上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道69次を歩く (岩村田宿~芦田宿)

2023年11月28日 | 街道を歩く


【信濃路 長野県】 令和5年(2023)11月24日(金)快晴
 宿場距離:岩村田~芦田 17.1km 
 歩行距離:佐久平駅~芦田宿 17.9km(累計232.0km) (日本橋・下諏訪3割増232.0/181.6=1.28)
 行  程:自宅5:00==佐久平駅前第2P07:15---07:25平塚の一里塚---08:30塩名田宿本陣跡08:30---09:23八幡神社前バス停09:28---09:31八幡神社09:31---09:37八幡宿本陣跡09:37---10:52望月宿本陣跡10:54---12:29瑞香園--立科役場前15:54==200円==16:33佐久平駅
 佐久平駅前第2駐車場 800円

【岩村田宿から芦田宿へ 7:25平塚の一里塚を出立】

前回雨のためバスで通過した岩村田宿から芦田宿間
前回お世話になった瑞香園さんに昼の営業時間に着くよう早出をした


平塚の一里塚跡(日本橋から43里)
浅間山に源をなす濁川に架かる砂田橋の向こうに一里塚があったが今は場所を示す物は何もない

砂田橋を渡るとすぐ右に

荘山(かがりやま)稲荷神社 寛保元年(1714)創建
拝殿には保食神(うけもちのかみ)の額が掲げられており珍しい西向きの神社
「保食神は”食べ物に困らないように五穀豊穣を願う”神社
食べ物の神様である豊受神(とようけのかみ)と同じとされる場合もある」



境内にある芭蕉句碑
「野を横に 馬引むけよ 郭公(ほととぎす)」




少し進むと左手に石塔石仏群
お墓と一緒なので個人の墓地に石仏が集められたのだろうか?




右手に諏訪神社、参道階段脇に男女双体道祖神



三猿が彫られた青面金剛像庚申塔と御嶽山碑、後ろは雲に隠れた八ケ岳連峰




8:15 4.4km 駒形神社 本殿は文明十八年(1486)の再建で国重要文化財


祭神は騎乗の男女二神像で望月の牧の守護神といわれている
そういうわけで、そのような石が祀られている(陰陽石)


【8:25 5.6km 23次 塩名田宿】


東枡形跡で塩名田宿の江戸(東)口
中北道標「←笠取峠15.3km追分15.3km→」



総合食品店大井屋に本陣丸山善兵衛の木札が掲げられている



向かいに丸山煙草の木札手前に中津村道路原票






問屋本陣跡と隣接する高札場



塩名田宿の街並み




坂越佐藤家住宅、 宿内最古の町屋



坂越の隣りが大和屋蔵元、最近の建築のようだが白壁と卯建が目立つ





お滝・天保十年(1839)建立の十九夜塔、明治四十年(1907)建立の道祖神
枯れたケヤキの根株から清水が湧き出ている





三階建ての茶屋角屋と三階建住居群



突き当りは千曲川





舟つなぎ石
明治になると九艘の舟を繋ぎ、その上に板を渡した舟橋が架橋された
岩の頭部に穴を空け舟橋の舟を繋ぎ止めた石



大日如来像と芭蕉句碑 
後ろは浅間山、朝の内雲に隠れていたが姿を表した
芭蕉句碑「涼しさや すぐに野松の 枝のなり」



9:00 6.7km 御馬寄(みまよせ)の一里塚 日本橋から44里



御井(みい)大神(井戸湧水の守護神)と馬頭観音像が二基



生井(いくゐ)大神(井戸の守護神)、馬頭観世音文字塔は文政十一年(1828)の建立


【24次 八幡宿 9:30 着 8.0km】


八幡神社隋神門  天保十四年(1843)建立 


天明三年(1783)建立の本殿は重要文化財



真っ直ぐ延びる八幡宿の街並み



八幡宿本陣跡、文化元年(1804)建築の本陣門



馬頭観世音文字塔が三基



お地蔵




祝言道祖神
安曇地方発祥の道祖神、この道祖神は神様の衣装でなく宮廷貴族の衣装が珍しい



元禄十一年(1698)建立の道標「右仲仙道」、傍らに中山道牧布施道標


【25次 望月宿】




瓜生坂の碑 左は百萬遍供養塔



馬頭観音



石塔石仏群
個人住宅の庭の様な所に石尊大権現碑、大聖不動、普寛霊神、御嶽山蔵王大権現碑等があり、擁壁下に道祖神、馬頭観音等がある


表示板には長坂の馬頭観音・道祖神とある
中ほどに双体道祖神も



鹿曲川(かくまがわ)を長坂橋で渡る



民家の木鼻に丸に「モ」の字、望月のモか? 地元への愛情を感じる意匠



望月バスターミナル
ターミナルとは言うけれど、今は平日のみ1日数便の千曲バス中仙道線だけだが以前は交通の要衝だったのだろうか?



望月の街並み


10:50 12.6km 消防も洒落た建築



大正五年(1916)建築の木造三階建井出野屋旅館、映画「犬上家の一族」のロケに使われたそうだ



現在も営業している江戸時代末期創業の御宿山城屋



佐久市立望月歴史民俗資料館(本日、祝日(勤労感謝の日)の翌日で休館日)


前庭に駒繋ぎ石や祝言道祖神が展示してある



本陣跡は現在小児科医院



手前は江戸時代操業の御宿山城屋、奥は鷹野脇本陣跡



江戸期旅籠と問屋を兼ねた大和屋跡、望月宿最古の建築で国登録重要文化財



丸に「モ」の字が刻まれた下駄を掲げる下駄屋香美屋跡




大伴神社 景行天皇四十年(110)の創建
「毎年8月15日に奉納される例祭「榊祭り」(佐久市指定無形民俗文化財)は信州の奇祭とも称される特殊神事で松明山から松明を揚げて望月橋まで一気に駆け下り、その松明を橋から鹿曲川へと投げ込み五穀豊穣や無病息災を祈願します。」(長野県:歴史・観光・見所)







野仏 旅に病んだ行旅死亡人を弔ったか




11:30 15.6km 茂田井間の宿の江戸口



太陽光発電を建設しようとしたが台座の骨組みと中国産のソーラーパネルが野済みされ放置されている
太陽光発電が権利だけ取得し計画倒れになった箇所が多くあるが建設途中で頓挫したのはあまり見ない



神明社 宝永六年(1709)建立、祭神は天照大神で雨乞いに霊験あらたか



茂田井の街並み



白壁の建物群が美しい叶屋(武重本家酒造)、 明治元年(1868)創業
酒造施設等が国有形登録文化財



武重本家酒造の向いに若山牧水の酒に因む歌碑
「よき酒と ひとのいふなる 御園竹(みそのたけ) われもけふ飲み つよしと思へり」
「しらたまの 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」(この句だけ知っている
「ひとの世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにのたのしみ」




蔦屋、元禄二年(1689)創業の大澤酒造
しなの山林美術館(大澤邦雄、神津港人の絵画を展示)、民俗資料館(小諸藩より拝領した甲冑などを展示)、名主の館書道館を併設している

大澤家は名主を務めており家の前に高札場があった
天狗党迎え撃つ小諸藩の本陣ともなった
「小諸藩は水戸天狗勢の戦闘能力の高さに恐れをなし、さりとて幕府の追討令には逆らえず、一定の距離を置いて追尾したといわれている」



大きな馬頭観世音文字塔






茂田井村上組高札場跡



石割坂
勾配がきつく大きな石があり交通に不便だったので石を割り中山道を開通させたところから石割坂と呼ばれた



12:00 16.4km 茂田井の一里塚 日本橋より46里
このあたりまで宿内1.7kmが茂田井の間の宿
中山道69次には入ってないが往時の風情を残す良いところだ



茂田井の家並を抜けると雲が晴れた浅間山が良く見えた
その浅間山を望む様に「三界無縁供養塔」なるものが小高いところにポツンと建っている
中山道中行き倒れになった人の供養塔だろうか


【12:20 17.4km 26次芦田宿着】



一週間前ここで昼食後、傘を忘れた
店は料理人のオーナーとパートのお姉さんの二人
昼時の忙しい時に料理人のオーナーが車で追いかけてきて傘を届けてくれた
その後再び雨が降り出したこともあり感謝に絶えないのでお礼に再訪した





【番 外】

帰りのバスまで時間があるので芦田宿周辺を散策

慧日山修学院津金寺 創建は大宝2年(702)
天台宗最古の学問所となる津金寺談義所が開設され、全国から数多くの僧侶が訪れた



津金寺山門 文化10年(1582)建築








3基の滋野氏の供養塔(津金寺宝塔)長野県県宝


境内には800基を越える五輪塔がある








過日、雨のためバスで移動した区間を繋ぐ旅
荒れた天気や、食堂のマスターや交流センターの方の親切にあいました
観光とは、その地の「光り輝く所」を「観る」ということだそうですが
優れた景観や歴史・文化だけでなくその土地の人情等を経験することも含めて
観光する旅の楽しみということが少しばかり解った気がします
この先京都までどんな旅ができるか楽しみです

 
 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります





 地図


用語
【立場(たてば)】江戸時代の五街道やその脇街道に設けられた施設。次の宿場町が遠い場合はその途中に、また、峠のような難所がある場合はその難所に、休憩施設として設けられたもの。茶屋や売店が設けられていた。立場が発展し、大きな集落を形成し、宿屋なども設けられたのは間の宿(あいのしゅく)。杖を立ててひと休みしたのでその名が生じたといわれている。

【高札場(こうさつば)】幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所

【「問屋場」(といやば)】人馬の継立業務(幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際 に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶ)、飛脚業務(幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける)

【本陣と脇本陣】天皇の勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設です。本陣だけに宿泊できないときに、予備にあてた宿舎が脇本陣

【名号(みょうごう)】名をもって号(さけ)ぶという意味。「六字名号」・「九字名号」・「十字名号」などがある。六字名号は南無阿弥陀仏の六字



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