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「やぶにらみ」政治・経済・社会・生活歳時記

現代の日本の政治・経済・社会・生活全般の動きを追うとともに、日ごろの関心事、旅の経験、飲み屋探訪などを紹介する。

ぶらり生活日記195 新橋演舞場で「お座敷遊び」を学ぶ

2014年09月02日 | ぶらり生活日記
 夏の盛りの中、新橋演舞場で開催された「文化を学ぶ なでしこ踊り」の会に参加する機会があった。銀座から本拠地を小舟町に店を移した「割烹 かめ」のママが紹介する恒例の行事である。とある平日の昼に、飲み仲間10人ほどが演舞場に集合した。地下2階の特別食堂が会場で、100人以上収容できる。まずは指定された席で、料亭「金田中」の懐石弁当を味わう。八寸、御造り、旬菜、焼き物と本格的で、別にご飯と吸い物が付く。

 ママの配慮で生ビール、冷酒が各人に用意されている。最近、昼の酒は夜に影響するので控えていたが、今日は「お座敷遊び」の会なので、雰囲気作りのためにも飲むことにする。食事を済ますと、いよいよ会が始まる。配布された案内には「演舞場発 文化を学ぶ なでしこ踊り ――新橋芸者衆 若手連中」とある。最初はまず講演で、「金田中」のご主人が新橋芸者にまつわる歴史を紐解く。語り口が絶妙で、思わず引き込まれる。



 江戸後期の安政時代に、三味線の師匠が開業した料理茶屋が始まりで、幕府から「酌取御免」のお墨付きをもらい、「新橋芸者」は生まれたという。当時、日本橋に「金座」があり、現在の銀座の地名が出来たのは「銀座」があったことによる。今は無いが、外堀に新しい橋ができて、新橋の地名ができたという。料亭が数多く生まれたが、未だに銀座界隈に残っているのは「新喜楽」、「金田中」など十数軒らしい。宴席を盛り上げる役割を担って、「新橋芸者」は発展する。

 「能楽」で著名な「金春流」の本拠地があったことから、「金春芸者」とも称された。明治維新後、薩長の若き志士たちが上京し、血気盛んな若者たちは遊びを求めて、頻繁に通うようになった。当時の花街(花柳界)は柳橋と新橋が二大勢力で、「柳新二橋」と言われたという。だが、薩長の志士たちが柳橋に通っても「田舎者」と馬鹿にされ、相手にされなかったそうだ。柳橋は江戸の商家の旦那衆がご贔屓だったから、意地もあったのかもしれない。

 新興の新橋は薩長閥の政治家やその後の財閥になる政商を積極的に受け入れて、繁栄していく。当時の政治家「井上馨」のエピソードが面白い。名古屋まで鉄道か開通すると、彼は一車輌を増結し、新橋芸者を乗せて、名古屋まで向ったという。名古屋芸者と芸を競ったが、歯が立たない。「岐阜提灯」とさげすまれるほど、新橋芸者の踊りはぼんやりしていたそうだ。これを聞いた料亭の主人たちは芸者の技量を高めるために立ち上がる。

 京都の歌舞練場に習って、主人たちが資金を出し合い、作ったのが「新橋演舞場」である。大正期末には京都の「都をどり」に対抗して、「東おどり」を立ち上げた。今年90回目を迎えたというから歴史もある。芸妓の技芸向上には大いに役立ったが、料亭の出資者たちは劇場経営に不慣れだったため、「新橋演舞場」の経営は松竹まかせることにして、現在に至っているそうだ。講演はここで終わり、若手芸者たちの踊りになる。





 出し物は江戸期に倣ったものが多い。4人の芸者さんたちが優雅に踊りだす。「青すだれ」は長唄「菖蒲浴衣」の一節で川遊びの涼やかな姿。「から傘・さんさ時雨」は江戸小唄。「こうもりが」は歌舞伎の7代目市川団十郎が大坂から帰るのを惜しんで、「去なさぬ去なさぬ」という小唄に合わせて踊る。「川風」は月に照る隅田川の情景を表現する。「上げ汐」は両国の川開きに、屋形船や上がる花火など夏の大川端の風景を点描する。






 トリは「木遣りくずし」。元々は材木職人が仕事の最中に唄ったものだが、お祭の山車を曳くときや、祝儀の場でも唄われるようになった。明治期の東京の花柳界では大流行した出し物だったという。4人それぞれの踊りは練習の成果か、メリハリがきいており、見ていて惚れ惚れする。現役のバブルの時には料亭に何度か足を運んだことがあるので、そのときに習っておけば良かったと思う。そうすれば少しは役に立ったかもしれないが、残念である。



 踊りが終わり、今度はお座敷遊び「虎拳」を教えてもらう。再び、「金田中」のご主人が登場。マイクを持って「虎拳」の由来と遊び方を伝授する。由来は加藤清正の虎退治に遡る。屏風の衝立をはさんで、清正役と虎役に分れ、じゃんけんで勝負する。ルールは野球拳と同じだが、掛け声が面白い。「虎拳」だけあって、「トラ、トラ、トーラ。トラ」と囃したて、その場の全員が参加できる。抽選で虎役に選ばれた人は、勝つと賞品がもらえる。



 残念ながら、私たちのメンバーは一人も呼ばれなかった。これでプログラムは終了だが、最後に4人の芸者さんたちが客席に降りて、挨拶に回る。仲間たちは喜んで、傍に来ると記念撮影をせがむ。次々に撮影するが、男性たちの笑顔がなんともいえない。この輪に加わったE子さんは女性だが、満更でもないという表情だ。私たちは芸者さんたちの年齢当てをしていたので、彼女たちに「干支は何?」、「何年生まれ?」などと聞くが、簡単にかわされてしまった。







 皆満足して、会場を後にするが、次は「かめ」での二次会が待っている。タクシーに分乗して、小舟町の店まで行く。しかし、まだ午後4時前とあって、ママと娘のR嬢は到着していない。傍の公園で待つことにする。公園には9月初旬のお祭の準備なのか、簡単な舞台が設置されている。ここには浅草寺にある「小舟町大提灯」もやってくるらしい。ほどなくママたちが現れて、店に入る。テーブルや椅子を整えて、宴席が始まる。

 まずは生ビールで乾杯。この日は昼から飲んでいるので、一杯だけにする。私は前回の「かめツアー」の時に購入した清酒「オバマ(小浜)」を提供し、日本酒を楽しむ。シェフのR嬢はすでに酔っている私たちの体調を考えて、野菜中心の献立だ。数種類のサラダと香の物が出る。「お座敷遊び」の感想をそれぞれが述べる。また、芸者の年齢当てになるが、各人の意見が合わない。一段落して、前回の「かめツアー」に話は移った。

 言いだしっぺだが、事故で来れなかったM嬢をサカナに話題は尽きない。釣りの時に、ママが提供してくれた、「NORACAP」の写真を見て、笑いに包まれる。珍道中だったから、参加者はいろいろな出来事に思いを馳せているのだろう。次回は9月13日の「小舟町まつり」の最終日に集まろうと決めて、やっと中締めになった。この日は昼過ぎから飲み続けているので、皆酔いが回り、飲み疲れているようだ。面白い一日になった。

 

 
























 

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