アマノシチロー「なるほどさん」雑記帖

いろんなジャンルの第一人者による様々の「なるほど」をご案内します 

アジアにおける台湾と日本の生い立ち

2005-09-29 17:26:50 | 風土記
台湾茶屋の女性給仕の写真(年代不詳だが戦前の写真か、現地入手)
台湾である。台湾と日本は実はよく似ている。
約1万年前後の氷河時期にアジアの島々は大陸と地続きになり、現在の島を形成しているインドネシア、マレーシア、フィリピン(これらはひとつの島・スンダ島と呼ばれる)と台湾、日本は大陸やこれらの島々と陸上移動が可能であった。その時期に人間や動植物が自在に移動したと思われる。人間で言うと、古モンゴルといわれる中国の揚子江以南を中心に広域にすんでいた人種が特にな南方や東方に移動したようである。現在の東南アジアの人々に共通するタイプの外形イメージである。氷河期が終わり、温暖化が始まると、海面の上昇も始まりだした。当然一方で温暖化で生息領域となった北方ユーラシア大陸で勢力拡大を始めた人種はその行動半径の広さから、東の果て、現在のロシアのアムール川を経て、現在でも冬は凍結する間宮海峡を渡り、樺太を経由し北海道からさらに本州に到達したと思われる。アイヌ民族の衣装の柄は中国の北方民族の流れを汲む。いわばミニ北方シルクロードが存在し、人や物の交易や移動が在ったと思われる。さらに温暖化が進むと、海面の更なる上昇とともに、大陸との分断が始り、切り離された島には独自の文化・風習・言語が形成・醸成され現在に至ったと思われる。一方で様々の部分で発展をとげた大陸の文化や征服の圧力をあたかも偏西風のように受け続けた、つい100年前までは。
日本人はどこから来たのかというと、二層構造からなり下層部分は前記の通りである。では上層部分はというと、温暖期に拡大してきた北方新モンゴル系である。彼らは南進し、中国に朝鮮半島にそして日本に、幾層にも津波の様に押し寄せ、侵略をしながら同時に、融合・融和してきたと思われる。さらにもう一方で、温暖化によるモンスーンの発達で四季が鮮明になり、南方では乾季と雨季が形成され、我々の祖先は同時に広く暖かくなった海洋の有機的な活用を始めた。つまり舟による大航海時代が始まった。産業革命によるそれ以前の第1次とでも言うべきものである。これらはくり舟等の人的エネルギーによる移動である。星座や海流を利用した方法で、太平洋やインド洋を自在に移動した形跡が残されている。特にミクロネシアやメラネシアの海洋民族はフィリピンや台湾を経由し回遊しながら日本にもたどり着いた、又その過程で定住する人々も多数いたと考えられる。同時に人間のあくなき欲望や支配志向や拡大性向は抗争や排除をもたらし、劣勢に立つものを追いやった。追われた人々は陸上を山地や大河を超え、さらに海岸から未知なる島を目指して逃避していった。これらの人々が我々の祖先である。つい30年前にもベトナムから数多のボートピープルが日本にも漂着した様に、これらがアジアにおけ人種や民族の形成・成立の初期過程と想定する。私たち日本人は顔かたちが実は大変異なることを認識していない。江戸時代に来日した宣教師の談話記には、これほどまでに顔かたちが異なるのも珍しいと記されている。確かに、髪の毛や眼が黒い、体形が小柄で、胴長などアジアの特徴以外は、大変異なると。皆さんの隣の友人や知人の顔をご覧ください。まったく異なる事に気づく。ヨーロッパ人が10パターンだとするとその数倍の個々の型があるように思われる。もちろん慣れると相違が分かるという部分は差し引いても。言語については諸説ありここでは言及しない。台湾ではどうか。北方系の影響は薄かったと思われるが、それ以外は日本と同じような過程を経たと思われる。東南アジアから、南方から、中国大陸から、幾層にも時を超え、移動してきたのである。特に台湾少数民族はポリネシア南方海洋民族であることは言語風習から実証されている。日本と異なるのは、幾多の外部侵略を受け、また内部抗争で多くの犠牲を強いられた歴史である。記録と口承によるものだけでも数え切れない程である。近年でも、1600年代にオランダとスペインに、そしてその前後に中国大陸の支配を受けた。その後日本も100年前の統治時には約2万人の抵抗者の処刑をしている。そして戦後の国民党支配で外省人のよる少数民族および内省人(在来台湾人)の十数万人のの犠牲を強いた。これが現在の台湾における政治抗争の元凶になっている。常に戦いと融和の歴史なのである。また、台湾を語る際に特筆すべきは、風土病についてである。日本が日清戦争による勝利で割譲したが、あまりの居住環境の悪さに、根本からの改革を実行した。特にインフラである。鉄道、上下水道、港湾、道路、橋、治水、電力、通信それに治安、教育、医療、などである。決してこれらの事柄は事実を述べるだけであって占領や支配を美化したり正当化するものではない。一般的に、欧米系の植民地化や支配は、経済的な搾取やキリスト教の布教が目的であって、被植民地の発展や平和や幸福の即ち共存共栄の概念はまったくない。キリスト教による内面の幸福のいわば押し付けだけで物理的な貢献はほとんどしていない。また中国のたとえば1800年代の清の支配時にも、そのような貢献はない。派遣される官吏は訳ありか、犯罪人が多く島流しと同等のレベルである。特に風土病で亡くなる率が異常に高く、台湾行きは地獄に行くことと同等に扱われた。残念ながら欧米人も中国人も、台湾を良くしようとは思っていなかったのである。
日本の台湾総督府はまず医療と教育からはじめた。台湾大学の医学部は精鋭の人材を本土より集め、風土病の根治に挑戦し、大幅に改善した。現在でも台湾大学の疫学は世界的な権威である。教育は識字率でアジアで2位になった。(もちろん当時の日本の台湾同化策は間違いではあるが)
一方現在の台湾は名産の「台湾茶」と「足つぼマッサージ」、一方でパソコン製造や液晶テレビなどIT関連や先端産業が中心となっている。本年台北市に世界一の高さの500m強のビルが出現した。来年には日本と同型の新幹線が開通し、台北と南部の高雄を1.5時間で結ぶ。今でも昔の日本の情緒や自然が残っている台湾もまたいいものである。
台湾島の概略:日本から飛行機で2.5時間、面積北海道ほど、平地の年間平均気温22度、冬13度、夏28度、ほぼ沖縄と同じ、南部の台南、台中、高雄は熱帯性気候、山間部は標高3952mの最高峰玉山(旧日本名:新高山)はじめ3000mクラスの山々が林立し冬は冠雪しスキー場もあり亜寒帯性気候である。いわば熱帯から北海道までの感覚。台湾檜は日本の神社仏閣で利用され、大変貴重品である。日本ではそのような大木は存在しなくなった。台湾でのブームは3年前は「冬のソナタ」、日本より1年早かった。旅行先は北海道と韓国が大人気、特に冬場の雪や氷の世界が好評。アジアで数少ない親日的な台湾もまたお勧めである。 by k


最新の画像もっと見る