晴れ。寒い朝。気温ひとケタ。午前中、一昨日植えつけたばかりの花壇の曜日当番へ。木枯らしが吹き、路面も花壇もユリノキやケヤキの枯れ葉がひっきりなしに舞い落ちてくる。もく拾いバサミや箒を使ってビニールのゴミ袋にいっぱい詰め込んだが追いつかん。追うのを諦めて、花壇の金魚草が風で倒れないよう支柱をする作業に移る。水やりもする。2時間半ほど作業。腰疲れし作業中断。帰宅してお茶。老妻は洗濯、老翁は花壇ボランティア。ハイ、お疲れさん。お昼は、ゆんべのカシワの水炊きを使って讃岐うどん。
午後、読みさしの「時代を生きた作家と文学」を飛ばし読む。最後の章で小林多喜二の「東俱知安行」「蟹工船」などの作品を生んだ作家の意図や背景の解説にはっとした。小説家は「売文家」ばかりではない。資本の冷酷・横暴に抵抗する未組織の労働者のたたかいをはげます作家もいるのだと。数年前、「蟹工船」ブームがあったのを思い出す。絵画も文芸も芸能も民衆を元気づけるものが受けるんや。ただ、面白いだけではあかん。文学の意味を考え直した。さて、人権を破壊する非人間的社会は終わらせられるのだろうか?
木枯らしの花壇の若苗支えおり 昇龍子