☆西成公園テント村通信‐NiSHinaRiP@rK-TeNTCiTY iNfOs

西成公園の野宿者とそのテント小屋への大阪市やその政策を支持する者達による攻撃との闘いの情報発信ページです。

★1.30靭・大阪城の20数戸の小屋と野宿者撤去の暴挙

2006-02-02 11:06:15 | Weblog
 雨も降る心配のあった1月30日、ファシスト行政機構大阪市はその有無を言わせぬ数と凍て付くような暴力でもって笑いながら、たった数十人の野宿者と支援者の合計100人程度からなる丸腰の我々抵抗者を四方八方から囲み、我々の首を真綿でしめるが如く楽しみながら公園から追い出していった。役人どもや警察に指揮された「傭兵」であるガードマン群は、奴らの前面に立たされ、まさに代理戦争を闘わされていた。とはいえ、ガードマンは①積極的に暴力行為を含む職務を遂行する者②やむを得ずやっている者――に大別出来、①は積極的に我々個々人に襲いかかり、②はただただ唯々諾々とスクラムを組んでこちらの「職務を拒否せよ」「いい加減にやれ」という言葉にもうなずいた者もいた。(もちろん、そういった者は指揮官によって後方へ下げられた)750以上対100くらいの対峙。それも全く「非暴力抵抗」の机上の理想を熾烈な闘争現場に当てはめた100人足らずなど赤子の腕を捻り折るほど奴らにとっては簡単なことだ。そんな状況を闘った仲間たちの勇気は、卑劣で何の親切さの欠片もない巨大な暴力の前には何の意味もなかった。奴らの進入ルートにはるべき阻止線すら築かず、闘った愚直なまでの非暴力主義者の闘争の末期は悔しさだけが残るものとなった。感情の残らない冷血な者たちにそんなものが通じるはずがないのだ。確かに精神の崇高さにおいては奴らに勝っただろう、だが、そんなものがこの糞世界で何の意味がある?
 防衛するということ、それは楽しむことなんかではない。奴らに攻撃させないこと、奴らをありとあらゆる方法で無力化すること、そしてハリネズミのように精神と実体を武装して守ることなのだ。「奴らの価値観を受け入れる」という事は精神戦における敗北だという理屈もあるだろう、しかしながら、現実にはそんな理屈をこねても奴らになど通じないという事を知らねばならないのではないか。数時間とはいえ、そんな状況ながら、膠着状況にした頑張りは特筆に価するが。 …いずれにせよ、この日の午後、奴らはにらみ合いの末、報道陣や我々を容赦なく奴らの人垣の後ろに排除して行き、1人の闘争心みなぎる仲間を人知れず逮捕拘束し、抵抗を息苦しくなる圧倒的な実力で終息させた。大阪城については詳細はわからないが、より凄惨な敵の海の中で少数の仲間たちが、数の暴力の前になすすべなく飲み込まれていったことだけは間違いがない。
同じ頃、大阪市は手薄になった西成公園、扇町公園、そしてこの闘争に参加していた西梅田の野宿の仲間のテントなどを、①個別に囲い(西成公園)②靭の仲間の受け入れ先テント群を即日撤去し(扇町公園)③テントを留守中に取り去った(西梅田)――などの暴挙で彩った。1.30の実体は大阪市の野宿者に対する「911」同時テロ攻撃であったのだ。大阪市よ、ポリ公よ、そしてその価値観を共有する一切の者たちよ、お前たちのファシストぶりは全世界に配信された。総てはお前たちが好んでやったことの結果である。恥を繰り返すなら繰り返せ。それらの報いは総てお前たちが責任をもって被るがいい。

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