なまけものの鏡

「フェミニズム」これを正しい知識を得て、男性視点から見つめなおしてみよう、という趣旨のブログです。
 

西洋の女性差別の根源にあるもの(男性優位の根源)

2019年08月04日 11時48分47秒 | 男女同権とは

そもそも日本は男性優位社会ではありません。元々「男女共同参画社会」だったし、今もそうです。しかし、欧米というかユーラシア大陸の国々・民族はほぼ男性優位社会です。その違いはどこにあるのか、といえば「日本が異民族戦争を経験していない」ことに由来します。だから日本は大陸的(つまりほとんどの国がやっている)男性優位社会ではないのです。

 

ではそもそも「男性優位社会」とはなんでしょうか。

それは「男性がすべてを決める社会」であることと「女性の社会進出を制限すること」の二つがあることです。日本は少なくとも「女性の社会制限を法的に行った事はありません」ので、大陸的な「男性優位社会」とは異なるのです。

大陸の国では、古代から民族間戦争が非常に激しく行われていました。トロイの木馬で有名なトロイ戦争など今から何千年も前の大陸ではかなり大規模な民族紛争が起きていたのです。(トロイの木馬は神話ですが、シュリーマンの発掘により、当時大規模戦争があったことは確認されています)

このとき、負けた側の民族は皆殺しになることもあり、よくて奴隷商人が連れて行ってしまうので、民族社会は崩壊します。これを避けるために男たちは軍事訓練を受け、民族を維持することに注力することになったわけです。

ということは、この当時の意識でいえば「男が戦うからこそ(そして死ぬからこそ)この民族の社会は維持されている」ということになるわけで、それ以前の牧歌的な男女の役割分担社会は徐々に否定され「男が偉くそして死ぬ、だから女は男に守られて生活しているので、男の指示に従え」と言うように変化していったのです。

これがローマ・ギリシャ時代に一定の形が出来上がった「父権社会:patriarchy」の根本的な考え方であり、キリスト教やイスラム教はその後にできたために、それらの考え方を取り入れたにすぎないのです。(イエス・キリストはユダヤ教に比べたらフェミニストである、とされていますが、元々当時のユダヤ教自体がユダヤ人だけの宗教であり、普遍的ではありませんでした。当時の殆どの民族は多神教であり、女神もいて、牧歌的な時代男女の権利はそれほど離れていなかったのです)

19世紀に起きた女性解放運動はこの「父権制」からの脱出を目指したものです。父権制が女性を制限していたのは明らかで、それはナポレオン法典を見れば具体的にどのようなものだったかすぐに分かります。ナポレオン法典はヨーロッパで最初の近代的法体系で啓蒙思想的平等が基本になっていると言われていますが、それでもなお女性差別があったのです。

「西洋の男女平等(ナポレオン法典)」

この中で女性解放運動が重視したのは

  1. (女性の)契約締結及び財産保持の禁止
  2. (女性の)参政権の不保持
  3. 夫の許可なく労働することの禁止
  4. 自分の賃金を(妻が)保持することは禁止
の4つで、ぎゃくをいえばこの4つの項目を法律で定めていることにより女性は不平等な状態に置かれていたといえます。
これを総じて当時までの男性優位社会というわけですし、男性達は「男性による女性の保護」とも呼んでいたのです。
 
20世紀の女性解放の運動は、これらの諸権利を女性達が保持し「男性と同等になる運動」であり、これこそが男女平等の本質なのです。
 
では日本ではどうだったのでしょうか?
私は最初に、日本は少なくとも「女性の社会制限を法的に行った事はありません」と書きました、上記の1と3.4.は日本女性を法的に制限したことも無ければ、実質的に禁止されたこともありません。
 
 では2.(女性の)参政権の不保持はどうでしょうか?これは戦前の法律でほぼ女性の権利を限定しています。では「女性差別なのか」といえば、そうは言えない部分があります。それは「そもそも参政権は兵役義務と引き換えの権利だったから」です。
 
兵役のない女性に権利を付与することが無いのは当然であり、日本の参政権は男性でもさらに「納税の義務を負っている者」に限定されていました。ちなみに財産権が制限されていなかった日本では「1880年(明治13年)、女戸主に限定されていたものの、地方議会で日本初の女性参政権が認められた」と言う事実があります。当時の地方議会は国家とは別の運用基準があったからですが、これはのちに国が地方議会の規則制定権を取り上げ国の制度と一致させたので、無くなりました。
 徴兵と選挙権を一致させた、という見方もできるわけです(もちろんこの部分に関しては女性差別に後退したという見方もできます)
 
しかし、日本においては1.3.4それに女性が夫の許可を得ないと外出もできなかった、と言う規定は日本にはありませんでした。
これは日本が異民族戦争をしてこなかったからであり「男性だけが偉く、社会を守る義務を負っていなかった」からなのです。
 
明治になると、本来の女性の権利がやや後退したのは、日本が西洋的な価値観を受け入れたためです。そのため法律ではほとんど規定がありませんが、父権制など一部女性への待遇が変化したのは事実です。でも西洋と同じではありませんでしたし、西洋化によって女性と比べて男性の義務が極端に重くなった(徴兵制など)という部分も評価する必要があります。
 
それらを総じて考えた時に、日本では西洋的(大陸的)な女性差別と言えるようなものはほぼ無かったといえます。
また大陸的な女性差別について、日本の殆どの人が知らないし誤解をしているのです。

 

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