
今日はドイツ人のフラットメイト、ティノ君と映画を見に行ってきました。イギリスでは600円たらずで映画館に入れ、しかも一度入れば誰もチェックしないので、いようと思えば1日中いて公開中の映画を総なめすることも可能です。
今日俺達が見た映画は「ダウンフォール」。ドイツで作成されたもので、
ヒトラーが自殺するに至る最後の12日間を、史実をもとに再現したものです。
この映画のことを聞いた時は、とうとうドイツでもナチス絡みの映画を作るように
なったのか、とかなり驚かされました。
ご存知の通り、ナチス関連の事柄に対しては、戦後60年経った今でもなお、
他のヨーロッパ諸国は敏感に反応します。ついこないだも(今年の1月辺りだったか)、
イギリスのヘンリー王子が仮装パーティーにナチスの軍服とカギ十字の腕章を
着てきたことで、世界中から総スカンを食らいました。
「ダウンフォール」は、本国ドイツでは去年の秋に公開されたそうですが、
ティノの話によると、やはりヨーロッパやアメリカのユダヤ人団体等から、
強い非難が浴びせられたとのことです。
実際に見てきてどうだったかといえば、まず映画としてとてもよく出来ているなと
思いました。ヒトラー役を演じたブルーノ・ガンツの演技は、ヒトラーの狂気と
内面の混乱を(完全に理解することは不可能だったでしょうが)とてもうまく
演じていましたし、他の役者の演技や全体の演出も秀逸で、2時間半たるむことなく
見ることができました。
しかし同時に非難されるのも納得、という点もいくつか見受けられるように
思いました。第1に、この映画はヒトラーの秘書が主人公で、彼女の目から見た
ナチスドイツの崩壊(Downfall)の様子を描く、という形式をとっていたのですが、
それでもこの映画の本当の主人公は、やはりヒトラーだったと言えます。
映画の中でヒトラーは泣き、怒り、そして時には子どもたちに優しい言葉を
投げかけます。そこには人間としてのヒトラーが描かれており、このことが
「ヒトラー=絶対悪」の公式が未だ根強い欧米諸国の反発を呼んだのだと
思いました。
2つ目の点は、この映画はヒトラーが自殺に至るまでの12日間のベルリンの
状況にのみ焦点を置いていたため、歴史映画としての意義が比較的小さかったように
思われたことです。
特別ヒトラーを美化しているわけでもなかったし、史実を忠実に再現した映画
だったのでしょうが、それでも何か物足りなさを感じたのは、映画の中の
時間と空間と登場人物の背景、つまり製作者側の視点があまりに限られていたために、
全体としてのナチス・ドイツの問題を観客に考えさせるというよりは、
いわばヒトラーを題材にした、エンターテイメント映画であるという要素が
大きかったからだと思います。
ホロコーストについても、エンドテロップに入る直前にたった1行の文章で
触れられただけでしたし、これは過去の清算がまだ終わっていないと感じている
人たちが強い反感を抱いたのも分かるような気がしました。
程度の違いはあれ、戦時中、戦後のドイツと日本の状況には、
様々な共通点があります。ドイツで、そして日本でなぜ全体主義が
生まれたのか、その歴史的過ちの繰り返しを、いかにして防ぐことが
できるのか。こうした問いに答えを出し、きちんと歴史に向き合い、
実践に移して初めて本当の「戦後」が始まるのだと思います。
残念ながらドイツも日本も、それらの問いに真摯に向き合っているほど
成熟しているとは思えません。そんな中での「ダウンフォール」のような
映画は、むしろ「もはや戦後ではない」という、ちまたに満ち溢れている
言説を強化してしまうことに繋がりかねないのではないでしょうか。
それを考えると、ドイツが「ダウンフォール」のような映画を作るのは、
まだまだ早すぎるのではないか、と思いました。むしろいらぬナショナリズムを
無駄に煽ってしまい、現在日本でも見られる保守回帰、歴史の逆行を促進
させてしまうのでは、という危惧を抱いています。
今日俺達が見た映画は「ダウンフォール」。ドイツで作成されたもので、
ヒトラーが自殺するに至る最後の12日間を、史実をもとに再現したものです。
この映画のことを聞いた時は、とうとうドイツでもナチス絡みの映画を作るように
なったのか、とかなり驚かされました。
ご存知の通り、ナチス関連の事柄に対しては、戦後60年経った今でもなお、
他のヨーロッパ諸国は敏感に反応します。ついこないだも(今年の1月辺りだったか)、
イギリスのヘンリー王子が仮装パーティーにナチスの軍服とカギ十字の腕章を
着てきたことで、世界中から総スカンを食らいました。
「ダウンフォール」は、本国ドイツでは去年の秋に公開されたそうですが、
ティノの話によると、やはりヨーロッパやアメリカのユダヤ人団体等から、
強い非難が浴びせられたとのことです。
実際に見てきてどうだったかといえば、まず映画としてとてもよく出来ているなと
思いました。ヒトラー役を演じたブルーノ・ガンツの演技は、ヒトラーの狂気と
内面の混乱を(完全に理解することは不可能だったでしょうが)とてもうまく
演じていましたし、他の役者の演技や全体の演出も秀逸で、2時間半たるむことなく
見ることができました。
しかし同時に非難されるのも納得、という点もいくつか見受けられるように
思いました。第1に、この映画はヒトラーの秘書が主人公で、彼女の目から見た
ナチスドイツの崩壊(Downfall)の様子を描く、という形式をとっていたのですが、
それでもこの映画の本当の主人公は、やはりヒトラーだったと言えます。
映画の中でヒトラーは泣き、怒り、そして時には子どもたちに優しい言葉を
投げかけます。そこには人間としてのヒトラーが描かれており、このことが
「ヒトラー=絶対悪」の公式が未だ根強い欧米諸国の反発を呼んだのだと
思いました。
2つ目の点は、この映画はヒトラーが自殺に至るまでの12日間のベルリンの
状況にのみ焦点を置いていたため、歴史映画としての意義が比較的小さかったように
思われたことです。
特別ヒトラーを美化しているわけでもなかったし、史実を忠実に再現した映画
だったのでしょうが、それでも何か物足りなさを感じたのは、映画の中の
時間と空間と登場人物の背景、つまり製作者側の視点があまりに限られていたために、
全体としてのナチス・ドイツの問題を観客に考えさせるというよりは、
いわばヒトラーを題材にした、エンターテイメント映画であるという要素が
大きかったからだと思います。
ホロコーストについても、エンドテロップに入る直前にたった1行の文章で
触れられただけでしたし、これは過去の清算がまだ終わっていないと感じている
人たちが強い反感を抱いたのも分かるような気がしました。
程度の違いはあれ、戦時中、戦後のドイツと日本の状況には、
様々な共通点があります。ドイツで、そして日本でなぜ全体主義が
生まれたのか、その歴史的過ちの繰り返しを、いかにして防ぐことが
できるのか。こうした問いに答えを出し、きちんと歴史に向き合い、
実践に移して初めて本当の「戦後」が始まるのだと思います。
残念ながらドイツも日本も、それらの問いに真摯に向き合っているほど
成熟しているとは思えません。そんな中での「ダウンフォール」のような
映画は、むしろ「もはや戦後ではない」という、ちまたに満ち溢れている
言説を強化してしまうことに繋がりかねないのではないでしょうか。
それを考えると、ドイツが「ダウンフォール」のような映画を作るのは、
まだまだ早すぎるのではないか、と思いました。むしろいらぬナショナリズムを
無駄に煽ってしまい、現在日本でも見られる保守回帰、歴史の逆行を促進
させてしまうのでは、という危惧を抱いています。
東条英機を主人公とした、東京裁判を軸とする映画です。
なにぶん中学生(たぶん)の時に1度観たきりのため、詳しいことは言えないのですが、監督の意図の中心は戦勝国による敗者裁判の妥当性にあり、この点については、本作は確かに一石を投じたのではないか、と感じた覚えがあります。
しかし、nicholasnicklebyさんが「ダウンフォール」に感じた、
>でなぜ全体主義が
生まれたのか、その歴史的過ちの繰り返しを、いかにして防ぐことが
できるのか。こうした問いに答えを出し、きちんと歴史に向き合い、
実践に移して初めて本当の「戦後」が始まるのだと思います。
というような違和感は、「プライド」にも共通するウィークポイントかもしれません。
イギリスでは手に入らないかもしれないですが、もし未見でしたら、比較してみると
面白いかもしれないですよ。
ちなみに伊藤監督、かのタランティーノ「キルビル」に多大な影響を与えた、「女囚さそり」シリーズの監督でもあるそう。面白いですね^^