先日「芝増上寺ー東京の中の江戸」のところで、かつて増上寺に
葬られていた徳川家将軍達の墓が改葬のため開けられて、遺体
やら遺品やらの学術的調査が行われたと書きました。
これは昭和33年に東京大学の鈴木尚教授らによってなされた
もので、そのときの報告書として出版されたものが「増上寺徳川
将軍墓とその遺品・遺体」-鈴木尚・矢島恭介・山辺知行編です。
東京大学出版会が発行所で当時の価格で8900円でした。
やっと手元に来ましたので簡単にご説明します。
この本の大きさは横22センチ、縦30センチ、437ページに
わたる詳細な医学的報告、さらに骨格などの写真、英語による
報告もあって大変立派なもので、ちょっとした百科事典の一冊分
はあろうかと思われる重さがあります。
内容の大部分は医学的解剖学的データが多くを占め専門的な用語
がやたら多く出て来ます。
かつて埋められていた将軍達や正室、側室および幼児の遺体、
さらに副葬品などにも微にいり細にいり調査の手が加えられ
説明がされていますので、どうしてもこのような厚さになって
しまうのでしょう。
ホントに重い本で気軽に持ち歩けるものではありません。
焼失前の建築物の写真や墓の構造にも触れ巨石を取り除くのに
苦労したところや、動かしたが故に取りだすための他の方法を
考えねばならなかった、など大変な仕事だったことが想像できます。
また報告書の性格から当然ですが、将軍や側室たちの頭蓋骨の
写真もあり、正面、横、上、後ろと各角度からの撮影で、特に
九代の家重などまだ髷が残っておりリアルです。無論他の骨に
ついても一本一本について詳細な説明があり、また歯についても
それぞれ所見があり、将軍を含む21体についてこと細かな観察が
なされていて、全体的に将軍家の遺体に関する法医学報告書と
思えば間違いないでしょう。
副葬品についても2代将軍秀忠では27点あってほとんどが
絹小袖や座布団で他に扇、鉄砲、刀といったところですが、
一方14代家茂の副葬品は34点で、そのうち興味深いのは
日本読みの目盛りの入ったオランダ製の華氏寒暖計やロンドンの
ベンソン社製の懐中時計が含まれていることです。
時代の変遷が副葬品からも読み取れるといったところでしょうか。
という訳でこの連休中はこの報告書と格闘中です。疲れそう。
葬られていた徳川家将軍達の墓が改葬のため開けられて、遺体
やら遺品やらの学術的調査が行われたと書きました。
これは昭和33年に東京大学の鈴木尚教授らによってなされた
もので、そのときの報告書として出版されたものが「増上寺徳川
将軍墓とその遺品・遺体」-鈴木尚・矢島恭介・山辺知行編です。
東京大学出版会が発行所で当時の価格で8900円でした。
やっと手元に来ましたので簡単にご説明します。
この本の大きさは横22センチ、縦30センチ、437ページに
わたる詳細な医学的報告、さらに骨格などの写真、英語による
報告もあって大変立派なもので、ちょっとした百科事典の一冊分
はあろうかと思われる重さがあります。
内容の大部分は医学的解剖学的データが多くを占め専門的な用語
がやたら多く出て来ます。
かつて埋められていた将軍達や正室、側室および幼児の遺体、
さらに副葬品などにも微にいり細にいり調査の手が加えられ
説明がされていますので、どうしてもこのような厚さになって
しまうのでしょう。
ホントに重い本で気軽に持ち歩けるものではありません。
焼失前の建築物の写真や墓の構造にも触れ巨石を取り除くのに
苦労したところや、動かしたが故に取りだすための他の方法を
考えねばならなかった、など大変な仕事だったことが想像できます。
また報告書の性格から当然ですが、将軍や側室たちの頭蓋骨の
写真もあり、正面、横、上、後ろと各角度からの撮影で、特に
九代の家重などまだ髷が残っておりリアルです。無論他の骨に
ついても一本一本について詳細な説明があり、また歯についても
それぞれ所見があり、将軍を含む21体についてこと細かな観察が
なされていて、全体的に将軍家の遺体に関する法医学報告書と
思えば間違いないでしょう。
副葬品についても2代将軍秀忠では27点あってほとんどが
絹小袖や座布団で他に扇、鉄砲、刀といったところですが、
一方14代家茂の副葬品は34点で、そのうち興味深いのは
日本読みの目盛りの入ったオランダ製の華氏寒暖計やロンドンの
ベンソン社製の懐中時計が含まれていることです。
時代の変遷が副葬品からも読み取れるといったところでしょうか。
という訳でこの連休中はこの報告書と格闘中です。疲れそう。
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