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髙木 頌平 ブログ

たまに投稿します🙏

伝道、奉仕について思った事、写真は大塚国際美術館。

2025-01-07 | Weblog
ミケランジェロはシスティナ礼拝堂の天井画を描き終えたとき目を失明した。
絵の具が目に入って。(一回とかじゃ無いと思う。)

約四年でこの絵を描き上げたそうです。
信じられない。

奉仕って一体何だろうって?
最近考えてました。
みんな命がけ。
伝道も礼拝もカッコいいし憧れるけど、
同時にヒヨコの自分には理解できない部分がある。

その大変さを側で見聞きしてるから、情熱や思いはすごく伝わる。
でも、そのモチベーションは皆どこから来るんだろうか。
皆それぞれ違う働き、どうしてそこまでするの?って思う。

人の考えではうーん。
理解できない。
理解したいと思うけど、何かが根本的に違う。

伝道。この絵もそう。
今も多くの人の胸を打っています。
美術館の入口にあって皆礼拝堂の椅子に座って天井見たり、通り過ぎたり、ウロウロ歩く。
椅子でグーグー寝てる人もいる。

怒られないんです。
ここ。

大塚美術館の絵は転写されたものだから、
どれも触っても怒られない。

話戻すけど、そいでずっと考えてた。
奉仕について。
絵を見てもわかんない。
涙出たけど。
わかんない。

伝道や奉仕ってなんなのか。
わかんない。
寝た。わかんない。

バイブル読んだ。
そしたら聖書の箇所が目に入ってきて、
僕にとってはすごく譜に落ちた。

Jesusありがとう🙏

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"御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。"
ヘブル人への手紙 1章 14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ヘブライ人への手紙 1:14 新共同訳
[14] 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。

https://bible.com/bible/1819/heb.1.14.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

お祈り

2024-11-18 | Weblog

ハレルヤ天のお父様

私は祈ります。


夜、目の前には荒野が広がり、

どこに行っていいのか わからない時。

主よ あなたの言葉はカンテラのようです。

いつも正しい道を示します。


心が疲れ枯れ果て、

何をしても、

何を得ても 虚しい夜。

主の決して枯れない泉に ふと出会えますように。


日々様々な困難が押し寄せます。

どうか、この方々を覚えて下さい。


喜びや楽しみが訪れますように。

この方々の重荷を取り、あなたが休ませて下さい。


主よ。

私はあなたと共にここにいます。

私に出来ることは、今は小さく少ないです。


しかし、主よ あなたは違います。

奇跡を今も起こされます。


私を又、他の方も用い、

与えられた場所で強めて下さい。


愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制をお与え下さい。


あなたの道から私が誘惑によって、それないようにして下さい。


主よ

消えかけた心に火が灯ります様に

薪が燃え盛るよう

あなたが息を吹きかけ続けて下さい。

決して燃え尽きることのない柴の様に

主への 思いを燃やし続けて下さい。


愛する主イエス・キリストの名前によって

Amen🙏


髙木 頌平


ヒマワリ

2024-08-31 | Weblog

主よ

あなたをみました。

ひどい雨で
風で折れたり、切れてしまったり、頭を垂れたり、何とか咲いている者もいます。

夕方には皆どんよりとしていました。
朝が来て、皆を主が照らします。

どのヒマワリも輝いていました。

"私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。"
ヨハネの手紙第一 4章 19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

たかぎ しょうへい

#Jesus


You are never alone

2024-08-14 | Weblog
お父様
私は祈ります。

今日、目覚めたこと、食事がある事に感謝致します。

海には
潮溜まりも、
遠くまで流れいていく黒潮もあります。

主の愛は
そのどちらにも注がれ命が芽生えています。

船は
津波の時も、嵐の時も、雪の時も、凍った海も、
ゴミだらけでも、正面から波を受け越えていきます。

どんな波も、
主は私と共に越え、
人や、物事を通して教えて下さいます。

やがて船が沈み、
凍てつく海に投げ出されても、
私は暖かい気持ちで主に会えます。
主がいつも側におられますから。

どうか、今日。
その愛に気づいて、
受けとれる日となりますように。

あなたは愛されています。
決して一人ではありません。

尊いイエス様の名前で感謝してお祈り致します。
Amen🙏

"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。"
ヨハネの福音書 3章 16〜17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

たかぎ しょうへい

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2024-07-31 | Weblog
GREAT MEANING
生きることの意味

自分の思い通りにならない...
それは悪いことではない。
実は良いことである。
思い通りにならないことが
己を知ることにつながる。

人生それ自体に何かがあるのではなく、
人生はあなたが何かをする機会なのだ。
人生に人生の意味を問うのではなく、
人生があなたに人生の意味を問うているのだ。
生きるということは問われることであり、
生きるとはその問いに答えていく責任が
あるということなのだ。

人生に起きること全ては
この世に存在する意義を
考えさせてくれる。
故に、挫折も失敗も
試練も病気も
苦しみも絶望も
何一つ無意味ではなく、
意識次第で意味あるものとなる。

THE BIBLEの中でパウロは
「そればかりではなく、
患難さえも喜んでいます
それは患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し
練られた品性が希望を生み出すと
知っているからです。」
と述べている。

ピンチはチャンスであり、
絶望は希望への入り口なのだ。
ジーザスの愛弟子ヨハネは、
「光は闇の中に輝いている。
闇は光に打ち勝たなかった。」
と書いている。

試練や患難から逃げないことだ。
それらに背を向けるのではなく、
むしろ向き合い、対峙するといい。
悲しい時、苦しい時は
その悲しみや苦しみを
認めることだ。

ジーザスは
「悲しむものは幸いである。
その人は慰められる。」
と説いている。

詩編の歌人は、
「苦しみにあったことは
私にとって幸せでした。
私はそれであなたの掟を
学びました。」
と証している。

今日という日が
十字架上であなたの
救いのためにご自身を捧げて、
蘇られたジーザスに
心を開くことができる日と
なりますように。

「様々な試練に会う時は
この上もない喜びと思いなさい。」
ヤコブ1:2

2024年7月31日
アーサー・ホーランド