つれずれに過ぎ行く日々

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教科書が変わる

2007-03-31 00:23:26 | Weblogとりあえず
戦争の記述がかわるらしい。
集団自決を強要から、しいられた人もいる的な表現。

戦争の汚さを表現をかえることをどのように変えても汚いのだから、
戦争をしないことが一番いい。その中の表現で強いられた人もいるとの表現で、戦争の責任がなくなるわけではない。

そんなことで、戦争が起きる「可能性」をなくすことは出来ないし、それほどに日本人も馬鹿でない。

でも、馬鹿な人が必ず出てくる。


車の事故に関して運転している人の責任を当たり前に問うけど、車自体が凶器になるのをわかっているようでわからない、乗らないのがいいのに、そのあたりをあいまいにしている。

教科書は大切であるが、その表現に関してはいろいろな側面がある。
教える中で、戦争をおこさない事例をいれればいのではとおもう。


たかが60年でこれだけ変わるのは、戦争を知らない世代の問題だけではなく、日本人(全員がそうではないけど)の質の問題がおおきい。
第二次世界大戦の残虐さは、まだ 生きている人がいるから、つたえられるが、いなくなれば、必ず戦争は起こると思う、60年間だけ戦争がなかったのは非常に珍しいのかもしれない。それは江戸時代終末に、維新ということばだけど内乱?戦争?同じ人なのに殺しあって明治が生まれたのも歴史のなかのひとつ。

個人的に時代劇が好きだけど、よい側面しか歴史にはのこらない、その相手はころされ、歴史から抹殺されていることは、歴史書以上に多いはず。

人口が多くなると自然に戦争が起こるだろし、いき詰まればその矛先をかえるため、集団ヒステリーになるだろう。死ぬこと、憎むことがその指導的なたちばになれば、また悲惨な殺し合いをするだろう。

殺されることと、殺すことの違いは強者、弱者の問題でもないだろう。

武器をもてば、使う「ばか」人がでてくる。その、ばかな人にならないようにしたいものだと考えてしまった。


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