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日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

時代は母性を中心に拡大する 2

2014年06月09日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

電波なブログです

根拠やソースはないです。

ですので、波長が合いそうもない方

時間の無駄になるのでおやめください。

 

前回これからは女性原理の時代が到来し

その中心のエネルギーは母性だと書きました。

 

それでゆくと、これからまた日本の人口は増えてゆく事になります。

母性ですから。生めよ増やせよです。

それこそ女性はもちろんのこと、

男性もみんな子育てしたくてうずうずしたくなってきます。

 

たぶん今の20代前半の女性から出産年齢がまた下がってゆくと思います。

確かに好きな事をして遊んだりする事の方が今は魅力があるでしょうが、

一昔前の都会のディンクスのような暮らしより、ダウンシフトをしてでも

田舎で子供を持ってゆっくりとした時間の中で共に暮らしてゆく生活が、

これからはあこがれになってゆくでしょう。

それは若い世代の地方回帰をよび、

人口増加の一番の原因になってゆくでしょう。

 

時代を動かすエネルギーの転換が起きたのですから、

それに抗う事はできません。

 

それには、地方での産業なり仕事がなければなりませんが、

今までのような重工業的発想ではなく、

個の個性の創造性が、おおきなエネルギーや富を生む時代になるのですから、

そうした時代の流れに合った人生を選択した世代が、

必ずその地方の産業を興してゆくと考えます。

時代のエネルギーが彼らを必ず後押しするでしょう。

 

心配する事はありません。

移民をしなくても、日本はちょうど良い人口に

これからなってゆくでしょう。

 

何度も書きますが、GDPがあまり意味をなさない時代が

やってくるのですから。

そのへんを見誤らないないようにしましょう。

 

あいかわらず、若い世代が進んで仕事をしないとか、

マニュアルどうりしか動けないとかいろいろなところで見聞きしますが、

そうした、上の世代との齟齬を見聞きするにつけ、

時代は予定どうりページが捲られていると実感します。

 

今少しこれからの日本がどう変化してゆくか、

じっくり見てゆこうではありませんか。

想像以上に早く、時代を変えるパワーは

新しい世界を私たちに見せてくれると

私は確信しています。

 

 

 


自殺統計 2

2014年06月04日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

自殺をする自由というのは、

レミングのような生物学的な何らかの理由があって自死する例を除けば

人間の特権だろう。

 

少なくとも、自分で考えて、死を選ぶ事は、

皆好きでやっているわけではなく

精神的に追いつめられた結果だろう。

 

(いつの時代も共通してある10~20代の自殺は、

ホルモンの過剰による制御不能と、人間や人生の経験不足による無知が

原因である事が大半であるとは思う。

 

これは世代に共通した原因だろう。

年寄りからみれば、いくらでもやり直しは出きるのに、

それが修復不可能との思い込んでしまうのは

いつの時代も共通しているのではないか。)

 

若い世代がよく言われるのが、

生きる力や知恵が、

教育が核家族化のせいで弱まっているといという論理だ。

 

自分はそうは思わない。

昔は『年寄りの子守りは、三文安い』

という言葉があった。

 

だいたいが、大家族には家族の中で

甘やかしてくれる味方がいるものだ。

 

躾が厳しければ良いかと言えば、

そんな事はないと、自分は思う。

私は、物心つく前からの習い事をするのに

母に、竹の物差しを鞭がわりにして叩かれて育ったが、

結果としてそれが良かったとは思えないし、良い思い出ではない。

 

父が、軍隊でさんざん殴られて、自身は殴らない人になったのと同じで、

母は私の反面教師の例の代表になっている。

 

それでも、私は母に「お前は甘やかして育てた。」と

良く言われたものだった。

死んだ兄に比べてという意味であったが、

どんだけ、兄は小さい頃厳しく育てられたのだろうと思う。

今なら、間違いなく虐待で通報レベルだろうが、

世の中全体がそんなの当たり前であったから、

私たちより上の世代は身体的にもっと厳しい事を、

躾とされて育っている。

 

そういう環境の中で育ったからと言って、

自殺する事に耐えるように育ったかと言えば、

そんな事は関係ないと断言しよう。

 

戦前、戦中の世代は死は隣にあったり、

上から落ちて来るような身近なものだったから、

わざわざ自殺する必要はあまりなかっただけだ。

教育の手柄ではなく、悲しい時代が

残った者たちを前向きな世代に育んだのだ。

 

かくいう私は高度成長期の子供時代で、

受験戦争と呼ばれ、公害はひどかったがまだ田んぼや、

山があり、TVゲームはまだなく、ただひたすら外で遊びまわっていた。

心の情緒も十分育まれた恵まれた世代だと思っている。

 

しかしそんな私たちの世代が自殺者3万ににずいぶん貢献してきた。

同世代は、働きざかりからまあたくさん自殺してきた事だろう。

それを心が弱いとか言われるのは、今の若い世代同様

心外である。

 

ようは、その時代や年代に与えられる能力、命題、答えが違うのだから。

違う命題を解いているのに、心の強さや弱さを評価するのは筋違いだと

私は思う。

 

ようは、日本の閉鎖的な文化や社会が

世代に関係なく、孤独な者を自殺に追い込みやすいのだと思う。

 

私の世代と、今の若い世代の違いで唯一思うのは、

彼らがよく口にするのが、「家族」という事だろう。

 

私たちの世代は、家族という言葉がそんなに強い意味をもたなかったし、

むしろ、弱い意味をもっていたように思える。

彼ら世代のほうが、普通に家族への感謝を口している。

健全な事だ。

 

ごく普通の節度をもった愛情の中で育っていれば、

人はどんな環境であれ、それなりに立ち向かっていける。

 

しかし、マザーテレサの『愛の反対は無関心なのです。』の言葉どうり、

他者への無関心は、人を孤独に追いやる。

そして、愛の喪失感で体が満たされると

人は生きてゆく事に意味を見出せなくなってしまう。


時として人は、暗闇が出口のように思え、

進んでそちらに向かってしまうものだ。

それは有る意味、人間の性や業と言っても良いと思う。

 

政策で自殺者の数を減らしたいなら、

第一に、徹底した雇用対策が一番有効だろう。

無職者が自殺する確立は、仕事がある場合の2倍弱あり、

好景気で求人が多い時代が自殺が減るのは、

過去の統計が証明している。

 

第二は、自殺者の7割は男性だという事も、もう一つの要素だろう。

そして、過去のデータから女性の自殺の増加はほぼ横ばいだが、

自殺の増加分はほぼ男性という事実だ。

生物学的にストレス(ホルモン分泌や、マウス実験の結果によると)に弱く

男性のほうが自殺しやすく、また自殺死亡率も高い。

 

お金をかけない対策ならその二点に絞って対策を重点的に打てば、

少なからず効果が上がると思う。

フェミニストはお怒りかもしれないが。

 

しかし運命論者の自分にしてみれば、

現状もまた、乗り越えてゆくべき運命なのであろうし、

若い男性諸氏は、団塊や我々世代より

より良い意味で変化しているので、

今の時代に対峙できる精神的可能性を

十分に宿していると思っている。

 

それゆえ、私たちのように、

袋小路の先に自殺がまっているような環境を選ばずに

ダウンシフトに向かっているのだと。

 

彼らは間違っていない。

何より時代は精神の高みを目指しているのだから、

今まで見ないふりをしてきた愛を

彼ら世代が取り戻してくれる事を信じている。

 

GDPも人口も失うかもしれない。

しかし、これからの日本の一番の存在意義は

民族の総合的な精神性にあると思っている。

 

その事が、地球全体のこれからの道しるべにきっとなってゆくと

私は信じている。

 

目の前の事だけに囚われないように

その先にあるものが光なのか

よく見つめ考えてからでも遅くはあるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自殺統計

2014年06月03日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

自殺者の統計が発表された。

年間自殺者が3万人を2年連続で切って、

ようやく増加傾向に歯止めがかかってきた。

 

そんな中での注目点は、15才から39才の若年層の自殺が

先進7カ国中トップという事だった。

 

名誉な事ではない。

が、それはその世代の生存競争が激しい事の証明でもある。

彼ら世代の事をくだらない根性論や精神論で語るのは

何の意味も救いもないので、

私なりの解釈と勝手な意見を書かせてもらう。

 

今の若い世代は、私やもっと前の世代よりは

能力やアイテムが少ない状態で、我々が向かいあっていたわかりやすい世界より

よりレベルが深くわかり難い、

あいまいな世界に立ち向かって足掻いているのだと思う。

 

それゆえにこういう結果が出安いのではないか。

彼ら世代は全体として、

理解が難しい問題を解く為に生まれてきたのだと。

 

例えはよくないが、あるいみ難易度の高いゲームをやる為に生まれてきた

チャレンジャ-たちと言える。

(運命論者の私の勝手な電波な意見だ。

そういうブログなのでご容赦頂きたい。)

 

人は、その人生を選んで生まれてくるようだから。

私が良い時代を選んで生まれてきたように、

彼らは、生きる事がむつかしい時代を選んできたのだ。

今の時代、日本に生まれた事は地球全体から考えれば、

ひじょうに幸運ではあるが。

この世界この時代の日本しか知らない彼らには、

いとも簡単に、くもの巣にかかるような

簡単に見えて、罠の多い世界に思える事だろう。

 

そんな彼らが、自殺者が多いのはある意味仕方のない事だと思う。

冷酷ではあるが、彼らはリスクを覚悟で生まれてきているのだから。

(本人たちはもちろん自覚はないだろうし、冗談じゃないという

方々がほとんどであろうが、もともと科学的な事を言うつもりないので、

ご容赦を。)

 

こんな私が自殺したい方々にせめてものアドバイスを書かせてもらう。

 

私が覗いてきた世界に照らしてみて言える事は、

肉体的な死は、意識の終わりではないという事だけだ。

残念ながらその先があるのだ。

自殺という形で辛い現世の人生を降りるのも選択肢のひとつではあるが、

肉体がなくなったらなくなるはずの意識がなくならないなら、

自殺を考える時に、

少しは今までとは、考える選択肢が増えるのではないだろうか。

 

別に罰があるわけではない。 意識が残るのだ。

 

だからこそあえて死に急ぐ事はない。

人には寿命があっていずれは肉体死は訪れるのだから。

 

苦しい時をわざわざ選んで肉体を殺すのは

その先の事を思うと得策ではない。

 

死ぬ事で安息を得られるなら良いのだが、

残念ながら、その保障はない。これは科学でも未だ証明できないだろう。

ようは、私の話も科学的な証明はできないが、

体験者が語る的に言える事は、死後世界らしきものの経験を語る人々は、

歴史的にもたくさんいるという事実だけだ。

 

まあ、だったらどちらもソース不明なら、

証言者が多いほうを判断の基準に選んだほうが得ではないだろうか。

 

私は経験的に、死後の意識有り派でかつ寿命運命論者なので、

死ぬまで生きようと思う。

 

何で死ぬかわからないしいつ死ぬかもわからないが、

死を幸、不幸や、善悪、で捕らえるのはやめようと思う。

人は生まれたら死ぬのが当たり前。

 

確かに、不慮の事故や犯罪、過酷な宿命と呼べるような病や戦争で死ぬのは、

悲しみに満ちてはいる。

しかしそういう事を全て含めて人間が生まれてきてこの方、ずっと繰り返しこれからも

繰り返す事なのだから。    生まれるという事は死ぬ事と同じ。最初から決まっている事。

そこに悲や喜を持ち込んでいるのは、人間なのだから。

 

見方を変えれば、生物として情とは関係のない当たり前の事に

肉体を持つ事でよりリアルにそうした感情の体験の色ずけをして

わざわざ悲や喜を意識で体験しているのかもしれない。

 

私の母は子供に先立たれた。

その悲しみや、運命を呪うさまは、子供もとしても

また自分もまた子を持つ身となり、その刹那さや

やり切れなさはいかばかりかであったかと思う。

 

また、中年期に私も中間管理職で自身の能力の限界から

思考停止に陥り、駅のホームで電車に吸い込まれそうになった事もあった。

あの時の感覚は飛び込むのではなく、楽になりたくて吸い込まれそうになったというのが、

近い気がする。

今思えば、そこから先の人生のあると無しを比較はできる。

 

死なかった結果として、その先にまた山有り谷有りの人生が続く事が確認ができた。

ただそれだけではあるが、その事は声を大にして伝えたい。

 

死ななければ、良い事があるとは言わない。

ただ、山有り谷有りの当たり前の人生が続いてゆくだけだ。

でも何かが違うのは、少しは、その景色を楽しもうと思うようにはなれるという事だ。

楽しむと決めれるのは、自分しかいないのだから。

 

命を運ぶ事が運命なら、命を無事寿命どうり運びきって

ゴールのテープを切りたいものだ。