昨日、朝から元気に行くはずだった「キング・コング」は
あれやこれやで間に合う時間に家を出そびれ断念。
結局昨日は、(やっと)郵便局へ行く用事だけを済ませ、
あとはのんびりまったりと家の掃除をして終わってしまった。
コドモが学校に行っている間に行って帰ってこれるタイム
テーブルなのは今日がラストなので、
「今日は何としてでも行くぞ!!!」
と心に決めていたのだが、朝から電話があったり、
なんやかんやで結局、支度が出来たのは昨日とさほど
変わらない時間。
今日もダメかな。やめちゃおうかな・・・。
と少々ウィークになる私。
しかし、やっぱりどうしても観たいしなーーー。
そう思い直し、駅まで大急ぎで向かい、どうにかギリギリ
間に合う時間に最寄の映画館についた。
実は「キング・コング」は私の中ではある意味で
「思い出の一本」なのである。
どう「思い出の一本」なのか?と言うと、ちょっと曖昧なのだが
「コドモ向けじゃない洋画を初めて観た作品」
だから・・・とでも言おうか。
ジェシカ・ラングとジェフ・ブリッジスが出演する
「キング・コング」を私は昔、劇場で観た。
調べてみたら1976年の作品だ。私は当時、小学生。
映画館での映画鑑賞履歴は、「東映マンガ祭り」あたりに
始まり、それ以外のアニメやファミリー向けの洋画
(アドベンチャーファミリーとか)へと移行していた時期。
その頃「キング・コング」は私にとって
「子供向けじゃない映画」だった。
映画を観る前は「とても怖い映画」だと思っていた。
当時の「タワーリング・インフェルノ」とかとダブって
勝手な思い込みで誤解してたのかもしれないが。
だから観に行く時も、映画が始まる前も、
スゴーくドキドキして、なかば怯えてた。
しかし、観終わった後、自分が思っていた映画とは
全く違う映画だった、という印象を私は持った。
それは、とても哀しくて、やりきれない映画だった。
子供心にも、これは悲恋の映画なのだ、という認識は
多かれ少なかれ持った。
その後、「美女と野獣」や「ノートルダム」を観た時も
思い出すのは、その時の「キング・コング」だった。
しかし、今とは違い、一度劇場で観た映画をビデオや
DVDで観直すことが当たり前ではなかった頃の話である。
私はそれ以来、1976年の「キング・コング」を観直さない
まま30年が過ぎた。
初めて子供を産んで母親になって数年、ぱったり映画を
観なくなり、子供を置いて初めて観た映画が
「Fabulous Baker Boys(恋のゆくえ)」
だったのも何かの縁かもしれない、とも今は思う。
もっとも、その時に、そこに出てくるJackが
「キング・コング」に出ていたことにも気付かずに
何年も過ごしてしまったのであるが。
いずれにせよ、今から思えば、私の映画好きは
そこから始まったようにも思え、何となく・・・なのだが
この作品だけは観ておきたかったのだ。
去年の12月17日に公開されたこの作品。
公開から約1ヶ月を待ち、やっと観ることが出来た。
「観たい」と思いながらも、忙しかったこともあり、
何も情報収集をしないままで観に行ったので、
大好きなADRIEN BRODYが出てることも始まってから知ったし、
ヒロインは「ドワン」じゃなくて「アン」という名前で、
それをNaomi Wattsが演じているというのも知らなかった。
ナニからナニまで新鮮な鑑賞である。
で、感想は・・・。
一言で言うと、なかなか良かった。
私にとって、何が「なかなか良かった」のか。
それは、登場人物(コング含む)の描き方である。
私はもともと、あまり特殊効果や映像技術にそれほど
惹かれない。予算がデカかろうが、どれだけ最新の
テクノロジーを駆使していようが、そんなことは
ある意味、オマケでしかない。
そこに出てくる人がどれだけ豊かに描かれているか。
そしてその描き方が、どれほど巧みでリアルか。
どれほど自分の胸に突き刺さってくるか。
私の映画の好き嫌いはそこに集中する。
そういう意味で、私はこの映画が「なかなか」
よかったと思う。
例えば、下船を引き伸ばされ、結局は航海に
付き合わざるを得なくなったジャックへの
カールのセリフ。
コングに思いを寄せられるアンが、どうして
コングと心を通じ合わせることができるように
なったのか。
そもそもなぜアンが、この航海に加わることに
なったのかという背景。
冒頭の虚無的な態度から、変化していく
ジャックの描写。
そして、撮影クルー、乗船クルーたち一人一人
に至るまで、きちんと描きこまれた関係線と
キャラクター。
コングがビルの突端まで登るにいたる背景と
それについて言及する記者に対するカールの
セリフ。
この「キング・コング」は単なるアクションや
アドベンチャー映画ではなく、そういう部分で、確かな
ヒューマンドラマとして評価できるように思う。
だから私はこの映画が好きだ。
私としては全く興味がない恐竜や未開の土地ならでは
のあやしい昆虫や生物の登場やパニックシーン、
対決シーンなど、自分としては蛇足にも思えるのだが
それをなくしてしまっては大方のファンは満足しない
だろうから仕方ない。
3時間超という長尺も、もう少しシェイプできそうにも
思うが、それでも許せないほどのダレがあるわけでも
なく。
言葉の壁など超え、それでも意思の疎通をすることの
大事さと、できることの素晴らしさ。
人間という生き物の愚かさと悲しさ。
それは私が子供の頃に見て感じたそれと同じ印象で
胸に迫った。
そして改めて、子供時代に観た「キング・コング」で
普通なら恐れおののき忌み嫌う巨大なゴリラを、
すぐに先入観や偏見なく理解し、共感してあげられる
ドワンにとても憧れ、そういう部分で自分も
彼女のような女性になりたい、と心に決めた記憶も
蘇ってきた。
今、自分がそんな風に生きているのかどうか自信は
ないけれど、でも、相手に対して先入観や偏見を
持つことなく、そして、たとえ言葉が通じなくても
誠意や愛情を持って接することで、どんな相手とも
(たとえば動物でも)理解しあえる、という考え方には
自信を持ち続けたまま無事に生きている。
時間を作って76年のキングコングを観直してみよう。
そして、これを機に、33年のオリジナルも
観てみよう。
少しずつアンに惹かれ、どんどん強くたくましくなって
行く、Adrian、ステキだったなあ(*^_^*)。
カレ、こんなにイイカラダしてたのね、知らなかったわ(*^_^*)。