タイ語板 肆の型ぁ~  4

あれってそれって幾つあったっけ ~ 雑節

あれってそれって幾つあったっけ ~ 雑節

 

 二十四節気、五節句などの暦日の他に          『節分・彼岸・社日・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日・二百二十日』の9つ、

初午、三元を基にした                              『上元・中元・下元・大祓』の4つを加える場合がある、、とのこと。

 

--                           二十四節季 นิจูชิเซ็ตสึ(24ฤดูกาล)  例;อีกคําพูดหนึ่งที่มาจากปฏิทินโบราณเช่นกันคือ ใน “นิจูชิเซ็ตสึ(24ฤดูกาล)”
ที่ประเทศจีนและญี่ปุ่นใช้เรียกฤดูกาลนั้น มีการเรียกวันที่ 22 ธันวาคมว่า “โทจิ”
ซึ่งหมายถึงวันที่เวลาช่วงกลางวันในครึ่งซีกโลกเหนือสั้นที่สุด ในวันนั้นมีธรรม
เนียมรับประทานฝักทองต้ม ลงแช่นํ้าอุ่นลอยส้มยูสุ เพื่อเป็นการขับไล่ความ
หนาวออกไป 【訳;一方、これも旧暦で、中国や日本で使われていた季節の呼び名「二十四節気」では、12月22日頃を「冬至」と言っていました。冬至は昼の長さが北半球で最も短かい日のことです。この日は、かぼちゃの煮物を食べたり、湯船に柚子を浮かべて入ったりして、寒さを払い滋養をつける風習があります。】

 

ーーーーーーーー                         M:【 雑節  とは 】 

    日本には、雑節という暦日があります。雑節は、二十四節気や五節供のように中国から伝わったものではなく、日本人の生活文化から生まれた日本独自のものです。 また、貴族や武家の儀式ではなく、主に農作業と照らし合わせた季節の目安となっており、日本の気候風土に合わせてあるため、長い間に培われてきた知恵と経験の集約といえるでしょう。

主な雑節

    【節分:せつぶん】 立春の前日 (2月3日頃)
    【彼岸:ひがん】 春分と秋分をそれぞれ中日とする7日間
    【社日:しゃにち】 春分と秋分に最も近い戊の日
    【八十八夜:はちじゅうはちや】 立春から88日目 (5月2日頃)
    【入梅:にゅうばい】 立春から135日目 (6月11日頃)
    【半夏生:はんげしょう】 夏至から11日目 (7月2日頃)
    【土用:どよう】 立春、立夏、立秋、立冬の前各18日間
    【二百十日:にひゃくとおか】 立春から210日目(9月1日頃)
    【二百二十日:にひゃくはつか】 立春から220日目 (9月11日頃)

 

ーーーーーーーー                           M2:【 七十二候 とは 】

 二十四節気(にじゅうしせっき)は★半月毎の季節の変化を示していますが、これをさらに3倍の★約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候(しちじゅうにこう)です。 二十四節気と同じく★古代中国で作られました。 二十四節気が古代のものがそのまま使われているのに対し、七十二候は★何度も変更されてきました。
日本でも、江戸時代に入って日本の気候風土に合うように改定され、「★本朝七十二候」が作られました。 現在主に使われているのは、明治時代に改訂された「★略本暦」のものです。
ちなみに「気候」ということばは、この「節気」と「候」からできています。

 七十二候の名称は、気候の変化や動植物の様子が★短い文で表されています。 私たちの暮らしでは目にする機会の少ない事象もありますが、おおかたはその時期の「兆し」を伝え、繊細な季節のうつろいを感じさせてくれます。

 Ⅰ 春
二十四節気「1 立春(りっしゅん)」

・東風解凍(はるかぜこおりをとく)2月4日頃
春の風が川や湖の氷を解かし始める頃。「東風」(こち)とは春風を表す代名詞。

・黄鴬睍睆(うぐいすなく)2月9日頃
山里で鴬が鳴き始める頃。春の訪れを告げる鴬は「春告鳥」(はるつげどり)とも呼ばれます。

・魚上氷(うおこおりをいずる)2月14日頃
水がぬるみ、割れた氷の間から魚が飛び跳ねる頃。春先の氷を「薄氷」と呼びます。


二十四節気「2 雨水(うすい)」

・土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)2月18日頃
雪がしっとりとした春の雨にかわり、大地が潤い始める頃。「脉」は脈の俗字です。

・霞始靆(かすみはじめてたなびく)2月23日頃
春霞がたなびき始める頃。春の霞んだ月を「朧月」(おぼろづき)と呼びます。

・草木萌動(そうもくめばえいずる)2月28日頃
草木が芽吹き始める頃。草の芽が萌え出すことを「草萌え」(くさもえ)と言います。


二十四節気「3 啓蟄(けいちつ)」

・蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)3月5日頃
戸を啓いて顔を出すかのように、冬ごもりをしていた生きものが姿を表す頃。

・桃始笑(ももはじめてさく)3月10日頃
桃の花が咲き始める頃。花が咲くことを「笑う」と表現、「山笑う」は春の季語です。

・菜虫化蝶(なむしちょうとなる)3月15日頃
青虫が紋白蝶になる頃。「菜虫」は菜を食べる青虫のこと。菜の花が咲いてまさに春本番。


二十四節気「4 春分(しゅんぶん)」

・雀始巣(すずめはじめてすくう)3月20日頃
雀が巣を作り始める頃。昼の時間が少しずつ伸び、多くの小鳥たちが繁殖期を迎えます。

・桜始開(さくらはじめてひらく)3月25日頃
桜の花が咲き始める頃。桜前線の北上を日本中が待ち望む、お花見の季節の到来です。

・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)3月30日頃
春の訪れを告げる雷が鳴り始める頃。「春雷」(しゅんらい)は「虫出しの雷」とも呼ばれています。


二十四節気「5 清明(せいめい)」

・玄鳥至(つばめきたる)4月5日頃
燕が南の国から渡ってくる頃。「玄鳥」(げんちょう)とは燕の異名です。

・鴻雁北(こうがんかえる)4月10日頃
雁が北へ帰っていく頃。雁は夏場をシベリアで、冬は日本で過ごす渡り鳥です。

・虹始見(にじはじめてあらわる)4月15日頃
雨上がりに虹が見え始める頃。淡く消えやすい春の虹も次第にくっきりしてきます。


二十四節気「6 穀雨(こくう)」

・葭始生(あしはじめてしょうず)4月20日頃
水辺の葭が芽吹き始める頃。葭は夏に背を伸ばし、秋に黄金色の穂をなびかせます。

・霜止出苗(しもやみてなえいずる)4月25日頃
霜が降りなくなり、苗代で稲の苗が生長する頃。霜は作物の大敵とされています。

・牡丹華(ぼたんはなさく)4月30日頃
牡丹が大きな花を咲かせる頃。豪華で艶やかな牡丹は「百花の王」と呼ばれています。



二十四節気「7 立夏(りっか)」

・蛙始鳴(かわずはじめてなく)5月5日頃
蛙が鳴き始める頃。水田の中をスイスイ泳ぎ、活発に活動を始めます。「かわず」は蛙の歌語・雅語。

・蚯蚓出(みみずいずる)5月10日頃
みみずが地上に出てくる頃。畑土をほぐしてくれるみみずは、動き始めるのが少し遅めです。

・竹笋生(たけのこしょうず)5月15日頃
たけのこが出てくる頃。たけのこは成長が早く、一晩でひと節伸びると言われています。


二十四節気「8 小満(しょうまん)」

・蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)5月21日頃
蚕が桑の葉を盛んに食べだす頃。蚕がつむいだ繭が美しい絹糸になります。

・紅花栄(べにばなさかう)5月26日頃
紅花の花が咲きほこる頃。紅花は染料や口紅になり、珍重されました。

・麦秋至(むぎのときいたる)5月31日頃
麦の穂が実り始める頃。「秋」は実りの季節を表し、穂を揺らす風は「麦の秋風」。


二十四節気「9 芒種(ぼうしゅ)」

・蟷螂生(かまきりしょうず)6月5日頃
かまきりが卵からかえる頃。ピンポン球ほどの卵から数百匹の子が誕生します。

・腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)6月10日頃
草の中から蛍が舞い、光を放ち始める頃。昔は腐った草が蛍になると考えていました。

・梅子黄(うめのみきばむ)6月15日頃
梅の実が黄ばんで熟す頃。青い梅が次第に黄色みをおび、赤く熟していきます。


二十四節気「10 夏至(げし)」

・乃東枯(なつかれくさかるる)6月21日頃
夏枯草の花が黒ずみ枯れたように見える頃。「夏枯草」(かごそう)はうつぼ草の異名です。

・菖蒲華(あやめはなさく)6月26日頃
あやめの花が咲き始める頃。端午の節供に用いる菖蒲(しょうぶ)ではなく、花菖蒲のことです。

・半夏生(はんげしょうず)7月1日頃
半夏が生え始める頃。田植えを終える目安とされました。「半夏」は「烏柄杓」(からすびしゃく)の異名。


二十四節気「11 小暑(しょうしょ)」

・温風至(あつかぜいたる)7月7日頃
熱い風が吹き始める頃。温風は梅雨明けの頃に吹く南風のこと。日に日に暑さが増します。

・蓮始開(はすはじめてひらく)7月12日頃
蓮の花が咲き始める頃。優美で清らかな蓮は、天上の花にたとえられています。

・鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)7月17日頃
鷹の子が飛ぶ技を覚え、巣立ちを迎える頃。獲物をとらえ一人前になっていきます。


二十四節気「12 大暑(たいしょ)」

・桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)7月23日頃
桐の花が実を結び始める頃。桐は箪笥や下駄など暮らしの道具に欠かせないものです。

・土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)7月28日頃
土がじっとりとして蒸し暑くなる頃。蒸し暑いことを「溽暑(じょくしょ)」と言います。

・大雨時行(たいうときどきふる)8月2日頃
ときどき大雨が降る頃。むくむくと湧き上がる入道雲が夕立になり、乾いた大地を潤します。



二十四節気「13 立秋(りっしゅう)」

・涼風至(すずかぜいたる)8月7日頃
涼しい風が吹き始める頃。まだ暑いからこそ、ふとした瞬間に涼を感じることができます。

・寒蝉鳴(ひぐらしなく)8月12日頃
カナカナと甲高くひぐらしが鳴き始める頃。日暮れに響く虫の声は、一服の清涼剤。

・蒙霧升降(ふかききりまとう)8月17日頃
深い霧がまとわりつくように立ち込める頃。秋の「霧」に対して、春は「霞」と呼びます。


二十四節気「14 処暑(しょしょ)」

・綿柎開(わたのはなしべひらく)8月23日頃
綿を包むガクが開き始める頃。綿の実がはじけ白いふわふわが顔をのぞかせた様子。

・天地始粛(てんちはじめてさむし)8月28日頃
天地の暑さがようやくおさまり始める頃。「粛」は縮む、しずまるという意味です。

・禾乃登(こくものすなわちみのる)9月2日頃
いよいよ稲が実り、穂を垂らす頃。「禾」は稲穂が実ったところを表した象形文字。


二十四節気「15 白露(はくろ)」

・草露白(くさのつゆしろし)9月7日頃
草に降りた露が白く光って見える頃。朝夕の涼しさが際立ってきます。

・鶺鴒鳴(せきれいなく)9月12日頃
せきれいが鳴き始める頃。せきれいは日本神話にも登場し、別名は「恋教え鳥」。

・玄鳥去(つばめさる)9月17日頃
燕が子育てを終え、南へ帰っていく頃。来春までしばしのお別れです。


二十四節気「16 秋分(しゅうぶん)」

・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)9月23日頃
雷が鳴らなくなる頃。春分に始まり夏の間鳴り響いた雷も、鳴りをひそめます。

・蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)9月28日頃
虫たちが土にもぐり、入口の戸をふさぐ頃。冬ごもりの支度をする時期です。

・水始涸(みずはじめてかるる)10月3日頃
田んぼの水を抜き、稲刈りの準備をする頃。井戸の水が枯れ始める頃との説も。


二十四節気「17 寒露(かんろ)」

・鴻雁来(こうがんきたる)10月8日頃
雁が渡ってくる頃。清明の時期に北へ帰っていった雁たちが、再びやってきます。

・菊花開(きくのはなひらく)10月13日頃
菊の花が咲き始める頃。旧暦では重陽の節供の時期で、菊で長寿を祈願しました。

・蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)10月18日頃
戸口で秋の虫が鳴く頃。昔は「こおろぎ」を「きりぎりす」と呼びました。


二十四節気「18 霜降(そうこう)」

・霜始降(しもはじめてふる)10月23日頃
山里に霜が降り始める頃。草木や作物を枯らす霜を警戒する時期です。

・霎時施(こさめときどきふる)10月28日頃
ときどき小雨が降る頃。「霎」をしぐれと読むことも。ひと雨ごとに気温が下がります。

・楓蔦黄(もみじつたきばむ)11月2日頃
楓(かえで)や蔦の葉が色づく頃。晩秋の山々は赤や黄に彩られ、紅葉狩りの季節です。



二十四節気「19 立冬(りっとう)」

・山茶始開(つばきはじめてひらく)11月7日頃
山茶花(さざんか)の花が咲き始める頃。椿と混同されがちですが、先駆けて咲くのは山茶花です。

・地始凍(ちはじめてこおる)11月12日頃
大地が凍り始める頃。サクサクと霜柱を踏みしめて歩くのが楽しみな時期です。

・金盞香(きんせんかさく)11月17日頃
水仙が咲き芳香を放つ頃。「金盞」は金の盃のことで、水仙の黄色い冠を見立てています。


二十四節気「20 小雪(しょうせつ)」

・虹蔵不見(にじかくれてみえず)11月22日頃
陽の光も弱まり、虹を見かけなくなる頃。「蔵」には潜むという意味があります。

・朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)11月27日頃
北風が木の葉を吹き払う頃。「朔風」は北の風という意味で、木枯らしをさします。

・橘始黄(たちばなはじめてきばむ)12月2日頃
橘の実が黄色く色づき始める頃。常緑樹の橘は、永遠の象徴とされています。


二十四節気「21 大雪(たいせつ)」

・閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)12月7日頃
空が閉ざされ真冬となる。空をふさぐかのように重苦しい空が真冬の空です。

・熊蟄穴(くまあなにこもる)12月12日頃
熊が穴に入って冬ごもりする頃。何も食べずに過ごすため、秋に食いだめをします。

・鱖魚群(さけのうおむらがる)12月17日頃
鮭が群がって川を上る頃。川で生まれた鮭は、海を回遊し故郷の川へ帰ります。


二十四節気「22 冬至(とうじ)」

・乃東生(なつかれくさしょうず)12月22日頃
夏枯草が芽をだす頃。夏至の「乃東枯」に対応し、うつぼ草を表しています。

・麋角解(さわしかのつのおつる)12月27日頃
鹿の角が落ちる頃。「麋」は大鹿のことで、古い角を落として生え変わります。

・雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)1月1日頃
雪の下で麦が芽をだす頃。浮き上がった芽を踏む「麦踏み」は日本独特の風習です。


二十四節気「23小寒(しょうかん)」

・芹乃栄(せりすなわちさかう)1月5日頃
芹が盛んに育つ頃。春の七草のひとつで、7日の七草粥に入れて食べられます。

・水泉動(しみずあたたかをふくむ)1月10日頃
地中で凍っていた泉が動き始める頃。かすかなあたたかさを愛おしく感じる時期です。

・雉始雊(きじはじめてなく)1月15日頃
雉が鳴き始める頃。雄がケーンケーンと甲高い声をあげて求愛します。


二十四節気「24 大寒(だいかん)」

・款冬華(ふきのはなさく)1月20日頃
雪の下からふきのとうが顔をだす頃。香りが強くほろ苦いふきのとうは早春の味。

・水沢腹堅(さわみずこおりつめる)1月25日頃
沢に厚い氷が張りつめる頃。沢に流れる水さえも凍る厳冬ならではの風景です。

・鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)1月30日頃
鶏が鳥屋に入って卵を産み始める頃。本来、鶏は冬は産卵せず、春が近づくと卵を産みました。

 (出展; /季節のめぐりと暦 私の根っこプロジェクト「日々是活き生き 暮らし歳時記」)

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                   M3; 【初午と、三元を基にした『上元・中元・下元・大祓』 】 の4つ について   

➊ 初午(はつうま)とは              ★2月の最初の午の日。                 稲荷社の祭の日である2月の初午をいう。 明治政府の新暦採用以前は、旧暦で2月最初の午の日に祝っていたが、現在は新暦の2月最初に行うことが多い。       初午祭に初午詣(福詣)する参詣者が訪れ、これを★雑節の一つとすることがある。旧暦で行う地域もあり、その場合は新暦の3月となる事もある。

稲荷社の本社である伏見稲荷神社のご祭神・宇迦御霊神が伊奈利山へ降りた日が和銅4年2月7日(711年2月28日)であったとされ(2月9日(3月2日)説もある)、この日が初午であったことから、全国で稲荷社を祀る。 また、この日を★蚕や牛・馬の祭日とする風習もある。江戸時代には、この日に★子供が寺子屋へ入門した。

 本来は旧暦2月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。 また、2月1日〜3日の節分前から当日にかけての日が「初午」となる場合もある。

2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある。

初午は★その年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたものである。 4月初めの巳の日の菜の花祭りの夜と初午のいずれかに雨が降らないと火に祟られるとか、初午の早い年は火事が多いとかいう俗信もある。

また、初午の日に、消防団員が各家庭を回って火の用心を呼びかけ、火の用心のお札を配る習慣がある地方もある。

富山県南砺市利賀村(旧・東礪波郡利賀村)の上村(うえむら)地区では、子供達が藁でできた馬(午)の頭をもって家々を回り、家の中に上がり込み囃し歌に合わせ舞う「利賀のはつうま」が行なわれる。       各家庭からはお礼にお菓子やみかんなどのご祝儀をもらう。昭和57年(1982年)12月21日には「利賀のはつうま行事」として国の★選択無形民俗文化財に選択され、平成16年(2004年)7月16日には、富山県の無形民俗文化財に指定されている。

奈良県ではこの初午の日に「旗飴(はたあめ)」という習慣がある。 これは、子供たちが近所の家(地域によっては商売を行っている家)を訪ね廻り、旗飴をもらう。

また、栃木県では「しもつかれ」を食べる風習がある。

この他にも油揚げ、稲荷寿司、初午だんごを供える風習もある。なお、2月11日は、全日本いなり寿司協会によって「初午いなりの日」として登録されている。  (出展;/Wiki)  

 

➋ 三元 (さんげん) とは              

 中国,三元は本来,歳・日・時の始め(元は始の意)である正月1日を指したが,六朝末期には道教の祭日である上元・中元・下元を意味し,それぞれ正月・7月・10月の15日を指すようになった。

(出展; /三元(サンゲン)とは? 意味や使い方 - コトバンク 👉https://kotobank.jp › word › 三元-513308)

上元 ;前半年の最初の望月、小正月             中元 ;3番目の四半年の最初の望月、盂蘭盆会            下元 ;4番目の四半年の最初の望月  (Wiki)

 

➌ 大祓(オオハラエ/ オオハライ)とは 

 日本の神道儀式の祓の1つ。                    祓は浄化の儀式として宮中や神社で日常的に行われるが、特に天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓という。

毎年★6月と12月の晦日、すなわち、新暦6月30日と12月31日に行われるものを恒例とするが、天皇即位後の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後や、未曽有の疫病の流行、斎宮斎院の卜定、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあった。 中臣(なかとみ)の祓とも言われる。

 大祓の初見は、『古事記』仲哀天皇の段にある

「更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて、生剝(いきはぎ)、逆剝(さかはぎ)、阿離(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、屎戸(くそへ)、上通下通婚(おやこたはけ)、馬婚(うまたはけ)、牛婚(うしたはけ)、鶏婚(とりたはけ)、犬婚(いぬたはけ)の罪の類を種種求(ま)ぎて、国の大祓して」 を指すとされる。

これら祓うべきものたちを「天つ罪(アマツツミ)」「国つ罪(クニツツミ)」といい、世俗的な罪とは異なり、祓い清めるには普通の祓式で用いる短文の祓詞(はらえことば、のりと)ではなく、長文の大祓詞を奏上、あるいは宣(の)り下して浄化する。

大祓詞には地上で国の人間が犯す罪が主体の「国つ罪」よりも農耕に関する慣行を破ることが主体の「天つ罪」のほうを先に列挙しており、古代ではこちらのほうが共同体秩序を乱す大罪と考えていたことが窺える。

大祓詞の内容は、元々は6月と12月で内容が異なっていたが、『延喜式』に「六月晦大祓、十二月此准」とあり、★6月のものが残ったとされる。 

現在は神職が神へ奏上する形をとっているが、『延喜式』に残された内容からは、本来は参集者に向かって「祝詞をよく聞け」と呼びかけこれに「おう」と称唯(いしょう)して答えるのに始まり、天孫降臨からの日本神話、罪穢の種類の列挙、そしてその祓い方と、その後祓戸大神により、どのように罪穢が消えていくかを言い聞かせる内容となっていた。

 このように、大祓は、これら既に起きてしまった災厄をリセットして今後の国体の鎮守を図る意味の他、共同体の構成員に全員の参加を義務付けて宣下する本来の形式が推定されることから、上位の政権による“禁忌を犯してはならない”という法を広く知らしめて遵守させる側面があったと考えられる。

 現在は大正3年(1914年)に当時の内務省の選定による神話や障害者に対する差別的な表現内容を含む天つ罪・国つ罪の列挙の部分が大幅に省略された大祝詞が奏上される。 これは中臣祭文(さいもん)とも言われ、現在の大祓詞はこれを一部改訂したものになっている。

 宮中祭祀
昭和天皇の即位の礼。即位の礼の年に行われる大嘗祭では、天皇が神と一緒に食事をする「大御饌供進の儀」の前に禊と大祓が行われる。「解除 (行事)」も参照

大宝元年(701年)の『大宝律令』によって正式な宮中の年中行事に、その施行細則は『延喜式』に定められた。この上代の頃の儀式の様子は『儀式』『北山抄』『江家次第』などの文書で知ることができる。また『日本書紀』に天武天皇5年(676年)8月、全国の国造や郡司から馬・布・麻などの祓物を出させて大解除を行ったとする記事が見える。

現在の大祓は『★養老律令』によるものだが、神祇令によれば、毎年の 6月と12月の晦日に中臣(なかとみ)が祓の麻(ぬさ)を東西(やまとかわち)の文部(ふびとべ)が祓の刀(たち)(罪穢を断つ義)を奉り、祓所にて、中臣が百官の男女に大祓詞を宣り下し、卜部(うらべ)が解除(はらえ)をしていた。この「祓所」とは多くは朱雀門であり、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。

しかし室町時代に起きた★応仁の乱で京都市街が荒廃すると、門前でのこのような儀式も廃絶してしまった。

明治4年(1871年)、★明治天皇は宮中三殿賢所の前庭にて大祓を400年ぶりに復活させ、翌明治5年に太政官布告を出して『大宝律令』以来の旧儀の再興を命じた。 なお、6月のものも12月のものも名称はどちらも同じく「大祓」である。

改暦の年である明治6年(1873年)より宮中祭祀では新暦6月30日と12月31日を採用している。 また、同年1月7日太政官第2号布告によって6月28日から30日までの3日間と12月29日から31日までの3日間がそれぞれ休暇日(休日)とされた。ただし、6月28日から30日までの3日間の休暇日は、直前の同年6月23日太政官第221号布告によって取り消されている。

大祓は、大正、昭和、平成の大嘗祭に際しても執り行われた。

それまで慣例として、皇室での大祓では参列する皇室の範囲を成年男子の親王に限っていた。 平成26年(2014年)6月10日、宮内庁より、男性皇族が実質少なくなったことを理由に、以降の大祓への参加を★成年女性の皇族にまで範囲を広げると発表された。

 

★民間行事としての大祓
  ※茅の輪(大和神社)

民間では、★毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。                 民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。                   前者は「名越」と表記されたり、「夏越神事」「夏祓」「六月祓」などと呼ばれることもあり、また、月遅れを採用する事例も見られる。 その場合、月の大小の兼ね合いが生じるが、晦日に意義があるため、旧暦の6月30日や新暦の7月31日に行われる。

 夏越の祓

先述の明治6年太政官布告によって休暇期間としては定着しなかった夏越の祓であるが、『拾遺和歌集』に「題しらず」「よみ人知らず」として、「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」という歌にも見える夏越の祓は、古くから民間でも見られた年中行事のひとつであり、さまざまな風習が残っている。

夏に挙行される意味として、衣服を毎日洗濯する習慣や自由に使える水が少なかった時代、半年に一度、★雑菌が繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防して健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられている。              また、旧暦6月晦日にはほとんどの地域で梅雨が明け、★猛暑と旱(ひでり)が続く夏本番を迎えることになるが、この過酷な時期を乗り越えるための戒めでもあった。

応仁の乱で宮中行事として廃絶した以降は、神仏習合の影響で民間でも行われることはほとんどなくなった。 元禄4年(1691年)に再興されたものの内侍所や一部の神社に限り、「夏越神事」「六月祓」と呼ばれて形式的な神事のみが伝わるだけだった[4]など、わずかしか執り行われていなかった。

明治4年(1871年)の太政官布告では、「夏越神事」「六月祓」の呼称を禁止をして大祓の復活が宣ぜられた。これにより神仏分離が行われた全国の神社でも毎年の大祓が行われるようになった。              太平洋戦争後になると「夏越神事」「六月祓」の呼称も一部では復活し現在に至っている。

 茅の輪くぐり

夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。                     参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った★結界内に茅で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて★計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。

かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。                 これは、『釈日本紀』逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社の蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。 多くの神社で祭神としている★スサノオと習合している例が多数見られる。

疫隈國社 素盞嗚神社では蘇民将来説話に基づいて、茅の輪くぐりを行った後に解体し、持ち帰って個々に茅の輪にする風習が残っている。

しかし、京都新聞では、次のような記事を令和元年(2019年)に書いている。                   茅の輪の"茅"を引き抜き持ち帰ってお守りとする俗信がある。しかし、本来は茅の輪をくぐった人たちの罪や穢れ・災厄が茅に遷されており、茅を持ち帰ることは他人の災厄を自宅に持ち帰ることになるので(茅の輪のカヤを抜いて持ち帰るのは)避けるべきである
    —  、『京都新聞』 2011年(平成23年)6月24日24面

茅の輪に独特の形式を施しているところがある。奈良県の大神神社では茅の輪は榊・杉・松をかかげた3連になっており、周り方も他の神社とは異なり、★杉の輪 → 松の輪 → 杉の輪 → 榊の輪 の順にくぐる。                出雲大社の茅の輪は「○形」ではなく、「U形」をしている。これを神職が両手で持ち、参詣者は、縄とびをするように飛び越える。茅を跨ぐと同時に両肩にかついた茅を落とす。

また、ペット(主に犬)の茅の輪くぐりも広く行われている。
    服部住吉神社
    服部住吉神社
    服部天神宮 六月大祓
    服部天神宮 六月大祓
    瀬戸神社
    瀬戸神社
    根津神社 大祓、芽の輪
    根津神社 大祓、芽の輪
    土岐市 大富白山神社
    土岐市 大富白山神社

 人形代

もともとは祝詞にある東文忌寸部献横刀時呪に由来する。『神祗令義解』によれば「凡六月、十二月の晦日の大祓には、中臣は御祓麻を上れ、東西の文部は、祓刀を上り、祓詞を読め、訖りなば、百官男女を祓所に聚め集へて、中臣は祓詞を宣り、卜部は解除を為せよ」とある。大祓の前に大和と河内の文部(ふみべ)が内裏へ参内し、天皇に祓刀と人形を奉って祝詞を奏上し、天皇は自分の息を吹きかけて自身の災禍を移し憑ける。後に陰陽道でも呪詛に用いた。

現在では★神社から配られた人形代(ひとかたしろ)に息を吹きかけ、また体の調子の悪いところを撫でて(このようなものを撫物(なでもの)という)穢れを遷した後に川や海に流す、ということが行われている。   この「流す」行為は、後に願掛と結びつき、同時期に行われる七夕祭と結びついて短冊を流すことがある。一部に人形代や短冊、笹竹を焚き上げるということが行われるが、これはどんと焼きや密教に由来する行事であり神仏習合で混用されたと考えられる。

 夏越の祓の風習

 6月の大祓に併せ、独自の風習が備わるところがある。京都では夏越祓に★「水無月」という和菓子を食べる習慣がある。 水無月は白のういろう生地に小豆を乗せ、三角形に包丁された菓子である。水無月の上部にある小豆は悪霊ばらいの意味があり、三角の形は暑気を払うため、平安時代の貴族が旧暦6月1日(氷の朔日)、冬のうちに保存しておいて食べた氷を表しているという説がある。

平成27年(2015年)になってから「夏越ごはん」という行事食を広める動きが出てきた。 夏野菜の丸いかき揚げを雑穀米にのせたかき揚げ丼である。公益社団法人「米穀安定供給確保支援機構」が提唱した。

高知県下では、夏越祓のことを「輪抜け様」と呼んでいる。  (出展;/Wiki)

 

 

ーーー                             初版202400130 昨日の東京都心大手町最低気温2.4℃ 最高気温11.9℃ 帰りにパーキングで仮眠。疲れが溜まってる、、

ー時節項追記前日深夜未明迄 ※29月の内容が中心 微追記校正0524                      ①▷   【①能登地震関連】  ▷壊滅的被害「加賀屋」 必ず復活 15:43    ▷酷寒のビニールハウス避難 事情は 13:55    ▷災害関連死で母 亡くす 悔やむ息子 18:57    ▷石川の停電 1月中に概ね 解消 19:42       ➊▶       ②   ▷野田聖子氏 総裁選の出馬 意欲 12:06    ▷高市氏 万博延期進言 林長官会見 16:06    ▷異例の常会 集中審議 最初に 13:23    ▷茂木派 「いわゆる派閥は解消」18:41  > なにやら含みのある云い方かと。。       ➋   ▶中国軍艦4隻 台湾四方に 常時展開 7:36    ▶ヨルダンの米施設攻撃 3人死亡 6:35    ▶ガザ 戦闘休止へ協議 へだたり残る 9:18    ▶北・正恩氏 原子力潜水艦 建造指示か 10:03    ▶邦人拘束 正当化 訪中団は落胆 13:08    ▶中国恒大に 清算命令 香港高裁 11:59    ▶ウ 武器調達巡る汚職 摘発 21:06       ③   ▷スイカゲーム アンドロイド版 検討進む 16:29  > 確か去年一番人気のスマホアプリゲームだったかと、、    ▷次世代通信IOWN 政府 支援へ 18:03    ▷楽天モバイル 一部に解約料 請求へ 20:35    ▷イオン ツルハ株取得で 独占交渉 17:07       ➌▶       ④▷➍▶       ⑤▷➎▶       ⑥   ▷トヨタ織機の不正 トヨタ頼み 影響か 20:22  > 豊田自動織機の不正 社長が謝罪 17:50  > 豊田織機 ディーゼル試験でも 不正 15:03    ▷巨人球場で 部品落下 男性意識不明 17:27   【⑥海自JAL機衝突事故関連】▷      ➏▶       ⑦▷➐▶     ⑧   ▷AKBメンバー激減 終焉 向かう? 11:35    ▷月面探査 SLIMの運用 再開 9:39  > …出来るんだ       ➑▶       ⑨▷      ⑨【主な自主トレ情報】 ▷ハム・清宮 自主トレ中倒れ込む 足押さえ 11:31       ➒   ▶ド軍 開幕戦チケ 8分で完売 11:23  > 韓国人IDがあれば買える、と誰かが云ってたが、、        ⑩▷➓▶       ⑪【J関連】▷

ー                             (画像・ 1) 二十四節気  /二十四節気と雑節-月と太陽の折り合いだとか  ニッセイ基礎研究所 

 

(画像・ 2) 二十四節気と七十二候  /  楠公会館 湊川神社

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「メモ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事