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濁れる水の…

澱まずに、生きていければよいのだけれど。

「闇の左手」 アーシュラ・K・ル・グィン

2010-05-12 15:33:28 | SF系
人類の同盟エクーメンの使節ゲンリー・アイは、
雪と氷に閉ざされ、両性具有の人々の住む惑星ゲセンをその各国と外交関係を結ぼうと訪れた。
各国の謀略に巻き込まれながら、
カルハイド王国執政官セレム・ハルス・レム・イル・エストラーベンとの関係を軸に物語はすすむ。

「光は暗闇の左手
 暗闇は光の右手。
 二つはひとつ、生と死と、
 ともに横たわり、
 さながらにケメルの伴侶、
 さながらに合わせし双手、
 さながらに因-果のごと。」

左手には「ゆんで」、右手には「めて」とルビが振ってあります。
辞書を引いてみると、「左手・弓手 弓を持つほうの手」
「右手・馬手 馬の手綱を取るほうの手」とあります。
なるほど、あわせて一つのこととして機能します。
陰陽を表す太極図。
上昇する気と下降する気、陰と陽が溶け合い、事物が変化し、互いに因果となる。

そして、二人が追っ手から逃れ、氷原を81日間かけてカルハイド王国に戻るため、
「岩と氷と空と静寂」を食料の不足を恐れ、厳しい寒気に襲われる中ゆくときに、
ゲイリーとエストラーベンの関係は光と闇のようにからみあい、
陰陽のように互いを認め、受け入れながら、結末にむかいます。

最初は使節と執政官という職務上の関係であった二人が、
次第に人としての信頼を交わしていくさまは、ある宗教思想家を連想させます。
「我と汝」という相互性から生まれる、人間にとって根源的な関係と
「我とそれ」という対象性から生じる、人間にとって付随的な関係を説いた
マルティン・ブーバーです。。
「個々の<なんじ>は、<われーなんじ>の関係が終わりに達すると、
<それ>とならなければならない。
 個々の<それ>は、関係のなかにはいってゆくことにより、
<なんじ>となることができる。」(「我と汝」岩波文庫P46)

この言葉が「闇の左手」を語りつくしているような気がします。

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))
アーシュラ・K・ル・グィン
早川書房

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