【岡潔の思想】132「岡潔先生と語る 」(2)- 西洋文明の限界
「キリスト教」
(男性)西洋のものは全部駄目だということですが、西洋の宗教であるキリスト教についてはどうなんでしょうか。
(岡)大体、第二の心が自分、これを仏教は「真我」と云ってる。それに対してからだとそのからだにとじ込められてある心 ― 第一の心 ― これを自分だと人はえてして思うものですが、これを仏教は「小我」と云ってる。
小我は迷いだから真我を自分と悟れ、仏教はそう教えてる。ところが西洋人は自我が非常に強くて、どうしても小我を自分だとしか思えない。
それでキリスト教は小我を自分と説いて、他人だけれども汝の隣人を愛せよ、そんなふうに教えてるので、西洋人に対しては適当な教え方でしょうけど、もともと間違ってるんです。
キリスト教はどうしても第二の心のあることのわからない欧米人に説いている宗教です。云ってることは間違ってる。日本人が信じるべき宗教ではありません。信ずべからざる、信じてはいけない宗教です。
ただしキリスト教で云ってる神というのは、これは総ての第二の心の融合。これをキリスト教は神と云ってるんで、また仏教の光明主義は阿弥陀如来と云ってる。これは正しいんです。そこは正しいんですが、小我を個人と云ってるところが間違ってるんです。
※典比古
岡さんの「キリスト教」に対するそれも、非常に面白いですね。単刀直入に言い切るところ、実にシンプルでわかりやすいと思います。
そしてこの箇所も、このブログの20日に、岡さんが「西洋のものはみな間違ってるんです。だけどあそこまで学問、芸術をつくり出した熱心さは買うべきです。大いに見習わなきゃいけない。」と発言されていましたように、ここでは「キリスト教」を断罪しているわけではなく「ただしキリスト教で云ってる神というのは、これは総ての第二の心の融合。これをキリスト教は神と云ってるんで、また仏教の光明主義は阿弥陀如来と云ってる。これは正しいんです。」と。しかし「小我を個人と云ってるところが間違ってるんです。」と。
実に「キリスト教」の本質をずばっと掴んでいるように思われます。
やはり学ぶべき所の急所というか根底のところをきっちりと押さえているからこその発言ですね。
次回【岡潔の思想】133「岡潔先生と語る 」(2)- 西洋文明の限界―
「人に作れるものは無い」を記事にいたします。
昨日は笠森観音の参拝、並びにトロッコ列車に乗る日帰りの旅でした。
トロッコ列車内から撮影 29日 典比古