【岡潔の思想】133「岡潔先生と語る 」(2)- 西洋文明の限界
「人に作れるものは無い」1
(男性)今まで何も無いところから新しい一つのものをみんなが協力して作っていこうという行動をとった場合に、やっぱり意識というものが中心になるのと違いますか。
(岡)西洋人はすぐ作る作るって云うんですね。日本人はその真似をして、教育なんかに対しても、人間形成と云うんですが、みな間違い。総ては心が生み出すんです。人に作れるものなんか何もありません。
(男性)と云うことは、みんなが集まって一つの行動をとって生み出すということ・・・
(岡)ええ。
(男性)矢張りその中心になるのは意識ではありませんか。
(岡)それは西洋かぶれですな。間違いです。
(男性)一つの行動をとる時に、中心的な指導性というものが・・・
(岡)その指導性なんていう言葉が西洋の言葉ですね。第一の心の世界に住むと、そんなふうな図が次々に浮かぶんです。
(男性)そうすると生み出す行動っていうものは・・・
(岡)生み出すというのが創造ですね。作るんじゃない。総て物質的になってしまって、人が寄せ集めて作ると思うんです。人間形成などというのは非常にいけない言葉です。赤ん坊、生まれた時すでに一個の生物です。あれを驚嘆の目をもって見るべきです。人を作るなどと云うことは到底云えないことだとわかるはずです。
(男性)それでは時代というものがですね、前の時代から次の時代に変わって行くということは、岡先生はどういうふうに思われる訳ですか。例えば百年前と今日では随分変わっていますね、それはどういうものによって変わったとお思いになる訳ですか。
(岡)神々の意図が一体奈辺にあるんだろうかと思って、よくわからない。神々のことはとてもわからないと思ってるんですけどね。川の流れのように順々に変わって行くものですね。非常に長い目で見なけりゃわからんのでしょう。神々の意図は、日本民族というものは地球上から滅ぼしてしもうにあるのかないのか、それからしてわからんのです。
(男性)神というのは心だとおっしゃいましたね、そうすると・・・
(岡)ええ、第二の心、それが神です。だから人はみな眠れる神ということになるんです。が、目覚めた神のことを云ってるんですけどね。
次回【岡潔の思想】134「岡潔先生と語る 」(2)- 西洋文明の限界―
「人に作れるものは無い」2を記事にいたします。
※典比古
現代は、というよりは近代が始まって以来人類は、左脳偏重の思想にどっぷりと浸かっているように思えます。自我の「自動思考」の癖は、左脳の得意とするところです。
要は、この左脳を「コントロール」する術を忘れているのです。カタカムナ(相似象会誌)ではそこのとろの癖を直す方法として、「省視」するという言葉で指摘しています。
面白いことにこの「省視」という言葉は、どの辞書にも載っていないのです。よくこの言葉を味わえば、自ずと理解でき腑に落ちてくるのではないでしょうか。
29日(土)に参拝しました笠森観音。何気ない言葉が目に留まりました。