のりん言の葉

心に残った出来事。書き留めておきたいこと。伝えたいこと。等々…

泥棒発見。

2009年08月30日 15時57分30秒 | すごく私事?
とある二階建てアパートの駐車場にある、
プラスティックのごみ入れ。
高さは、私の胸辺り。
そのごみ入れに飛び乗り、
そこから、よじ登って、アパートの二階へ続く屋根に飛び移った。

ひょひょひょいと屋根を駆け上がり
窓に手を伸ばし、網戸をはずした。
そして、3分の一ほど開いていた窓を
こじ開け、


見事、侵入。。。。

正味、3分。


その正体……


私です。



アメリカでのカギは、
大体が、
内側からカギを閉めてそのままドアを閉めるとカギがかかるようになっているので、
外出するとき、わざわざ、
ドア閉めるー鍵取りだすー鍵閉める
という必要はないのです。
「中なら鍵閉めて、ドア閉める」 と
鍵は閉まる。(車と同じ?)
便利で良いのだけど…。
今日、私、鍵を持って出るのを忘れて、
そのまま鍵を閉めちゃいました。

ルームメイトは明後日まで帰ってこないし…。
大家さんの番号も携帯に登録してない…。

という状況になって…。

泥棒してるわけじゃないのに、
異様に周り見渡しちゃったよ。

PS
パート3の前に書きすぎですね。ごめんなさい。
”しっかり”書ける時間がなかなかとれなくて。中途半端は嫌いなもので。。

みたい。

2009年08月29日 02時05分51秒 | 食の事


美しいね。

食べることは生きること。

私たちも、他の生き物と同じで、
小さな小さな粒子の塊。
他の粒子と交わると、
もちろん、その粒子に私たちの小さな粒子が反応する。
身体って正直。
汚いものに触れると汚れが付き、
綺麗なものに触れると徐々に輝きを増す。

そして、

身体と心は深く繋がっている。


いただきます!

深いところから、
きれいになって、
しっかり生きていきたいです。

この映画の題名は

eatrip イートリップ

eat(たべる)+trip(旅)

洒落てます。

ここでまた、

私が以前訪れていた、チェンマイに、
昨年10月にオープンしたレストラン「サイトーン」があります。
「利益が出たら、それをお世話になっているタイの社会に還元したい」と、
バンコクに工場をお持ちの日本人の方々の支援のもと運営されています。
その利益は、ban rom saiにも回ってくるらしいのです。

美味しいものを食すること、それが支援になる。

これまた素敵なアイデアです。

パート 2

2009年08月25日 12時00分30秒 | 思い巡らす事
2年前にたまたまネットサーフィングしていて出会いました。
一目ぼれでした。
素直に、「これだ」と。大きな家族、ban rom sai。

当時、私は、
英語のクラスの最後のエッセイで、(以前の投稿で紹介した、フリーダに似てる先生、ヘレンケラーの映画を授業で鑑賞した時の)
「今まで読んできた著名人の書物を活用して、あなたの好きな事を書きなさい」
という、なんとも寛大な先生のお言葉に甘え、
「私たちの未来をよくするために」というような、
デカクでたものを書きました。

正義について説いた John Rawls と Martin Luther King Jr. と Martha C. Nussbaum
教育について説いた John Dewey と Frederick Douglass
その他もろもろ…

世界をより良いものにするために、活躍された人達。
私が読んだ全てのものに共通していたことは、
「人間としての命を最大限に活用して生きること」

「よくするために」という言葉に含まれる「未来」への想い・願い。
じゃあ、そのために、私たちに何ができる?
という疑問の前に私が考えたのは、
「子供がいなきゃ私たちの未来はない」。
良い世界には、良い人間が必要。
良い人間を育てること。
これが、私たちが未来をよくするということに繋がっていくのではないかと、
こう思ったのです。

良い人間、というと聞こえが悪いと思いますが、
ここでいう私の「良い人間」は、
著名人の方々が唱えた「人間としての命を最大限に活用して生きる」人間です。
そして、この「最大限に活用」というのが、
以前私がお話しした、
GENIEとヘレンケラーの、二人の件のお話に繋がるのです。
人間の、「人間としての命を最大限に活用」出来るか否か、
これは、幼少時代までの成長・環境にものずごく深く繋がっています。
実は、胎児の時からそれは始ります。

じゃ、それらを得られなかった子供は手遅れ?
そうではありません。
でも、幼少時代(特に3歳までといわれている)までに出来た心の傷を癒すことは、ものずごく難しいのです。
その傷は、主に潜在意識のレベルなので、意識的に直すことは難しいのです。

また、別に最大限じゃなくっても…。最大限って難しい…。
って思われる方もいるかもしれません。
私もそう思います。
でも、私たちで最大限の努力はしてみましょう!
何をするか?
一人の人間として尊重し、愛することです。

その努力を、HIVに母子感染した29人の子供たちの為に注いでいるのがこのban rom sai です。
ban rom saiのドキュメンタリーを見てみる


コンセプトは、「大きな家族」。
我が子供の為にと、
地域で根強く残っているHIVの人たちに対する偏見・差別をなくす運動もしています。
その成果、子供たちは、HIVだからと拒否されていた学校にも通えるようになりました。
敷地内に建てられた図書館は、
地域の人たちも利用できるようになっていて、
それも、差別・偏見をなくすことに一役買っています。

ban rom saiが建てられたのは約10年前、
すくすくと成長していく子供たちに教えるのは「自立性」。
部屋のお掃除、ご飯の支度、子供たちが自ら進んでしている姿が目に入りました。

同じ敷地内で行われている、
ゲストハウスの運営、衣料製品の制作。
「働く」という行為が自然と子供たちの目に入るように…という想いもあるようです。

ban rom saiの素晴らしいところの一つは、
資金を寄付金だけに頼らないところです。
名取さんはおっしゃっていました。
 「募金おねがしまぁ~~す。あなたの助けがぁ~…」って、それだけに縋るの
  は、なんだか物乞いみたいでいやだったの。
  それに、寄付金から入るお金だけだと不安定であてにならないでしょ。
この想いから始めたのが、
先程も少し話した衣料製品の販売、ゲストハウス、子供たちのアート盛りだくさんのギャラリー展、書籍 等です。
予算以上に得たお金を使って行われたのは、家族旅行。
大家族でタイ南部・プーケットまで行かれたそうです。
「子供たちに色んなものを見て、感じてほしいから」
と名取さんはおっしゃっていました。

ban rom saiの見学を終えて(ガイドしてくださったのは麻生さん)
予定より早めに、予約していた「土の家」にお邪魔させていただきました。
これが内装です。


この土の家は、以前ban rom saiで働いていた大地さんという方が、
赤土から一年かけて造り上げたものらしいです。

その他、二つのゲストハウスは、
デザイナーとしても活躍してる名取さんご自身と、インテリアデザイナーの娘さんで協力してデザインしたものらしいです。
二つとも、とてもシンプルで粋なデザインです。
よろしかったらban rom saiのHPでチェキラってくださいね^^

短時間でしたが、本当、我が家の様にホッとした時間をこの家で過ごしました。
お昼は、無料貸し出しの自転車で、
自然が奏でる音色をバックに好きな音楽に時たま耳を傾けながら・歌いながら3時間ほど細道を駆け回って、
家に帰って、自転車で出かける前に採って冷やしておいたラムヤイという果物を頬張って…。
(ban rom saiの敷地はもともとラムヤイ畑だったので、いたるところにラムヤイの木があるの。麻生さんが「食べ放題だから」とおっしゃっていたので。。)
ban rom saiから借りた、
佐保美恵子さん著書、「生きるって素敵なこと!-美和が問いかける幸せの形」という本を片手に、
コーヒーを淹れて、買ってきたクラッカーと一緒に堪能。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062120968/ref=cm_rdp_product_img
(本の紹介)
そして、待ちに待っていた、
ライトアップされたプール。
宿泊者は私一人だったので、貸し切り状態で泳ぎました♪
(プールの写真はデジブックのアルバムに載せてます)

ここでちょっと耳寄りなお知らせ!
9月全国ロードショー決定の映画
「プール」 http://pool-movie.com/
監督:大森美香さん
出演:小林聡美さん・加瀬亮さん・もたいまさこさん・伽奈さん
映画の舞台はなんと、このban rom saiのゲストハウス。
そして、私がお嬢様気分を味わったこのプールが、映画でのメインスポットなのです。
みなさん、もしよろしかったら御覧になってみてください^^
この映画のキャッチフレーズ
「理由なんて、愛ひとつで十分だ。」
なんとも、私好みです。

この映画を通して、より多くの人がban rom saiの存在を知って、
より多くの人が、子供たちの事を考えるようになって、
家族の在り方について考えるキッカケになればいいなぁ…と願っています

ということで、お嬢様気分も束の間、
お部屋に侵入してきた猫のグッドモーニングコールと、
鳥達が家の屋根をかさかさと移動する音で目が覚め、
美味しく、心の温まる朝食を頂いた後、
早速、お暇の準備。

帰る前に、名取さんに会いたい!と
鈴木さんにお伝えしたところ、
「名取さんは今、日本での講演が終わってタイに昨日帰ってらっしゃるのですが、 今はバンコクにいらしてまして。
 おそらく今日の夜には…。でも、スケジュール が分からないので、麻生さんにメールで聞いてみてください」
というお返事。
肩を落として帰る自分に、
絶対会えるから、とりあえず麻生さんに連絡してみよう!
と後押しする自分。
翌日の朝、さっそく麻生さんにメール。
そして、その次の日、13日に時間が取れるとのお返事。
よっしゃ!とガッツポーズをとった手がだらしなくブランと垂れ下がったのが13日の朝。
麻生さんから、
「ごめんなさい。都合が悪くなりました。
 今週の名取のスケジュールはとても忙しくて、はっきりとしたことは言えませんが、今のところ14日の午前10時ということでどうでしょう? 
 また変更があり次第連絡します」。
大丈夫、きっと会える。
と自分に言い聞かせ、14日の朝を待ちました。

麻生さんからの連絡はなし。

ということは…。

そうです!



この写真が物語ってくれてるでしょ?
この達成したって感じの表情。笑

名取さんは本当に、
キリッと、でも、とても気さくで温かい人でした。
30分という短い時間でしたが、
二人で、私が上記に述べた、子供の事、これからの事を語りました。
ban rom saiの子供たちも、それぞれ色々なバックグランド経てここにきており、
幼少時代の傷を今も引きずってる子は少なくないという事実。
その傷は、幼い時は幼い時の形で表現され、
思春期の今では、それがまた違う形で表現されているとおっしゃっていました。
それと、HIVの悪化を抑制するお薬の副作用のこと。
副作用のないお薬はないわけで、
でも、事例がない故に、どういう形で副作用が起こっているのかが分からない。
お薬に対する、変化・状態を正確に述べることは子供にはまだ難しく。
その副作用は、フィジカル的なもの、もしかしたら、メンタル的なものかもしれない。ということ。

子供の事、家族の事は、全ての人に共通する重大な事なのに、
国はまだ、その重要性に真正面から取り組もうとする余裕がない。
だからこそ、私たちがNPOやNGOで組織を立ち上げて、
まずは一人一人から、家族から、地域から…と、
土台のしっかりとした運動をする必要がある。
各地の地域が動き出すと、もしかしたら、国も動き出すかもしれない。
それぞれの国が動き出すと、世界が動くかもしれない。



ban rom sai。
ガジュマルの木の下の家 という意味を持つこの言葉。
ガジュマルの木は神聖な木で、幸運・守り神の木と考えられているそうです。
名取さんは、ban rom saiという場所が、
子供たちにとって、ガジュマルの木のような存在でありたいという願いを込めて名前を付けたとおっしゃっておりました。

この写真が、ban rom sai 大黒柱のガジュマルの木です。

さすが、熱い思いを抱く、このban rom sai。
案の定、こんなに長くなってしまいました。
最後まで目を通してくださった方、本当にありがとうございます。

では、最後に、

発展国も、発展途上国も、
大人が仕出かす惨事の犠牲者は、罪のない子供達です。
この世界が、国々が、各地域が、各家族が、
これから生まれてくる子供たち、今生きている子供たちにとって、
ガジュマルの木のような存在になれるように。
私たちも、しっかり根を張ってすくすく成長していきましょう。

パート 1

2009年08月24日 02時45分13秒 | 思い巡らす事
ということで、先ずは観光のお話から。。。
はじまりはじまり…♪

チェンマイの街は、本当に、一歩踏み出せば自然がすぐそば。
住んでいる人も、そんなにガツガツしていないし、
野良犬達も、同じくガツガツしてません。
バンコクに住んでいるお友達(ゲストハウスで仲良くなった。ブックマークに彼女のBLOGのせてます)
曰く、チェンマイではバンコクに比べて物価も半分くらいとのことです。
お土産等のお買い物をするなら、毎週末行われるマーケットが一番。
ナイトマーケットよりも安いです。

土地柄、お水の心配をしてる方もおられるかと思いますが、
大丈夫なお水はとても安く手に入ります。
まず、スーパーで10バーツ(30円)くらいの1.5Lの水を買って、
その後はその空きボトルを利用して、
道端にある給水機で足す。だいたい1Lが3円。
私は全くお腹壊さなかったので、大丈夫なお水だと思います。

困ったのは、コーヒー。
毎日一杯は飲むこれ。
タイコーヒーは甘いのなんのって…。
さとう&コンデンスミルクですもの。
「あの…砂糖すこ~~~~しだけで」と
たどたどしいタイ語で伝えて、「OK!!」という頼もしい返事が返っては来ても、
コンデンスミルクは欠かせない!
ミルクだけ入れて飲むことに慣れてる私には…う”ぅぅ…。
しばらく耐えていた私に、同じくボランティアをしてたKちゃんが、
ゲストハウスの付近のベーカリーで普通のコーヒーが買えることを教えてくれて。
それから、通いました。毎朝。

ッと…。

観光と宣言しておきながら、またそれた。
ので、写真はって進めますw

チェンマイを南に進んだところにあるのが
Doi Inthanon National Parkです。
滝に自然温泉に村々にと盛り沢山。
出発前日、一緒に行ったお友達に「滝で泳げるから!」
と言われて、まんまと涼しい恰好で挑んだ私。

最初に向かったDoi Inthanonの頂上は2565m。
霧に、雨に、風に…。
時期も悪く、息を呑むはずであろう景色で飲んだのは涙。
霧で真っ白。
ぱぱぱっと来た証に写真を撮り収めて車に駆け込む次第。

そこから山を下り、着いたのは、
昔ながらの生活スタイルが今も残る村。
一面に広がる田んぼに山々。
白い地獄から逃れた安堵感と、その緑の綺麗さに、
口は常時半開き。

ここから源泉地へ向かい、
パークのスタート地点にもどって昼食。

パークの入り口付近にあるのがこの滝です。
Mae Ya Waterfall。


この滝の次に行ったのが、Mae Klang Waterfall。
個人的に、最初の方が 形と水の勢いが好きでした。
なので改めてここに写真添付。

また違う日に、観光に行ったのは
Doi Suthepという山手にあるお寺です。
ここにはブッダの骨が祀られているらしいです。

このお寺に行く途中。
チェンマイの街を山から見下ろした写真です。
たまたまチェンマイ空港から飛行機が離陸してたので、
そこをパシャリ。


こんなかんじでしょうか?

本当に観光への知識は疎いです。。。笑
皆さんの方が知ってたりして。。

あ、
タイでは麺類すすっちゃだめですよ!
あと、基本はフォークとスプーン。
お皿は持ち上げないこと。
これらがエチケットだそうです。

っと。
ありったけの知識を振り絞るのもなんだかこっ恥ずかしいので…。
この辺でwww

最後に…。
私、現地の人にタイ人っぽいとよくいわれたもんです。
タイ語で話しかけられることも茶飯事。
そこで覚えたタイ語。
「まい かうじゃい ぱーさー たい かー」


さわっでぃーかー


ムービープラス更新しました。
チェンマイから帰って初のムービー。

チェンマイの思い出

2009年08月22日 16時39分49秒 | 思い巡らす事
チェンマイから戻って、数日経ちました。
チェンマイ~台北行きのフライトから、何らかしらの菌をもちかえったのか、
くしゃみ・鼻水・喉イタ の三拍子。
おぉぉ、やべ、もしかして締めがインフルエンザ?!
と半ベソかきながらアメリカに帰国。
関節痛・発熱の様子はないし…♪
と鼻水垂らしながら良い気になってるここ数日。
順調に回復しております。

なので、徐々に、チェンマイでの想い出を綴っていこうと思います。

まず、始めに。
何時間か前にフォトアルバムの様なものを更新したので、
よかったら見てみてください。

何から話そうか…な。
3パーツに分けようと思っております。今のところ。

1.チェンマイ観光
2.バーンロムサイでの出来事
3.孤児院ボランティアを通して

てなかんじで。
如何でしょう?笑

今回はパート1、チェンマイ観光です。

の前に!
すごくラッキーだったお話から。。。

ロスから台北、飛行機乗り替えて、台北からチェンマイへという経路で行きました。
なので、ロスから台北行きの飛行機の中には、多くの方の目的地が台北でした。
ところがどっこい、私の隣の席で本を読んでいる女性の本がタイ語だったのです。
こ、これは!とすかさず、彼女に話しかけました。
案の定、彼女はチェンマイ出身のタイ人。現在はロスの病院でICUの看護師。
タイの事、看護の事と色々話が盛り上がり、チェンマイまでの長い旅路を楽しく過ごすことができました。
その彼女が、女一人の初チェンマイを心配して、泊る予定だったゲストハウスまで車で送ってくれたのです。
右も左もちんぷんかんぷんな私にとって本当に有難い存在でした。
その後も、「元気にしてる?楽しんでる?」と電話をくれて、お母さんの様に優しく気遣ってくれました。
この順調な出だしが、まだまだ続くのです。
アメリカを発つ前から、色々な組織・孤児院にメールを送って、ボランティア先を探していたのですが、インフルエンザの流行・政府の取り決め等で、どこからも良い返事は返ってこず…。
実は、チェンマイに着いても、まだ、ボランティア先の孤児院がみつかってなかったのです。
チェンマイ2日目、たまたま入ったカフェでシェイクを飲みながら、PCを借りてメールをチェックしてると、Viengping Children's Homeという孤児院からお返事が。「是非ボランティアしにいらしてください」とのこと。
やった!!!!!と、最高潮な私とは裏腹に、チェンマイの土地勘が全くしっくりきてなく、ちゃんと辿り着けるのか不安な私。
そこで、泊っていたゲストハウスで知り合った日本人の方に尋ねてみると、自分はイマイチよく分からないから…と、タイ人でガイドとして働いている方を紹介して頂いたのです。
そのタイの方と、その晩夕食を一緒に食べ、孤児院の事を尋ねると、「もちろん知ってる!」となんとも頼もしい返事。
彼は、ガイドのお仕事とは別にボランティア団体で活動していて、この類の情報に精通してたのです。
ということで、正に、トントン拍子。
なんと、チェンマイ3日目にして、Viengping Children's Homeを訪ねることに成功!
必要な書類を提出し、その3日後から二週間ボランティアさしていただけることになったのです。

おおお。
パート1を書くスペースがなくなりつつある。

っと、こちら深夜2時過ぎ。
そろそろおねむの時間。。。



私、もともと観光目的じゃなかったので、お寺の事とか、観光スポットの事とかまったく調べずに行ったので…大したこと言えないかもしれませんが…
私が見たチェンマイという感じで、綴ってみようと思います。

ということで、今回は

パート0(ゼロ)、THE END。

聞いて!!!!

2009年08月03日 21時42分00秒 | お知らせ事
決まりました!!!

孤児院でボランティアできることになったの!!!


ヴィエンピンホームというところです。
こっちにきてからというもの、
予想もしてなかった出会い色々で。。。
自分でもびっくりです。
またそれについては、ゆっくり、アメリカにもどったときに書きます。

その孤児院、
今日から10日間、お世話になります。

幼児の部屋が主な場所。

やった!!!!