荒川のほとりにて

ボストンの理工系大学を卒業した社会人のたまごが社会の荒波にもまれるお話???

彼女はスコールのあとの虹のように・・・

2009-09-06 | Campus Life
『彼女』

彼女はスコールのあとの虹のように歩き
闇夜のステルス戦闘機みたいに座る。
洗ったばかりのTシャツのように話し、
減量中のボクサーみたいに食べ、
ピンボール・マシンのように笑い、
1789年7月14日のパリ市民みたいに怒る。
ガロアの群論より難解で
苺のショートケーキより単純である。
桃の産毛のようにデリケートで
コンバット・ナイフみたいにタフである。
晩秋の森のリスのように勤勉で
早春の朝の草原みたいに礼儀正しい。
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小学校6年の時、この詩を、とある中学の宣伝パンフレットで見かけた。
たまらなく気に入って、絶対この学校に行きたい、と強く強く思った。
そしてめでたく(?)入学し、その女子校で中高6年間を過ごした。

学校の先生がこういう気質の子を育てるべく尽力していたわけでもぜんぜんなかったのだが、
不思議と中高の友人を思い浮かべると、この詩がどことなく当てはまる気がする。
そして、私はいまだに心のどこかで、こういう人間像を目指して、日々を生きているような気がする。

リーダーシップの授業で、先生が、「人生経験が浅い人でも授業をとって大丈夫か。」と質問され、こう答えた。
" I know you already have a lot of experience, because you are not as flexible as infants are. We are already pre-programed by countless past experiences."

社会と親と学校と友人と本とテレビと教育と・・・もろもろの影響を意識的・無意識的に吸収してできた、「Inflexible」な私は、どれだけなりたい姿に近づけているだろうか。
オトナになるにつれて、大事にしたい「とんがり」はどんどんと削れてきて、忌み嫌う「とんがり」は逆にどんどん頑固になってきてしまっているような気がする。とても残念なことに。
大学にいるうちに、今一度Reshapeを試みたいと思った今日この頃。

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