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猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

*ねこさんのもてる力 ドア編*

2020-02-15 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。

このかいからは、しもべみけいけん者のにんげんを、
しもべじょうきゅう者にするためのほうほうに
ついておはなしします。

しもべみけいけん者にありがちな、
ねこさんとにんげんのかんけいせいについてのかんちがいは、ここまででだいぶ正されていますが、
ねこさんのもてる力について、
しもべみけいけん者はじゅうぶんりかいできていません。

つまり、ねこさんのすばらしさをはんぶんも
わかっていないといえます。

これをわからせるのは、むずかしいことではありません。

ただ、およそねこさんにはできないだろうとしもべが
おもっていることを、やってあげるだけです。

でも、だからといって、ねこさんのもてる力のすべてを
しもべにごひろうすることはありません。

たとえばぼくは、ぼくのおててがフリック入力できることを
しもべにおしらせしていません。

なぜなら、そのほうがつごうがよいですし、しらない方が
しもべにとってもしあわせでしょう。

できるけどしないでおくことも、
しもべをしつけるにあたってはたいせつなしゅだんです。
そのあたりもわかりやすくおはなしするつもりです。

まず、おてて始めに、ドアというドア、とびらというとびら
をあけることからはじめるのがよいとおもいます。

なぜ良いかというと、ねこさんの力をしらしめながら、
ねこさんのくらしをかいてきにするのにも
おやくにたつからです。

猫語の教科者でもいわれていますが、
にんげんのお宅において忌々しいのが、
”ドア”や”まど”、”とびら”のたぐいです。
これは50年ちかくたったいまでもかわらないじじつです。

これらは、ふしんなものおとがしたときのていさつや、
おひさまのあたるばしょやひんやりするばしょの
たんさくを、とうせんぼしてじゃまをします。

ねこさんならだれしも、じゆうをくぎられるなんてまっぴら
ごめんのいきものです。
にんげんのお宅にまねかれるまえ、じゆうねこさん
だったならなおのことです。

しかし、しもべみけいけん者は、このドアによって、
ねこさんのじゆうを、しもべののぞむとおりに
支配できるとかんがえているのです。

「ねこさんにはもうしわけないのですが、しもべが
おでかけのあいだは、このおへやのなかにいてください。
このおへやのそとには、ねこさんにさわられるとこまる
ものもありますので。」

そういって、ぱたんとドアをとじれば、ねこさんは
ドアをあけるなんて、とうていできないだろうから、
さわられてこまるもののあんぜんはほしょうされる。

と、こんな具合です。

このようなかんがえがあるかぎり、しもべはドアを
しめつづけるでしょうし、そうなればねこさんは
ドアをあけつづけなければなりません。

ですので、しもべにドアをしめてもむだだと
わからせることができれば、ねこさんはより
かいてきにくらせるようになります。

ぼくとぼくの兄は、じゆうねこさんのおかあにゃんの
もとで、せいごはんとしまでそだてられましたから、
ようしょうきをじゆうとともにすごしました。

ですのでぼくの兄は、お宅にまねかれてすぐのころに、
しもべによるじゆうの支配をあざけり、
ありとあらゆるドア、ありとあらゆるとびらと
ところどころのまどをあけました。

おしてあけるドア、ひいてあけるドア、
よこにうごかしてあけるドア、
かるいドアはもちろんおもいドアだってなんのそのです。

なかにしもべのようふくがぎっしりつまっているとびら、
ねこさん好きのする、こまごまがつまっているとびら、
おいしいにおいがするとびらはまっさきにあけました。
あけるとひんやりするとびらもあけました。

とりわけおおきなまどがありましたが、
これはおもたいうえにかぎもかかっていました。

しもべがかぎをあけるのをみていましたので、かぎを
どうすればよいか、兄にはわかっていました。
兄は、おててでちょいちょいをくり返し、
かぎをあけることにせいこうし、
おもいまどをここいちばんのきんにくでふんぬ!
とあけました。

おもしろいことに、
兄はあけることだけにしかきょうみがなく
おそとにでるのは、もっぱらぼくのしごとでした。

しもべは、まいにちおそとからかえってくると、
ぬけがらのようになって、
「どうしてねこさんに、このドアがあけれたの・・・?」
「まさか、このドアもあけるとは・・・!」
「鍵、鍵をかけ忘れた!それにしても、こんなに重たいのに、なぜだ」
「今日も開けられてしまった・・・」
と、つぶやいていました。

しもべは、そのうち、とびらごときでねこさんのじゆうを
くぎろうとしたじぶんが浅はかだったとさとり、
その後お宅のなかは、どのドアも閉まることはありません。

ぼくのしもべのように、だいたいのにんげんは、
この”ありとあらゆるドア開けられ”をたいけんしますと、

「こんなむずかしいとびらも、
こんなおもいとびらもあけられるのとは!
ねこさんは、わたしのそうぞうよりもはるかに
かしこく、はるかに力もちだということか!
もうドアなどしめてもむだだから、しめるまい。
ねこさんをあなどっていたことがいまわかりました。
ちゅーるでもっておわびしなければならない・・・」

とおもうものです。
これがたっせいできれば、それいじょうに力を
みせつけることはしません。
ちゅーるをいただけたなら、そこまでにしてお
くのがねこさんのひんかくです。

じっさい、ぼくのしもべは、兄がまどのかぎを
あけたとはおもっていません。
じぶんがかぎをしめわすれたと、かんちがいして
いるのです。

ねこさんのもてる力をみくびっているともいえますが、
このかんちがいは、はこのままにしておくことにしました。

もし、まどのかぎまであけられることがわかってしまうと、
にんげんのことですから、どうにかしてねこさんが
あけられないように、くふうするにちがいないのです。

そうすると、あけなければいけないかぎが、
またひとつふえることになるでしょう。

それでは、おしのびのがいしゅつのときに、
ぐあいがわるいですから、
あけられないかんちがいされたままの
方がおとくということです。

しもべはすでに
「こんなちいさなねこさんが、こんなおおきく
おもたいまどをあけられるなんて!」と、
おおいにおそれおののいていましたから、
それだけでじゅうぶんだったわけです。
(まだこのころは、きせきのたべもの
ちゅーるのたんじょうまえでしたので
ちゅーるはいただけていません。)

よだんですが、ぼくの兄はげんかんの
ドアもあけたことがあります。

兄はあけるかかり、
ぼくはおそとにでるかかりでしたので、
ぼくはげんかんからおそとにでました。

でもげんかんのドアは、あけたらかってにしまる
しくみでした。
しらないあいだにドアがしまっていたので、
おそとのぼくは、ぼくのお宅がまるでわからなくなりました。

するとどうでしょう。ぼくはすっかり
ライオンさんになってしまったのです。

兄のはなしによると、そのときのぼくは
ライオンさんもかおまけのいさましさでほえ、
えものを狩るかのようにどうもうに
はしりまわっていたようです。

あまりのさわぎにおどろいた兄がもういちど
げんかんのドアをあけました。
それでぼくはお宅にもどれたようですが、
しばらくはライオンさんのままだったようで、
兄はひどいおめめにあったといっていました。

ぼくはそのときのきおくがほとんどありません。
お宅がわからなくなったと気づいたしゅんかん
あ゛おぉーんとほえたのはおぼえていますが、
そのあとのことはまったくおぼえていないのです。

それいらい、兄がげんかんのドアをあけることは
にどとありませんでしたね。

次回も、ねこさんのもてる力のわからせ方について
おはなしします。

*おわび*
ぼくはおそとにでるかかりですので、
ドアのあけ方などはまったくわかりません。
そのあたりは、ねこさんそれぞれでおべんきょうして
ください。
れいのネットワークのけいじばんに、いろいろかいて
あると兄がいっていましたよ。



*しもべみけいけん者のいくせい ごほうび編*

2020-02-12 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。

ぼくのかいぬしは、かぜをひきました。
ぼくを愛でるじかんをへらすそうです。
まあ、いいでしょう。
ねているかいぬしのオフトンをうばうときは、
ちょっとくらいは、かいぬしのぶんをのこして
あげたほうがいいようです。とくにこのじきは。
ねながら「さぶ、さぶ」というかいぬしが、
どんなにおもしろくてもです。

さて、今回は”ごほうび”のおはなです。

にんげんの負いおめめをそだてているあいだ、
ねこさんはにんげんのこころのケアにつとめ
なければなりません。

というのも、にんげんはひどく自信をそこない
やすいので、あまりに優しくされないでいると、
自分の価値をかんたんにみうしなってしまうのです。

下僕しょしんしゃはとくに、ねこさんをお宅に
おむかえしさえすれば、ねこさんはにんげんに
なつき、たのしいねこさんライフを送れると
ごかいをしています。

ですので、かいぬしをりっぱな下僕にしたいが
ゆえであっても「にんげんをおそれるねこさん」
ばかりをえんじていますと、あまりに想像と
ちがうねこさんライフに、

「こちらのねこさんは、わがお宅をお気にめさない
ようだ。もっとべつの、このねこさんにふさわしお宅に
いってもらった方がねこさんのためかもしれない。」

などとかんがえることがあります。

また、ねこさんに優しくしてもらえないかなしみが
あまりにふかすぎた場合は、かなしみはいかりに
かわり、

「なんだ、このねこさんは!
せっかくお宅にまねいてあげたのに、こんなたいど
ばかり!そんなにもこのお宅がいやだというのだな、
それならけっこう。でていっていただこうじゃないか!」

と、このように、ふとどきなかんがえを起こします。

ぼくとぼくの兄が、下僕しょしんしゃの
しつけに成功したひけつは、にんげんの
こころのケアのため、ささやかな”ごほうび”を
あげたことに集約できるでしょう。

ぼくたちのやり方はこうです。

まずは、その日もにんげんのねる時間までは、
いつものとおりすみっこのくらがりでおびえています。
あかりが消えて、にんげんがオフトンに入り、
うとうとしはじめたころ、昨日までとはちがい
そっとにんげんにちかづくのです。

にんげんがぐっすりねむってしまっては
こうかがありません。
息づかいなどをよくかんさつして、
”ねてるにんげん”と”おきてるにんげん”
のまんなかあたりをみのがさないよう、
ちゅういしてください。

近づくときは、おとくいのしのびあんよで。
充分ちかづいたら、しんちょうに、にんげんを
”くんくん”します。

これがごほうびなの?とおもうかもしれませんが、
”くんくん”は、んげんにとって、とてつもないよろこび
をもたらします。

オフトンのそとにでているところならどこでも良いですが
とりわけ、おかおがおすすめ。

おみみのあたり、ほっぺ、くちびるなどに
あなたの小さいおはなをちかづけ、くんくんします。

あなたのちいさなはないきは、あなたの
かよわさを鮮やかにきわだたせ、
にんげんのこころを、くまなくくすぐり、
”おきてるにんげん”のときにつめたくされ、
かなしんでいるこころをいやします。

にんげんはこのとき、”ねてるにんげん”のふりをしています。
なぜかというと、”おきてるにんげん”になれば
ねこさんがくんくんをやめてしまうことを、にんげんは
ほんのう的にしっているのです。

あなたは”ねてるにんげん”のふりには、まったく
気づいていないようすでくんくんしつづけること。

でも、にんげんがすこしでも動いたら、
すぐにとびのき、その日はもう、いっさい
近づきません。

これを、毎日くりかえします。
そして、にんげんがくんくんになれてきたら、
やわらかなにくきうでちょんちょんしたり、
さいしゅうてきには、おなかのうえで香箱座り
をしてあげましょう。

また、にんげんが買ってきたねずみなどのおもちゃで
遊んであげるのもよいです。

にんげんは、こういうおもちゃを、ねこさんとの
きょりを縮めたいがために買ってきます。
もちろん、にんげんがさしだしてきたときは
まったく無視しておきます。
でも、にんげんが”ねてるにんげん”のふりを
しているときにしっかり音をたててあそびます。

そして、あさになり、にんげんんが
”おきてるにんげん”になったら、
きのうまでどおり、すみっこの暗がりで
ちいさくかたくなってふるえておきます。

ごほうびをもらった後のにんげんは、
おびえるねこさんに、自信をなくしたりは
もうしません。

それどころか、毎夜あたえられるごほうびに
ゆうき付けられています。

「ねこさんが、わたしが”ねているにんげん”のとき
くんくんしてくれました!
ねこさんは、わたしのことをきらいではないのですね!
きっと、わたしだって、とつぜんしらないお宅に
つれてこられて、しかもじぶんの何倍もおおきい
いきもののお宅だったら、それはこわいでしょう。
ねこさんがわたしを無害だとわかってくれるまで
わたしは、ねこさんをけして怖がらせはしません。」

「”ねているにんげん”だったわたしのくちびるを
ねこさんがやわらかなにくきうで
ちょんちょんしました。
ねこさんはわたしのことを気にいったみたいです!
ねこさんが、わたしにあんしんしてくれるまで、
ねこさんを怖がらせないようにしましょう。」

「ねこさんが、わたしが”ねているにんげん”のとき
おもちゃであそんでいました!
わたしが”おきてるにんげん”のときに、
ねこさんがおもちゃであそんでくださる日も、
きっともうすぐにちがいありません。」

「ねこさんが、”ねてるにんげん”だった
わたしのお腹のうえでくつろぎました!
ねこさんのやわらかさ、あたたかさは
じんせいのよろこびそのものです。
もうこれいじょう、のぞむのことはありません。
”ねてるにんげん”のとき
ねこさんがお腹にのってくださるなら、
”おきてるにんげん”のあいだに
どんなつめたいしうちをうけようと、
わたしは耐えられます。」

にんげんは、だいたいこのようなことを
かんがえています。
てきせつなごほうびが、にんげんの
にんたいりょくをひきだしていることが
わかっていただけますね。

ほかに、
にんげんをじっとみつめる
にんげんの上をあるく
にんげんがぬぎっぱなしにした服を、けまみれにする
つめとぎでぱりぱりする
など、ささやかなごほうびはアイデアしだいです。
ぼくたちの方法でなくても、それぞれのねこさんが、
おのおののやり方でごほうびをあげればよいのです。

*しもべみけいけん者のいくせい おむかえされてすぐ編*

2020-02-09 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。

ここから数回は、しもべみけいけん者を
しもべにもつことになったねこさんのため、
ひつようとなるねこさんのこころえを
くわしくおはなししておこうと思います。

ぼくのしもべは、しもべみけいけん者でした。
13ねんにわたるしつけのけっか、ぼくのしもべも、
まずまずのしもべとなりました。

しもべのしんきかいたくは、にんげん征服の完遂には
さけてとおれないかだいです。
しんきかいたくに、果敢にいどまんとするねこさんたちに、
きっとぼくのけいけんがおやくに立つはずです。

さきにおはなししたとおり、ぼくのしもべのように、
しもべみけいけん者のにんげんは、
ねこさんとにんげんのかんけいを、ただしくりかいしていません。

しもべみけいけん者におこりやすいかんちがいとして
ねこさんをたすけてあげるやさしいにんげん
ねこさんをにんげんのおたくにおいてあげている
ねこさんはしもべであるにんげんのもの
このようなものがあります。

このようなまちがいをただし、
ねこさんのそんざいがにんげんをにんげんたらしめている、
ねこさんがわざわざにんげんのおたくにきてくださった、
にんげんのすべてはねこさんのためにある、
このような、あるべき姿にみちびかねばなりません。

そのためのさいしょのこころえは、
『にんげんのおたくにまねかれてすぐはおびえたふりをする』
でしたね。

おたくにまねかれてすぐは、
どんなにみりょく的なごはん、
おもちゃ、ねこさんタワーがよういされてあっても、
それらをみだりにいただいたり、こころのままたのしむのは
よした方がよいでしょう。

ねこさんのいたましいおすがたをみることで、
にんげんのかんちがいをただすため、ともおはなししました。

このことについて、もうすこしりかいを
ふかめておきましょう。

ねこさんをおたくにまねいたばかりの
にんげんのこころには
「ねこさんをたすけてあげた」という
おもいあがりのほかに、じつはすこうしだけ、
「いたいけなねこさんをきょうせい的にんげんの
おたくにつれてきてしまった」
という負いおめめもあるのです。

その負いおめめは、ちいさくかたくなって、
すみっこのくらがりふるえて、
あきらかにおびえているねこさんをみるにつけ、
どんどん大きくなるものです。

たすけてあげたというおもいあがりよりも、
こちらの負いおめめが大きくなるまで、
このたいどを崩さずにおきましょう。

なぜなら、その負いおめめが大きくなればなるほど、
にんげんは、
「このねこちゃんをかならずしあわせにしなけりゃならない」
とのけついを強くするのです。

そして、このけついの強さが、そのまましもべとしての
優秀さとなるのです。

だから、おたくについたとたんむじゃきにあそびだして
にんげんをあっという間にあんしんさせるよりは、
かわいそうなねこさんを演じておいたほうが利口、
ということになります。

ぼくは、1かげつは、ちいさくかたくなって
いつもすみっこのくらがりでどうこうをぜんかいにして、
おみみはぺたりとしていたものです。

ぼくは、じつの兄といっしょに、
しもべのおたくにおむかえされました。

ぼくたちのばあいは、まんざら”えんぎ”でもなく、
じゆうねこのおかあにゃんと、とおくひきはなされた
ことがわかって、とても、かなしくさびしく、
こころぼそかったのです。

まあ、3日くらいしもべのおたくでねおきをしたら、
ぼくも兄もここにいてあげてもよいという気になったので、
そのあとは、まったくえんぎでしたけどね。

おびえたふりにもあきて、
にんげんの負いおめめがじゅうぶんに
そだったとわかったら、いよいよにんげんのまえに
すがたをみせてみます。

そのときも、せをひくくして、く
びをなるたけとおくまでのばして
(このしぐさがお好みのにんげんもいます。)
そろり、そろりとあるき、
けいかいをしています、というふうにします。

にんげんがたのしそうにして、ねこさんをいしきしていない
ときをねらうとよいでしょう。
たのしそうなふんいきにつられて、ねこさんがきましたよ、
そんなふうをえんしゅつできます。

このときのにんげんといったら、
ほんとうにかわいいものです。
おめめのはしっこに、ねこさんのすがたをとらえますと、
きゅうにひそひそ声になって、
ついにねこさんがお出ましになった、とさけびたい
ところを、ねこさんをおどろかせないようにぐっとこらえ、
おめめをうるうるさせ、変な顔をして、いきをとめて
動かないようにするんですよ。

にんげんは、ねこさんのこころのとびらが、
ようやくすこうしひらいたと、
このうえないよろこびをかんじているのです。

にんげんは、ねこさんのひらいたこころのとびらを、
もっとあけてもらうために、
たいていはちゅーるをさしだします。

ここも、すぐにとびついたりせず、
いっぽちかづいては、半ぽさがり
のばしたおくびを、上下させたりしながら、近づきます。

こうすることで、にんげんは、ねこさんが
まだ、にんげんをけいかいしてますよ、
でもちゅーるはおいしそうだし、なんにもしないなら
そのちゅーるをいただいてもいいですよ、
でも、なにかしようとしたらすぐにこころのとびらを
ばたんとしめますよ、といっているのがわかるものです。

じかんをたっぷりかけ、ちゅーるにたどりついたら
ひとなめ、またひとなめします。

さいしょは、えんりょがちに、
しかしだんだんとむちゅうになってぺろぺろします。
ときに、おめめを細めるのもよいでしょう。

にんげんは、このかわいいねこさんのすがたを
みられたことに、こころからかんしゃします。

そして、このとき、にんげんはようやくしもべの
スタートラインにたつことができました。

このときから、しもべみけいけん者を
りっぱなしもべにするための
ねこさんによるしつけがはじまります。

*げんだいのひとりものとねこさんのよい関係*

2020-02-06 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。

おさむいまいにちですね。
しかし、ねこさんのせかいには、
かくじつにはるがきていますね。

こんかいは、ひとりもののおたくについて
かんがえましょう。

猫語の教科書では、ひとりもののお宅を
乗っ取ることについて、
あまりおすすめされていないことは
ごぞんじでしょうか。

でも、ぼくは、げんだいにおいて、
ひとりもののおたくこそ乗っ取るに
ふさわしいとおもっているくらいです。

ぜんかいのきじ、
ねこさんにふさわしいお宅とはで
おはなししていますが、
のっとるにおはなししたにんげんたちの
かかえるじじょうは
ひとりもののばあい、より、
乗っ取りがたやすいほうにさようします。

ひとりものは、
いっぱんてきにいって、ふくすうのにんげんと
くらすにんげんたちよりも、
ストレスをなしにできる機会がふそくしていることが
わかっています。(NNN調べ)

ですので、ひとりものにとってねこさんの
ありがたさとは、ふくすうでくらすにんげんにくらべると、
ざっくりいって10倍くらいです。

ですので、ひとりもののしもべは、
ねこさんに、それはかんしゃすることになります。
つまり、ねこさんののぞみはなんでもかなう、
ということでもあります。

そして、もうひとつ、
ひとりもののお宅をすすめないではいられない
じゅうだいなりゆうがあります。

それは、こういうことです。

ひとりもののにんげんは、ねこさんをおむかえする、
ただそれだけで、
とりたててわだいのたねもなかった、つまらない、
とるにたらないにんげんだったのが、
かわいいねこさん、というこの上なく
みりょく的なわだいのもちぬしに、
へんしん!することになります。

ほかのにんげんも、あなたのしもべにきょうみをもつでしょう。

そして、ねこさんは、時にしもべをわざとこまらせてあげましょう。
たとえばこうです。
ある日、いつものすきなはずのごはんを、
ちょっとしかたべずにおくのです。

しもべはとうぜん、ねこさんはどこかわるいのかと
不安になります。
それがなんにちかつづけば、
ついにその不安をだれかにはなします。

にんげんは不安を不安のまま、
こころにとどめておくことはできないのですね。

それを話すあいては、きっと別のねこさんのしもべで、
しもべスキルがあなたのしもべより少し高いでしょう。

もしかするとそれは、いせいの、
ひとりもののしもべかもしれません。
あなたのしもべからそうだんをうけた
別のねこさんのしもべは、
ごはんをもっとおいしいのにしなきゃ、
うちのねこさんはこのごはんが
おこのみですよ、すこしわけてあげましょうか、
とこうなります。

そうすればしめたものです、
もちろんねこさんは、ちょっとちがった味の
ごはんにありつけますし、
ごはんをいつもどおりにたべるだけで、
しもべはとてもよろこび、
ひときわねこさんにかんしゃし、
いつもよりたくさんほめますし、
なでなでもねっしんにします、いいことずくめです。

そして、きっとふたりのあいだには、
すぐに”こい”がめばえるでしょうね。
そしたら、ふたりは結婚します。
すると、ばあいによっては赤ちゃんがやってきます。

赤ちゃん、ときくだけで、
気をうしなってしまうねこさんもいるかもしれません。
しかし、ねこさんのしもべどうしの間に
やってきた赤ちゃんがねこさんにとって、
とてもゆうえきなそんざいだということに
気がついていますか?

そうです、この赤ちゃんは、
うまれながらのしもべ、エリートしもべなのです。

赤ちゃんのおやであるあなたのしもべは、
もしかしたらしもべスキルに
もんだいがあり、あなたをなやましているかもしれません。

しかし、この世にうまれた時からねこさんとともにある、
この赤ちゃんはまだ、にんげんのことばをはなす前の、
ねこさんと通信できるじきに
ねこさんとともにあります。

このじきにしっかりとしもべとしてしつければ、
ねこさんはただひと鳴きするだけで、
大きくなったこのエリートしもべは、
ねこさんののぞみをさっすることができます。

きっと、しもべを、
みなさんはたいせつとしっているでしょう。
ですから、たしょうのさっしのわるさは
おおめめにみようと、こころに決めていると思います。

でも、たまに、あまりのわからんちんに
うんざりすることもありますね?

しかし、このエリートしもべは、
そんな思いをねこさんにさせることはありません。

そして、ここからがかんじんなところです。
そのさきエリートしもべどうしが結婚して、
さらに赤ちゃんがきたら・・・

この赤ちゃんは、すばらしいエリートしもべとなるでしょう!
さらに、すばらしいエリートしもべどうしが結婚して、
赤ちゃんがくる、
さらにそのしもべどうしがけっこんして赤ちゃんがくる・・・

なんということでしょう!
つまり、この世は、スーパーハイパーエリートしもべ
でみたされるのです!

このように、にんげん征服もよういにしますから、
これからお宅乗っ取りをする
ねこさんたちには、ぜひ、せっきょくてきに、
ひとりもののお宅を乗っ取りましょう。



*ねこさんにふさわしいおたくとは*

2020-02-04 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。

これまでのきじをお読み下さった
みなさんには、
にんげんすべてをしもべにすることが
ねこさんのかいてきのためには
ひつようふかけつということ、
そしてにんげんにとっても
ねこさんをしもべにすることが
さいこうのしあわせであることを
わかっていただけたとおもいます。

また、にんげんたちの征服には、
まずはできるだけたくさんの
にんげんのおたくをのっとり、
にんげんを一人ずつ、ねこさんの
しもべにかえていくことがひつようということも、
もうごなっとくいただけているでしょう。

猫語の教科書では、
のっとりにてきしたいえとして、
“にわがありおとことおんながいて、
子どもはいなくて、
びんぼうではないいえ”を
おすすめされています。

つまり、こういうおたくは、
ねこさんにとってのかいてきなくらしが
保証されている、ということでもあります。

しかし、いまのじだい、
こういうおたくには、
2ねこさん、3ねこさんと
すでにねこさんがいるのがあたりまえです。

ですので、げんだいにおいては
もうごじぶんがのっとるにふさわしい
おたくはないのではと、
ごふあんになるねこさんもいるかもしれません。

でも、しんぱいいりませんよ。

じだいはよくなったもので、
げんだいでは、こういうおたくでなくとも、
ねこさんのくらしは、かいてきを保証されています。

とくにおたくにおとことおんながいなくても、
だいじょうぶです。

また、このようなおたくをおすすめする
ほかのりゆうには、
おたくにおとことおんながいると
やきもちの気持ちや、おたがいの競争心を
りようすることができ、
おたくののっとりもやりやすく、
のっとったあとも、
ねこさんの望みをじつげんしやすくなる
と、そういうわけで
こういったおたくがおすすめだとおしえています。

しかし、げんだいのにんげんたちが
かかえるじじょうをこころえておけば、
2にんげんいなくとも
ねこさんであれば、いともかんたんに、
にんげんをおもいどおりにうごかせますし、
つまりかいてきなねこさんライフが保証されています。

では、こころえておきたいげんだいの
にんげんたちじじょうに
ついておはなししましょう。

ひとことでいえば、
にんげんたちには「ストレス」がたくさんある、
というだけでなく、
その「ストレス」をうちけしてくれるものがすくない、
ということです。

ストレスとは、なんでしょうね。
わかいねこさんなどは、とくにそうおもうでしょう。

そんなねこさんのために、ストレスについて
ごせつめいしておきましょう。

にんげんは、いきていくにおいて、
くるしかったり、かなしかったり、はらがたったりしているのに、
くるしい、かなしい、おこったぞ、といえないことがあります。
それどころか、くるしくないふり、かなしくないふり、おこってないふりを
しなければなりません。

ねこさんにたとえてみましょう。

ある日、しもべが、じぶんのふしまつをわびるために
ちゅーるをさしだしてきたとします。
でも、さしだすちゅーるはたった、たったの1っぽんきりです。
きちんとしたねこさんならば、
まるできょうみのないふりをするでしょう。
しもべに、ことのじゅうだいさをきっぱりとわからせ、
いっぽんで赦されることはないと思いしらしめるためです。

このとき、ねこさんはこころにうそをついていますね。
ほんとうは1っぽんだってほしいのです。
でも、そのこころをぐっとおさえて、
まるでほしくないふりをし、
ほしいこころにうそをついています。

これが「ストレス」です。

しかし、最終的にはちゅーる3ぼんをいただけますから
これで、ほんとのこころは満足し、
ストレスは、ブラボー!なしになります。

でもにんげんには、ちゅーる3ぼんはありません。
それどころか1っぽんだってもらえないことの方がたくさんなのです。

ちゅーるがもらえないなら、
ほんとのこころのまま生きたらいいのに
と、そう思わないでもないですが、
それはできないことのようです。

ですので、にんげんはストレスをなしにできず、
ほんとうのこころはうそでとじこめられたままです。

では、にんげんの、
うそでとじこめられたほんとのこころは、
どうなっちゃうのでしょうか。

うそをついたからといって、
ほんとのこころはなくならないのですから、
にんげんのほんとのこころは、
いつもきゅうくつな思いをしています。

さらにいつまでたってもまんぞくさせてもらえないままに、
そこにあります。

そして、ばあいによっては
よりくるしい、よりかなしい、よりおこれてしまう
そんなじたいににんげんをおいこみます。

あわれなものです。

しかし、ここでねこさんのとうじょうです。
ひとたびにんげんがねこさんのしもべになりますと、
にんげんのほんとうのこころは、
あらふしぎ、あっというまに
まんぞくしちゃうのです。

ねこさんには、それだけの作用があるのです。

柔らかなおけなみにくるまれた、
しなやかなねこさんのからだをなでなでするだけで、
また、時につっけんどで時に甘ったるい、
にゃーおを聞くだけで、
そして、ただそこにねこさんがいて、
静かに丸まっているのを見るだけで
くるしんでいた、
かなしんでした、
おこっていた
ほんとうのこころは
もう、
くるしくも、
かなしくも、
おこってもなくなるのです。

もうわかりましたね。
にんげんにストレスがあるかぎり
にんげんはねこさんなしではやっていけないのです。

げんだいにおいて、ねこさんはねこさんでありさえすれば、
にんげんのしつけやあつかいに困ることはないのです。

ですから、おめめをつけているおたくが、
おすすめのおたくタイプにあてはまらないからといって、
乗っ取りをちゅうちょすることはありません。

ねこさんがきてあげましたよ、
という気もちでいけばよいのです。


そうすることで、
にんげんはとくぎをねこさんのためだけに
しぜんとつかいたくなる、
そんなどじょうをはぐくむことができます。

さいごに、よだんですけどね、
ぼくのしもべが、
ぼくをひざにかかえてなでなでしているときに、
ぼくはしもべのめのあたりから、
とじこめられていたほんとのこころのかけらが、
きらきらとながれおちるのを見ることがありますよ。

ぼくには、とてもきれいにみえるので、
ついつい、おててでちょんちょんしてしまうのです。