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岸本年史コラム

短評、報告など

鵜飼聡先生、和歌山県立医科大学教授就任祝賀会挨拶

2017年09月23日 | コラム
鵜飼聡先生、教室関係者の皆様、この度は教授ご就任誠におめでとうございます。
鵜飼先生は、木村潔教授、大澤安秀教授、東雄司教授、吉益文夫教授、篠崎和弘教授に続き第6代目の主任教授であられます。第2代の大澤教授が、私共の教室から赴任されておりますし、また私が入局した当時の教授は、和医大が東教授、奈良医大が井川玄朗教授で、大変親しくしていただき、十津川や龍神温泉で合同の勉強会や野球の対抗戦などをさせて頂き、そのあとカラオケや麻雀に興じたことを懐かしく思い出します。
さて、先程和歌山城に登りまして、その展示コーナーの一角に和歌山の偉人・先達の人々のパネルがありました。鎌倉時代初期の方には和歌山有田出身の明恵上人があります。明恵上人は南都仏教の華厳宗の改革を進められました。幕府の執権北条泰時も私淑し、当時聖人として大変尊敬された方です。私達精神科医にとりましては、19歳の時より入寂の前年迄40年に亘って自ら見た夢を記録された「夢記(ゆめのき)」でご案内の方も多いと思います。女性にも美丈夫として大変人気のあった方で、京都栂尾の高山寺の大変有名な絵「明恵上人樹上座禅像」を見ると確かにハンサムな方です。実は鵜飼教授とお顔が似てらっしゃると思うのです。
明恵上人は「阿留辺幾夜宇和(あるべきようは)」を修行の上で大切にされていたようです。遺訓に「人は阿留辺幾夜宇和の七文字を保つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。乃至帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此のあるべき様に背く故に、一切悪しきなり」とおっしゃっています。白洲正子によりますと、菩提心に発した易(い)行(ぎょう)を大衆に向ってわかりやすく説いたものだとしています。
この「阿留辺幾夜宇和」は、私には、人間、動物、植物までも、それなりの生き方があると捉えます。人は能力や環境は等しくないけれど、等しく懸命に生きることができるという意味であります。精神障害、知的障害があっても自己実現できるということです。
和歌山には障碍者のリハビリテーション「麦の郷」がございます。百渓陽三先生を始めとする和医大の精神科の先生たちが礎をつくられてきたと伺っております。障碍者の自己実現を実践してきた和歌山県の風土の背景には明恵上人の訓へがあろうと思っております。
教授職は大変な重職でございまして、修業に近いものがあります。どうぞ、ご健康に留意の上、患者さんや家族の、教室員とその家族の、自己実現のために、そして教室の発展と和歌山県、日本及び世界の精神医学の発展に寄与されることを期待しております。
教室関係者の皆様におかれましては、益々のご支援をお願い申し上げまして、私のご挨拶と致します。

(平成29年9月23日鵜飼教授就任祝賀会/ダイワロイネットホテル和歌山)