私たちのこの意識は、恐ろしい悪魔のようになったり、やさしい天使のようになることが出来ます。
そして、そのどちらでもないニュートラルな状態になることもできます。
そこまで極端でなくとも、ちょっとネガティブになったり、ちょっとポジティブになったりします。
そして、ほぼニュートラルになることもできます。
不思議だと思いませんか?
同じ私たちのこの意識がこのように大きく変化することも出来ますし、ニュートラルになることも出来ます。
このようになるということよりも、なることが出来る不思議さを感じます。
何故、私たちのこの意識は一瞬で極端から極端に変化することが出来るのでしょうか。
ある恐れやショックで顔を引きつらせていた人が「ドッキリカメラ」であると告げられると、途端に安心して笑顔させ見せます。
このように、私たちのこの意識は瞬時に変わります。
この意識を瞬時に変えることが出来ます。
そして、私たちのこの意識は非物質であるけれど、物質である私たちの肉体と連動しています。
ですから、大きな不安を感じたり、恐怖を感じた時は心臓が高鳴り呼吸が荒くなりますし、逆に安心したり幸せを感じている時は、穏やかな呼吸になり脈拍も少なくなります。
ですから、私たちのこの意識は、それが感じたことを肉体に伝えた結果、呼吸や心臓の動きを変化させ体に影響を与えます。
このように非物質である私たちのこの意識は物質である私たちの身体と連動している部分もありますが、そうでない部分、つまり、非物質ゆえの一瞬の変化が出来るという機能も持っています。
また、今のこの現実とは飛躍したことを想ったり想像したりすることも出来ます。
そして、この意識の肉体と連動している部分が休んでいる時やその活動が極めて低い時(就寝時や瞑想時)に、この意識がニュートラルになったり、高い次元の波動になり高い次元と同調し繋がったりします。
私は、私たちは多次元意識体であり、この意識はその多次元意識体の一番波動の低い意識であると思っていますが・・・
一般的には、私たちのこの意識は極めて限定されたものであるとされ、脳内にあるもので、肉体が死ねば無くなるとされていますが、先に述べたように、それはあくまで肉体と連動されている部分に過ぎないことであると分かると思います。
私たちのこの意識は肉体と連動されていない部分もあるということも、先の説明で理解できるのではないでしょうか。
ですから、私たちのこの意識の能力は、肉体と連動してこの現実を経験できる側面がある一方、非物質としての不思議なほど柔軟で拡張性が高く素晴らしい能力を持っているものなのではないでしょうか。
何故?・・・私たちのこの意識が・・・
そんな素晴らしい柔軟性と拡張性の高い能力を持つ必要があるのでしょうか?
この物質の三次元世界を経験するというだけなら、私たちのこの意識は、肉体と連動している部分だけで充分であると言えるのではないでしょうか。
肉体と連動していない部分を持つ必要がどこにあるのでしょうか。
そして、私たちの多次元意識体の一番波動が低いこの意識がそれほどの柔軟性と拡張性がある素晴らしい能力を持っているのは何故なのか?
という疑問が浮かんできたのが、一昨日の眉山登山中でのことです。
この私の疑問を明確にするために少々時間を要しましたが・・・
今、この文中で説明していることが現実であり真実であると思います。
私たちは、この三次元の世界を経験するだけの能力を持っているだけでなく、次元を超越する能力も生まれながらに持っているということです。
そして、「スピリチュアル情報」で伝えられているように、将来、私たちの多次元の意識体をこの意識で包含し融合してしまうのでは、と思っています。
私は、今、私たちのこの意識はそれほど不思議で素晴らしいものであると思っています。
そして、これが現実であり真実であると思います!
私たちのこの意識と言うものが、これほど不思議で素晴らしいものであると、感じ入っております。
私たちは、この素晴らしいこの意識を生まれながらに持っているのですから・・・
この意識に「感謝」する以外に無いのではないでしょうか・・・
私たちは、自分のこの意識に「感謝」しながら日々過ごして行けば、最高なのではないでしょうか!
以上、「勝寛舟の大妄想」より。
そして、そのどちらでもないニュートラルな状態になることもできます。
そこまで極端でなくとも、ちょっとネガティブになったり、ちょっとポジティブになったりします。
そして、ほぼニュートラルになることもできます。
不思議だと思いませんか?
同じ私たちのこの意識がこのように大きく変化することも出来ますし、ニュートラルになることも出来ます。
このようになるということよりも、なることが出来る不思議さを感じます。
何故、私たちのこの意識は一瞬で極端から極端に変化することが出来るのでしょうか。
ある恐れやショックで顔を引きつらせていた人が「ドッキリカメラ」であると告げられると、途端に安心して笑顔させ見せます。
このように、私たちのこの意識は瞬時に変わります。
この意識を瞬時に変えることが出来ます。
そして、私たちのこの意識は非物質であるけれど、物質である私たちの肉体と連動しています。
ですから、大きな不安を感じたり、恐怖を感じた時は心臓が高鳴り呼吸が荒くなりますし、逆に安心したり幸せを感じている時は、穏やかな呼吸になり脈拍も少なくなります。
ですから、私たちのこの意識は、それが感じたことを肉体に伝えた結果、呼吸や心臓の動きを変化させ体に影響を与えます。
このように非物質である私たちのこの意識は物質である私たちの身体と連動している部分もありますが、そうでない部分、つまり、非物質ゆえの一瞬の変化が出来るという機能も持っています。
また、今のこの現実とは飛躍したことを想ったり想像したりすることも出来ます。
そして、この意識の肉体と連動している部分が休んでいる時やその活動が極めて低い時(就寝時や瞑想時)に、この意識がニュートラルになったり、高い次元の波動になり高い次元と同調し繋がったりします。
私は、私たちは多次元意識体であり、この意識はその多次元意識体の一番波動の低い意識であると思っていますが・・・
一般的には、私たちのこの意識は極めて限定されたものであるとされ、脳内にあるもので、肉体が死ねば無くなるとされていますが、先に述べたように、それはあくまで肉体と連動されている部分に過ぎないことであると分かると思います。
私たちのこの意識は肉体と連動されていない部分もあるということも、先の説明で理解できるのではないでしょうか。
ですから、私たちのこの意識の能力は、肉体と連動してこの現実を経験できる側面がある一方、非物質としての不思議なほど柔軟で拡張性が高く素晴らしい能力を持っているものなのではないでしょうか。
何故?・・・私たちのこの意識が・・・
そんな素晴らしい柔軟性と拡張性の高い能力を持つ必要があるのでしょうか?
この物質の三次元世界を経験するというだけなら、私たちのこの意識は、肉体と連動している部分だけで充分であると言えるのではないでしょうか。
肉体と連動していない部分を持つ必要がどこにあるのでしょうか。
そして、私たちの多次元意識体の一番波動が低いこの意識がそれほどの柔軟性と拡張性がある素晴らしい能力を持っているのは何故なのか?
という疑問が浮かんできたのが、一昨日の眉山登山中でのことです。
この私の疑問を明確にするために少々時間を要しましたが・・・
今、この文中で説明していることが現実であり真実であると思います。
私たちは、この三次元の世界を経験するだけの能力を持っているだけでなく、次元を超越する能力も生まれながらに持っているということです。
そして、「スピリチュアル情報」で伝えられているように、将来、私たちの多次元の意識体をこの意識で包含し融合してしまうのでは、と思っています。
私は、今、私たちのこの意識はそれほど不思議で素晴らしいものであると思っています。
そして、これが現実であり真実であると思います!
私たちのこの意識と言うものが、これほど不思議で素晴らしいものであると、感じ入っております。
私たちは、この素晴らしいこの意識を生まれながらに持っているのですから・・・
この意識に「感謝」する以外に無いのではないでしょうか・・・
私たちは、自分のこの意識に「感謝」しながら日々過ごして行けば、最高なのではないでしょうか!
以上、「勝寛舟の大妄想」より。