いばせんせいのブログ

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奈良県五條市西吉野町を日帰り観光(その2) 南朝の隠れ郷 賀名生の里 賀名生皇居跡

2010年08月16日 09時59分20秒 | 旅・ドライブ(奈良県)
前のブログの続き、次は大塔町のお隣、五條市西吉野町です。(合併前は奈良県吉野郡西吉野村だったところです)

次に訪問したところも、同じく国道168号線沿いにある“賀名生(あのう)の里”です。

賀名生(あのう)というのは、ここの地名です。

ここは、今から六百数十年前の南北朝時代、後醍醐天皇の建武の新政の後、天皇家が、京都の北朝と、奈良・吉野の南朝に分裂をした頃、この地はその南朝の後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇の行宮となったところだそうで、賀名生皇居跡、歴史民俗資料館、伝承館、北畠親房公之墓があります。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
賀名生(あのう)の里歴史民俗資料館の写真
↑左の細長い建物が歴史民俗資料館で、右の建物は伝承館です。

伝承館は、公民館的な役割のようで、俳句会や生け花などの催しや講演会の会場として貸室をしているところです。

賀名生(あのう)の里歴史民俗資料館の写真
↑歴史民俗資料館は、南朝の宝物や西吉野のくらしの道具(山の中なので田畑が無く、林業や養蚕でくらしていた時の道具)から、直木賞の直木三十五の直筆の履歴書や、昭和初期にアメリカから送られた青い目の人形「パトリ」なども展示されていました。

直木三十五の直筆の履歴書がここに展示してあるのは、直木三十五が、この旧西吉野村の白銀尋常小学校というところの代用教員をしていたことがあったからだそうです。

また、後醍醐天皇から賜ったという、「駅鈴」や「天目台」“日本最古”と伝えられている「日の丸御旗」も展示されています。

そして、特別展示として「孝明天皇(明治天皇のお父様)御使用の御机」が展示されていました。

こんな山の中なのに、珍しい貴重なお宝がいっぱいでした。

賀名生(あのう)皇居跡堀家住宅の写真
↑歴史民俗資料館のすぐ目の前にある堀家住宅
ここが賀名生皇居跡です。

後醍醐天皇が吉野山に向かう途中、この西吉野にも寄られ、この地の郷士 堀家の先祖、「堀孫太郎」という人の邸宅に迎えられたそうです。

その後の南朝の天皇たちもこの堀家邸宅を行宮としたので、「賀名生皇居跡」と呼ばれているそうです。

今もその子孫の方が住んでおられ、一般公開はしていませんが、予約をすれば、中を見せて下さるそうです(有料:300円)。

国の重要文化財に指定されています。

↑門の前の大木は枝垂れ桜で、他にも梅や柿の木もたくさんあり、花の咲く頃に再訪してみたいと思いました。

賀名生皇居跡堀家住宅の写真
↑堀家邸宅の門には“賀名生皇居”の額がかかっていました。

前のブログで書いた幕末の「天誅組」が反幕府軍として追われることになり、天誅組とも関わったこの堀家が戦いに巻き込まれ、家が焼かれることのないよう、天誅組の吉村寅太郎という人が“皇居”と書き、門に掲げてくれたそうです。

門に掲げてある扁額は複製のようで、これの本物も歴史民俗資料館に展示してありました。

賀名生(あのう)の里の写真
堀家住宅の横には川が流れており、そこに架かっていた橋には“皇居前橋”という名前が付いていました。

賀名生の里石碑の写真
↑歴史民俗資料館から400mほど山を登っていくと北畠親房公之墓があります。その墓の前に「南朝三帝賀名生皇居址」の石碑が建っていました。

北畠親房公之墳墓の写真
↑南北朝時代、南朝の指導者役だった北畠親房の墓。
もみじの大木があり、秋は紅葉がきれいでしょうね。

歴史民俗資料館は、毎週月曜日と祝日の翌日が休館日で、入館料は大人:300円です。
無料駐車場有り。
五條市の賀名生の里歴史民俗資料館のサイトへリンク
↑リンク先には、地名の「賀名生」をどうして「あのう」と読むか、も書いてあります。
五條市街から国道168号線を十津川方面へ、2つ目のトンネルを抜けたところ、大きな看板が有り、すぐに分かります。


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