し病変部分を浮かせ、病変部の周囲の粘膜を切る
③専用ナイフで病変部分を剥離していく
④切り取った病変は組織検査をし必要があれば追加治療を行う
だった。
実際の手術は14:30から16:00の1:30程。手術から目が覚めると胸が痛んだ。
「トイレに行きたい」
「尿の管が入っているのでそのまましてください」
そうはいっても上手く出ない。病室に帰ると胸の痛みは増し、痛み止めの点滴をした。
平成29年1月18日(水) CTとレントゲン撮影
午前中、痛みが引かず痛み止めをする。栄養剤や止血・炎症止めなど様々な点滴が24時間に3500 ccもされるので一日中水も飲めないが、トイレは近い。トイレに行くたびに管を入れた傷か尿道が痛む。
上越国境付近まで天気は良く、病室から真っ白な谷川岳が良く見える
平成29年1月19日(木)
今朝から水分を口から採れるようになる。ポカリスエットのようなOS-1 280ccと番茶。三食これ。
相変わらず1時間半置きぐらいにトイレ。痛み止めは不要だが胸は痛い。廊下にあった体重計に乗ってみると3日も食事をしていないのに入院前と変わらず、3kgは痩せるかと期待していたが点滴でしっかりカロリーも補給しているようだ。ふと手を見ると手の甲皮膚が真っ黒変色し、ひび割れている。脂分が抜けてしまったのだろう?
毎朝夕担当の女医さんは様子を見に来てくれる。リハビリを兼ねて点滴をぶら下げながら廊下の散歩を始めた。
1周約320歩、5週で1600歩。それを6セットとトイレの往復で約一万歩だ。
廊下を歩いていると担当医が病室から病室へ忙しそうに回って居るのが見えた。病室を小走りに渡り歩く小柄でショートカットの先生の後姿に何となく座敷童を思い出した。(とても可愛らしく見えたという意味。念のため)
夜に執刀医が見え、術後の注意などについて説明頂いた。
術後2週間位で一時手術部分が収縮するので、よく噛んで食べること。病後などに好まれるカステラや鶏肉は喉に詰まり安いので注意が必要等親切で解りやすい説明であった。
「お酒は飲まれますか?」
「強くは無いですけれど毎日」
「すぐ顔が赤くなるタイプ?」
「そうです」
「そういう人は食道癌リスクが高いんですよ。ウイスキーとかは」
「強くはないのですが、ウイスキーやブランデーはストレートで飲むことが多いです」
「それは、一番リスクが高いですネ」
「追加で治療が必要な場合はどんな治療ですか」
「外科手術の場合、胸を切開し肋骨を1っ本外して、幹部を切断して胃を延ばして繋げる手術です」
「・・・・・・・・・・・・・~」
平成29年1月20日(金)
今朝より、OS-1の他に重湯、みそ汁の上澄み液、流動食(明治メイン200cc)が追加。もうOS-1は飲みたくないのでパス。胸に10分置き位に差し込むような痛みが走る。食道は体の真ん中よりやや左よりで背中に近い方にあるそうで、右胸が痛むのは手術した場所とは違う様だ。
夕方担当医が見え、説明があると言う。丁度妻も下着を持ってきたので一緒に聞く。
「病理組織診断結果が出ました。週明けになると思っていたのですが、先ほど来たばかりですが良い結果ですので、早くお知らせしようと思って。癌は取り切れたとの所見です」
「それでは追加治療は不要ですね」
癌の告知を受けたときは冷静であったが、肋骨を失わずに済んだとの思いもあり、完全切除の知らせに思わず涙が出た。妻共々何度も礼を言った。
トイレ以外、昨晩まで良く寝られていたが、なぜか今日は寝られない。
平成29年1月21日(土)
昨日の昼より、とぎ汁の様な重湯、今日の昼より3分粥となる。最初は喉を通るだけで嬉しく、美味しかったが次第にもっと形のあるものが食べたくなってきた。
担当医が当直日なので今日も病室を訪問してくれた。
「先生、和らいだもののまだ胸の痛みが取れません」
「右胸だけど心配だから月曜に心電図を撮り、異状なければ火曜に採血。炎症反応の数値が良ければ水曜退院ということにしましょう」
「煎餅が食べたいんですけれど」
「それは、しばらくダメですね」
平成29年1月22日(日)
昼から五分粥となり大分食事らしくなってきた。排尿の痛みは消えたが胸は痛い。
廊下東窓から日の出
廊下西窓から榛名山
平成29年1月23日(月)
昼より7分粥。ベットから赤城山を眺めながらの食事、景色だけはレストラン並み。
午後妻と一緒に栄養士から食事指導を受ける。夕方、入院以来右腕に付いていた点滴が6日ぶりに外れる。
手の甲を見るといつの間にかどす黒い色が消えほぼ元に戻っていた。食事をとらないと肌に影響するのかもしれない。病院にも慣れ手術後の痛みも取れて来たら周りのことが気になりだした。当病院は医者も看護師も群馬ネイティブが多い様だ。
患者♂「世話になるシー(人)に食って貰いたくて、持ってきたものがあるんサ。貰ってクンナイ(ください)」
看護師♀「差し入れもらちゃダメなんだヨ。良くないんダヨ。それよか(それより)、お熱はかりましょ」
患者♂「先生、ユンべ(昨晩)からここがヤメテ(病めて・痛くて)しょうがねンだよ」
医者♂「そらーしょうがねんだよ手術後だから。お薬出しとくからサ」
看護師♀「お腹が張っているようだけど、前っからカイ」
患者♂「そうなんサ。でもなんともネ~ヨ。痩せろって言われてんだけど駄目なんサ。
それより夕ンべ、ナッカラ(沢山)汗かいたんで、下着取り替えてクンナイ(ください)」
看護師♀「そうナン。今持チに行ってきます」
文字で書くと乱暴な様だが、実際は優しく丁寧な医者と看護師である。患者も群馬ネイティブの看護師に遠慮なく話せて良いのだろう。
平成29年1月24日(火)
昼より全粥となるも毎日スプーンで食べる食事に飽きた。水ばかりの時は三分粥でも美味しかったのに、贅沢なものだ。血液検査の結果も良かったので明日の退院が決まる。
廊下東窓より夜明け
平成29年1月25日(水)
病院最後の朝食をとり午前10時退院。
自分は運が良かった気がしている。職場が変わったことで人間ドックの病院も変え食道癌が発見された。
1年以上前に出来たといっても初期段階、昨年病院を変えても見つからなかったかもしれない。癌の進行もギリギリ内視鏡で済む範囲で、年間100件以上内視鏡手術をする熟練医師に手術してもらえた。
何の自覚症状も無く入院し、後遺症も無く退院できた。元気で入院、元気で退院できた。人生の贈り物の様な幸運は大切にしたい。
赤城山の鍋割・荒山の神様に感謝
癌の宣告を受けたときは
泡を食って愚妻にヘソクリの在りかと暗証番号を教えてしまったのは失敗でした
癌は早期発見・早期治療で治る病気、
人間ドックもたまには場所を変え、見方を変えてもらう必要があると思いました
この「病の記」は自分の覚えであるが、当ブログを見た誰かの何かの参考になれば幸甚です
これから再発が心配ですが、
何はともあれ、「一病息災」「災い転じて」の精神を持ちつつ
山歩き再開のリハビリ開始です
↓そんな訳で 押して頂くとたすかります
(追記)
平成29年2月1日(水)検診・血液検査
「血液検査の結果、問題なく順調に回復している様です」
「胸の痛みも、一昨日ぐらいから消えて入院前の状態に戻った気がします」
「それでは2月17日に内視鏡検査をします。まだ、煎餅はダメですよ」
「チョコレートなんか食べても問題ないですか」
「問題無いですよ。バレンタインですか?」
平成29年2月17日(金)内視鏡検診
手術後1か月目、内視鏡による検診
手術跡も順調に回復
よく噛んで食べることで普通の食事が出来るようになった
18日(土)執刀医にお礼に行った
平成29年4月20日(木)
採血
平成29年4月27日(木)
医「血液検査の結果。腫瘍マーカーに異常は見られません」
凡「良かったです」
医「コレステロールと尿酸値が高いですね。お疲れですか?
水分を多くとりましょう」
凡「はい、その後お酒も飲んでないし。少しやせたんですけれど」
平成29年5月2日(火)内視鏡検査
「2週間具合前から、朝空腹時に胃が痛むんですけれど」
「お酒は飲んでいませんよネ?内視鏡で見た範囲では胃に異常は在りません。手術跡も良くなっています。
心配なら胃薬スクラルファート出しておきます」
(これでビールが飲める。ついでに)
「足が攣ることがありますが何科で見てもらえばよいですか」
「整形外科ですが背骨がずれていたりするのかもしれませんネ。ツムラの68番も出しておきましょう。
漢方薬ですが即効性があります。痙攣時に飲んでください」
(オー。山歩きも安心だ)
平成29年7月27日(木)血液検査
前回まで上限値(1.5)以下だった扁平上皮癌を示す腫瘍マーカーの値が
上限をわずかに上回る1.6(前回1.1)
尿酸値は7.9→7.1→7.0と少しづつ下がったいるが次回も7.0を上回れば薬を飲むことになる
次回は8月23日にCTの予定
(どこかに癌が隠れているか心配。次回異常があればPETが受けられないか相談してみようと思う)
平成29年8月23日(水)CT・血液検査
造影剤を入れたCTでは、再発及び転移が認められなかった
腫瘍マーカーもSCCが1.3(上限1.5)と上限値以下になる
一安心ではあるが、尿酸値が8.0と高く朝から薬を飲むこととなる
平成29年9月13日(水)~14日(木)人間ドック
手術した病院にPET/CTが無いので
値段は高いが安心のため他の病院で人間ドックでPET/CTを受ける
幸い異常なし
無呼吸症候群が判明し再検査
平成29年9月28日
悪玉コレステロールの値が高いので本日よりゼチアーノ10mgを処方される
平成29年10月31日
胃カメラで食道組織採取
平成29年11月13日
無呼吸症候群検査 頭部レントゲン・鼻呼吸器検査
平成29年11月29日~30日
無呼吸症候群検査入院
人より丈夫と思っておりましたが、いつの間にやら癌に侵されていました。
幸い、早期発見で内視鏡による手術で済み元気に退院することができました。
以下は、入院手術の覚えであります。
平成28年9月8日 人間ドック
胃カメラで食道に異常が発見され再診を告げられる
平成28年9月14日 再診
担当医は、女医さん。
「逆流性食道炎の疑いがあります。再検査をしたいと思いますがお酒を飲まずにいられますか?」
数日後に再検査かと思い「はい」と返事をしてしまう。
「それでは、おおむね3か月後に再検査をします。3か月分薬を出しますので、それまでお酒を飲まずに来てください。」
「えー」と思ったが後の祭り。次回は12月2日、麻酔をかけて内視鏡による再検査だそうだ。
その後、9月の表銀座や11月のハ経ケ岳・大台ケ原への山旅はもちろん、数々の宴会ケ岳でもお酒を飲んでしまい、検査日の1週間ほど前から飲まないようにした。
平成28年12月2日 内視鏡による再検査
「内視鏡検査の結果、3か月飲酒をされなかったわけですが炎症を起こしていると思われる部分に変化がありません」
(やっぱり、飲んだのばれてるのかな)
「食道内にルゴール液をかけたところ褐色に染まらない部分があり病変部分と思われます。組織を採りましたので検査に出しますが、次はご家族の方と来てください」
「はい」
人間ドックの内視鏡検査は麻酔なしなので自分でも画像を見ることができる。食道内に扁平状に盛り上がった部分があるのでもしやと思っていたが、やはり癌のようだ。
妻には、人間ドックの結果栄養指導か何かあると伝えた。それから、インターネットで食道癌にかかわる情報を収集し始める。国立がん研究センターの「がん対策情報センター」が役に立った。
平成28年12月15日 病理組織検査結果及びCT撮影
妻を伴い病院へ
「病理組織検査をしたところ食道癌です。場所は歯から奥へ30 cmの所で大きさは2cm位。治療方針は早期の癌なので内視鏡治療。進行状況からみて内視鏡だけで済む絶対適応ではなく、場合によっては追加治療も必要となる相対適応の段階です」
担当医は何時もマスクをしていて顔立ちは解らないが、目がパッチリの可愛い感じの女医さん。実際は上記よりも丁寧に絵を描きながら説明していただいた。自分は、事前に食道癌について調べたり、同僚が当病院で大腸癌の腹腔鏡手術を受け10日程で元気に退院していることを承知していることもあり、余り不安感はなかったが、妻は涙声になっていた。
「セカンドオピニオンを受けることはできますか?」
「必要があれば資料は全部提供します」
「いつ頃、癌になったのでしょう?」
「少なくとも1年以上前です」
「毎年人間ドックを受けているのに・・・。昨年の人間ドックは、バリウムでした」
「バリウムでは初期の食道癌は見つからないでしょう」
初期段階でもあり、標準的な治療であるので当病院で手術を受けることにした
平成28年12月27日 CT検査結果及び大腸内視鏡検査
便秘が続くこともあり念のため大腸の検査も実施。朝から下剤1800 ccを飲み、5回程トイレに通い便が無色透明になった。自分も画像を見ながら大腸の内視鏡検査。
「きのうブロッコリー食べました?」
「はい」
「繊維質の多い物や粒粒が多いものは残ってしまってます」
「えっ、キノコやツブツブの多いイチゴ・キウイは駄目と書いてありましたが、ブロッコリーは・・・」
「次に検査受けるときは気を付けてください」
腸内に残っている便やブロッコリーを吸引しながら見ているが、取り切れず残っているものも見える
「大腸検査は残留物を取り切れなくて見えない部分もありましたが、癌の兆候はありません。CTによる画像診断の範囲では、食道の病変や転移は認められません。セカンドオピニオンはどうしますか?」
「ここで手術をお願いします」
「CTでは癌ではありませんが、膵臓に一部石灰化も見られます。お酒はやめた方が良いと思います」
「はい」
1月16日入院、17日手術、23日退院予定が決まる。執刀医は9月まで当病院に在籍し、その後開業した精悍で頼もしい感じの40代の男性医師
毎年、胃癌の内視鏡手術は100件以上手掛けていたそうだ
平成29年1月3日 赤城鍋割・荒山登山
自覚症状もなく元気なので、新年恒例の鍋割・荒山へ行き癌根治と今年の山行の無事を祈願
平成29年1月5日 病院へ
麻酔科で全身麻酔について、歯科で手術前の口腔ケアについて及び栄養指導を受ける
平成29年1月16日(月) 入院
8階の病室から赤城山・子持山などがよく見える。上越国境方面は雪雲の覆われている。
明日からは食事ができなくなると思い、昼食に好物のパスタ料理を妻と食したが、昼の病院食は味噌ラーメンだったのでこれも平らげた。病院食がまずいのは昔の話のようで、今は食事療法を考えつつ栄養バランスもとれた美味しい献立が用意されているようだ。夕食には肉も出た。
平成29年1月17日(火) 手術
14:30から手術予定。朝から水もお飲めず、昼前より点滴開始。
手術は「食道ESD(内視鏡的粘膜下層剥離手術)」というもので、全身麻酔で口から手術用の内視鏡・肺に酸素を送るチューブ・体調測定のセンサーなどを入れ、動かないようベットに体を固定して行うそうだ。
眠っている間に手術されるので何が起こっているか解らないが、手術室の看護師が事前によく説明してくれた。
事前に執刀医の先生から受けた手術の手順は
①内視鏡で病変の周囲に切り取る範囲の目印をつける
②粘膜下層に薬剤を注入し病変部分を浮かせ、病変部の周囲の粘膜を切る
③専用ナイフで病変部分を剥離していく
④切り取った病変は組織検査をし必要があれば追加治療を行う
だった。
実際の手術は14:30から16:00の1:30程。手術から目が覚めると胸が痛んだ。
「トイレに行きたい」
「尿の管が入っているのでそのまましてください」
そうはいっても上手く出ない。病室に帰ると胸の痛みは増し、痛み止めの点滴をした。
平成29年1月18日(水) CTとレントゲン撮影
午前中、痛みが引かず痛み止めをする。栄養剤や止血・炎症止めなど様々な点滴が24時間に3500 ccもされるので一日中水も飲めないが、トイレは近い。トイレに行くたびに管を入れた傷か尿道が痛む。
上越国境付近まで天気は良く、病室から真っ白な谷川岳が良く見える
平成29年1月19日(木)
今朝から水分を口から採れるようになる。ポカリスエットのようなOS-1 280ccと番茶。三食これ。
相変わらず1時間半置きぐらいにトイレ。痛み止めは不要だが胸は痛い。廊下にあった体重計に乗ってみると3日も食事をしていないのに入院前と変わらず、3kgは痩せるかと期待していたが点滴でしっかりカロリーも補給しているようだ。ふと手を見ると手の甲皮膚が真っ黒変色し、ひび割れている。脂分が抜けてしまったのだろう?
毎朝夕担当の女医さんは様子を見に来てくれる。リハビリを兼ねて点滴をぶら下げながら廊下の散歩を始めた。
1周約320歩、5週で1600歩。それを6セットとトイレの往復で約一万歩だ。
廊下を歩いていると担当医が病室から病室へ忙しそうに回って居るのが見えた。病室を小走りに渡り歩く小柄でショートカットの先生の後姿に何となく座敷童を思い出した。(とても可愛らしく見えたという意味。念のため)
夜に執刀医が見え、術後の注意などについて説明頂いた。
術後2週間位で一時手術部分が収縮するので、よく噛んで食べること。病後などに好まれるカステラや鶏肉は喉に詰まり安いので注意が必要等親切で解りやすい説明であった。
「お酒は飲まれますか?」
「強くは無いですけれど毎日」
「すぐ顔が赤くなるタイプ?」
「そうです」
「そういう人は食道癌リスクが高いんですよ。ウイスキーとかは」
「強くはないのですが、ウイスキーやブランデーはストレートで飲むことが多いです」
「それは、一番リスクが高いですネ」
「追加で治療が必要な場合はどんな治療ですか」
「外科手術の場合、胸を切開し肋骨を1っ本外して、幹部を切断して胃を延ばして繋げる手術です」
「・・・・・・・・・・・・・~」
平成29年1月20日(金)
今朝より、OS-1の他に重湯、みそ汁の上澄み液、流動食(明治メイン200cc)が追加。もうOS-1は飲みたくないのでパス。胸に10分置き位に差し込むような痛みが走る。食道は体の真ん中よりやや左よりで背中に近い方にあるそうで、右胸が痛むのは手術した場所とは違う様だ。
夕方担当医が見え、説明があると言う。丁度妻も下着を持ってきたので一緒に聞く。
「病理組織診断結果が出ました。週明けになると思っていたのですが、先ほど来たばかりですが良い結果ですので、早くお知らせしようと思って。癌は取り切れたとの所見です」
「それでは追加治療は不要ですね」
癌の告知を受けたときは冷静であったが、肋骨を失わずに済んだとの思いもあり、完全切除の知らせに思わず涙が出た。妻共々何度も礼を言った。
トイレ以外、昨晩まで良く寝られていたが、なぜか今日は寝られない。
平成29年1月21日(土)
昨日の昼より、とぎ汁の様な重湯、今日の昼より3分粥となる。最初は喉を通るだけで嬉しく、美味しかったが次第にもっと形のあるものが食べたくなってきた。
担当医が当直日なので今日も病室を訪問してくれた。
「先生、和らいだもののまだ胸の痛みが取れません」
「右胸だけど心配だから月曜に心電図を撮り、異状なければ火曜に採血。炎症反応の数値が良ければ水曜退院ということにしましょう」
「煎餅が食べたいんですけれど」
「それは、しばらくダメですね」
平成29年1月22日(日)
昼から五分粥となり大分食事らしくなってきた。排尿の痛みは消えたが胸は痛い。
廊下東窓から日の出
廊下西窓から榛名山
平成29年1月23日(月)
昼より7分粥。ベットから赤城山を眺めながらの食事、景色だけはレストラン並み。
午後妻と一緒に栄養士から食事指導を受ける。夕方、入院以来右腕に付いていた点滴が6日ぶりに外れる。
手の甲を見るといつの間にかどす黒い色が消えほぼ元に戻っていた。食事をとらないと肌に影響するのかもしれない。病院にも慣れ手術後の痛みも取れて来たら周りのことが気になりだした。当病院は医者も看護師も群馬ネイティブが多い様だ。
患者♂「世話になるシー(人)に食って貰いたくて、持ってきたものがあるんサ。貰ってクンナイ(ください)」
看護師♀「差し入れもらちゃダメなんだヨ。良くないんダヨ。それよか(それより)、お熱はかりましょ」
患者♂「先生、ユンべ(昨晩)からここがヤメテ(病めて・痛くて)しょうがねンだよ」
医者♂「そらーしょうがねんだよ手術後だから。お薬出しとくからサ」
看護師♀「お腹が張っているようだけど、前っからカイ」
患者♂「そうなんサ。でもなんともネ~ヨ。痩せろって言われてんだけど駄目なんサ。
それより夕ンべ、ナッカラ(沢山)汗かいたんで、下着取り替えてクンナイ(ください)」
看護師♀「そうナン。今持チに行ってきます」
文字で書くと乱暴な様だが、実際は優しく丁寧な医者と看護師である。患者も群馬ネイティブの看護師に遠慮なく話せて良いのだろう。
平成29年1月24日(火)
昼より全粥となるも毎日スプーンで食べる食事に飽きた。水ばかりの時は三分粥でも美味しかったのに、贅沢なものだ。血液検査の結果も良かったので明日の退院が決まる。
廊下東窓より夜明け
平成29年1月25日(水)
病院最後の朝食をとり午前10時退院。
自分は運が良かった気がしている。職場が変わったことで人間ドックの病院も変え食道癌が発見された。
1年以上前に出来たといっても初期段階、昨年病院を変えても見つからなかったかもしれない。癌の進行もギリギリ内視鏡で済む範囲で、年間100件以上内視鏡手術をする熟練医師に手術してもらえた。
何の自覚症状も無く入院し、後遺症も無く退院できた。元気で入院、元気で退院できた。人生の贈り物の様な幸運は大切にしたい。
赤城山の鍋割・荒山の神様に感謝
癌の宣告を受けたときは
泡を食って愚妻にヘソクリの在りかと暗証番号を教えてしまったのは失敗でした
癌は早期発見・早期治療で治る病気、
人間ドックもたまには場所を変え、見方を変えてもらう必要があると思いました
この「病の記」は自分の覚えであるが、当ブログを見た誰かの何かの参考になれば幸甚です
これから再発が心配ですが、
何はともあれ、「一病息災」「災い転じて」の精神を持ちつつ
山歩き再開のリハビリ開始です
↓そんな訳で 押して頂くとたすかります
(追記)
平成29年2月1日(水)検診・血液検査
「血液検査の結果、問題なく順調に回復している様です」
「胸の痛みも、一昨日ぐらいから消えて入院前の状態に戻った気がします」
「それでは2月17日に内視鏡検査をします。まだ、煎餅はダメですよ」
「チョコレートなんか食べても問題ないですか」
「問題無いですよ。バレンタインですか?」
平成29年2月17日(金)内視鏡検診
手術後1か月目、内視鏡による検診
手術跡も順調に回復
よく噛んで食べることで普通の食事が出来るようになった
18日(土)執刀医にお礼に行った
平成29年4月20日(木)
採血
平成29年4月27日(木)
医「血液検査の結果。腫瘍マーカーに異常は見られません」
凡「良かったです」
医「コレステロールと尿酸値が高いですね。お疲れですか?
水分を多くとりましょう」
凡「はい、その後お酒も飲んでないし。少しやせたんですけれど」
平成29年5月2日(火)内視鏡検査
「2週間具合前から、朝空腹時に胃が痛むんですけれど」
「お酒は飲んでいませんよネ?内視鏡で見た範囲では胃に異常は在りません。手術跡も良くなっています。
心配なら胃薬スクラルファート出しておきます」
(これでビールが飲める。ついでに)
「足が攣ることがありますが何科で見てもらえばよいですか」
「整形外科ですが背骨がずれていたりするのかもしれませんネ。ツムラの68番も出しておきましょう。
漢方薬ですが即効性があります。痙攣時に飲んでください」
(オー。山歩きも安心だ)
平成29年7月27日(木)血液検査
前回まで上限値(1.5)以下だった扁平上皮癌を示す腫瘍マーカーの値が
上限をわずかに上回る1.6(前回1.1)
尿酸値は7.9→7.1→7.0と少しづつ下がったいるが次回も7.0を上回れば薬を飲むことになる
次回は8月23日にCTの予定
(どこかに癌が隠れているか心配。次回異常があればPETが受けられないか相談してみようと思う)
平成29年8月23日(水)CT・血液検査
造影剤を入れたCTでは、再発及び転移が認められなかった
腫瘍マーカーもSCCが1.3(上限1.5)と上限値以下になる
一安心ではあるが、尿酸値が8.0と高く朝から薬を飲むこととなる
平成29年9月13日(水)~14日(木)人間ドック
手術した病院にPET/CTが無いので
値段は高いが安心のため他の病院で人間ドックでPET/CTを受ける
幸い異常なし
無呼吸症候群が判明し再検査
平成29年9月28日
悪玉コレステロールの値が高いので本日よりゼチアーノ10mgを処方される
平成29年10月31日
胃カメラで食道組織採取
平成29年11月13日
無呼吸症候群検査 頭部レントゲン・鼻呼吸器検査
平成29年11月29日~30日
無呼吸症候群検査入院
早期の発見で完全完治され本当にようございました
心からお祝い申し上げます
私は4日から風邪で寝込んで15日まで床の中にいて20日ころようやく動き出せました
そんな訳で(のやま)さんのホームページを拝見する余裕もなくていましたが拝見して、もうビックリ仰天いたしました
でも、赤城の神様の御加護があり完全完治とのことですからまたお元気にあちこちの御山の様子をお知らせくださいませ
まずは養生第一になされて体力の回復に御専念ください
今晩は、御無沙汰しており又ご心配をかけました
山歩きが唯一の趣味の様な自分ですので
体力の衰えが一番心配で、順調に回復している洋なので
退院10日目の冬ばれの昨日は市内を約15km、3:30程散歩しました
さすがに疲れたました。
山歩きの様子を報告できるまでもう少しかかりそうです