【岡潔の思想】263「真我への目覚め」
【生命とは真我】
生命について、少しお話ししますと、生命とは真我が生きていることです。これは死なない。死なないから生命です。その根本は共通の心です。普通、単細胞などという生物は、ひとひらの心の上に一粒の細胞が乗っている。人の場合は数多くの細胞が、ひとひらの心の上に乗っている。
だから、心(真我という生命)がよく働かなくなると、肉体の個々の細胞の生き方が調和を乱してしまう。だから、肉体は達者でも真の生命である真我が健全でないというような生き方をしていると、40を過ぎたら、何時癌になるかわからない、そんなことになってしまう。
肉体だけがどんなに良くても駄目、肉体は生命じゃない、生かされているのです。死なないのが生命、その生命は共通の心という源泉から来ています。だから、人は、真我が生きていて、活き活きする。血色が良いばかりが活き活きするのではない。本当に活き活きするのです。真我が生命、それによって、人の細胞は生かされているものです。
だから、この真の生命が弱くなると、肉体に支障が起こってくる。医者はそんなこと知りません。あれは自然科学だから、いくら調べても癌の原因もわかりはしない。たとえ、わかったにしても治すことはできない。あれは、真の生命、真我が健全であれば決してかからぬ病気です。リズムが乱れる。で、勝手勝手の細胞の生き方になってしまうのです。
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横山賢二さんの解説を読むことができます。
🔶岡潔講演録(28):【20】生命とは真我 (okakiyoshi-ken.jp)
※典比古
今ここを、とくに最初の「生命とは真我が生きていることです。これは死なない。死なないから生命です。」を聴くと、「ココロ」に涼風が吹き抜けていきます。そして「ひとひらの・・・」云々には「詩」を感受いたします。
半世紀以上前にこんな話をされていたこと自体が驚きです。ワタクシは2019年から始めた「氣功」により、そのことがよく腑に落ちるのです。
なぜ「氣功」を思い立ったかというと、あまりにも知識を詰め込みすぎ、頭でっかちの自己から離れたいということと、肉体は肉体の言葉があるのではないのかという思いから始めたのです。とくに呼吸法が基本中の基本と言うことも、この「氣功」を通して「体得」?したような感覚もあります。
肉体は借り物であり、要は「肉体を私物化」していることに尽きるのではないでしょうか。
次回は【岡潔の思想】264「真我への目覚め」【真我の情】を記事にいたします。
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