オスロ日記(1985-1986)と その後(2012-)

30年前、主人と子供たちとでノールウェーのオスロで過ごしていた頃とその後の日記

7月31日 木曜日

1986-07-31 08:07:55 | 海外生活
朝5時30分に目が覚めた。フロントから朝6時30分にタクシーを予約してもらっていたが10分経っても来ない。朝早いのでタクシーも通っていなかった。主人もあせり始めたようで大通りにタクシーを拾いに行った。5分程して主人がタクシーに乗ってホテルの前にいた私達を迎えに来た。荷物をトランクに入れて出発しているとクラクションが後ろから聞こえた。予約していたタクシーだった。運転手が降りて来て私達の乗っている運転手に文句を言っていたが主人が”予約の時間を15分も送れている。早く空港に行かなければならないから”と説明する。最後にスペイン語でまた乗っている運転手に何か言っていた。時間が無いのですぐに出発してもらった。午前9時にマドリッドに着いた。ホテルのチェックインは午後12時だったが早めに部屋に案内してくれた。ホテルのレストランで朝食を済ませた。大人600ペセタ子供300ペセタだった。朝食後、プラドー美術館に歩いて行った。美術館はとても広かった。中学校の美術史に出て来る有名な絵がいくつもあった。子供達が退屈して来たので午後からパンダを見に動物園に行った。期待をしていたパンダが昼寝をしていて起きてくれない。しかし子供達は柵の前から動こうとしない。日本と違ってパンダの柵の前にいるのは私達家族だけだ。しばらくするとパンダがあくびをして子供達の方を見てくれた。安心して次のコーナーに進んだ。タクシーで町まで戻った。日本人がビデオ撮りの撮影に来ていた。その周囲に日本人観光客が何人かいた。その中の一人の男性が”旅行ですか?”と声を掛けてきた。”今カメラを盗られたんですよ。まだ財布の方が良かったですよ。思い出が無くなってしまいました。気を付けて下さいね。”と言ってくれた。

7月30日 水曜日

1986-07-30 22:51:47 | 海外生活
朝早くにタクシーでアントニ、ガウディの公園に行った。日本からの団体観光客に何回か出会った。公園は広くて特徴がある。沢山の建物があった。テレビのCMで見た時は沢山ある建物の一部分だったので不気味な印象だったが全体を見るとそうでもなかった。ガウディがデザインしたマンションも見に行ったが屋上やバルコニーに特徴があった。町を歩いていると革製品が安い。スペイン村ではお土産屋さんや昔ながらの家が建ち並んでいた。ガラス工場と店が一緒になっている所では子供達がガラスがふくらんでいく過程に興味を持っていた。スペイン村にタクシーで行く途中にコロンブスの塔を通りすぎるとき運転手さんが止まってくれて”あれが有名なコロンブスの塔だ。写真をとったらいい”といったので早速お言葉に甘えて写真を撮った。スペインのガイドブックに乗り物は時間どおりに来ないから早めに準備をする方が良いと書いていた。明日は朝8時発の飛行機でマドリッドに行くので早めの6時にモーニングコールを頼んだ。






7月29日 火曜日 快晴

1986-07-29 22:46:12 | 海外生活
バルセロナで一番大きなデパートにホテルから歩いて行っていると観光バスが何台も止めてあるパーキングの横に古い大きい教会があった。朝早くから観光客でいっぱいだった。教会の裏の路地にはイエス様やマリア様の像等を売っている店が沢山あった。道の片隅で一人の男性がギターを弾きながらハーモニカを吹いていた。沢山の人が立ち止まって歌に聞き入っていた。歌が終わるとギターケースの中にお金を入れるという光景はオスロでもコペンハーゲンでも同じだ。教会の前には闘牛士の使っていた剣や盾等の骨董品を売っている店が2件あった。盾と剣のセットの欲しいと思うのがあったがマドリッドでもあるだろうと思い買わずに帰った。デパートで涼のサッカーの靴や靴下を買ったがオスロの半額位の値段だった。少し歩いても暑くて疲れるので食事を済ませてホテルに戻り昼寝をした。夕方、バルセロナの凱旋門や公園に歩いて行く途中にピカソの博物館があった。沢山の人が並んでいた。30分程並んだが子供達は途中にあったおもちゃ屋さんでおもちゃを買っていたのでおとなしく待つ事が出来た。公園で遊んでホテルに戻った。また露天が沢山並んでいる場所まで歩いて行った。沢山の人がいあた。アクセサリーや日用雑貨など色々な物が安くて売っていた。この場所も活気があるがどこかしっとりとした雰囲気がする。バルセロナは私の好きな町だ。ホテルから歩いていける所に観光地が沢山あった。









7月28日 月曜日

1986-07-28 22:40:31 | 海外生活
朝6時に起きてあわててパッキングを済ませてタクシーでオルリー空港へ向った。タクシー代金は100フランだった。スペインのバルセロナには午前10時15分に着いた。空港からホテルまでのタクシー代金は2500ペセタ(日本の物価とほぼ同じ2500円)だった。ホテルは町の中心部にあった。チェックインは午後12時からだったのでホテルに荷物を預けて散歩に出掛けた。歩いて2、3分の所に市庁舎があった。ホテルから市庁舎までの道路の両側にはお土産の店が並んでいた。スペインは聞いていた通りにとにかく暑い。麦藁帽子を持って来たのが役に立つ。物価がオスロよりもずいぶん安い。ファミリーレストランで唐揚げセット、ステーキセット、シーフードセットを頼んだ。値段も安いし美味しい。まずオスロではこのスタイルのレストランがない。午後からアントニ、ガウディのデザインの建物3か所に行った。途中で可愛い女の子がバス停のベンチに座っていた。”写真を撮ってもいいですか?”と母親に聞くと快く”どうぞ”と言ってくれた。す でに秋の気配を感じる物静かなオスロと正反対で真夏で活気に溢れている。笑い声もよく聞こえてくる。そんな中でもバルセロナは町全体がしっとりとしているそんな雰囲気が私は好きだ。












7月27日 日曜日

1986-07-27 22:35:14 | 海外生活
朝9時前にルーブル美術館に行くと人が少なかったので三越デパートに先に行こうとするとぞくぞくと団体の観光客がやって来た。やはりそのまま30分並んで待つ事にした。2度目なので楽に見て周ることが出来た。帰る時には出口が人でふさがれる程だった。春に来た時はエッフェル塔を見て”あ、東京タワーや”と言っていた子供達が今回は”エッフェル塔は懐かしいなあ”と覚えていた。自然博物館に立ち寄った後、ブローニュの森を汽車に乗って見物した。今日は子供達がなかなか寝ないので主人が一人で最後のパリの夜の町へ遊びに行った。

7月26日 土曜日 晴れ

1986-07-26 22:26:25 | 海外生活
天気が良くて暑いくらいだ。朝早くTGVに乗るためにパリ市のリヨン駅に行ったツアーだと一人1150フラン。駅員さんにチケットの値段を聞くと3歳以上は代金が必要で3歳以下は半額と言う。私達家族で1100フランだと言う。そして写真と証明書があるとファミリーチケットが使えて割安だと教えてくれた。駅の中に3分間の証明写真の機械があったので利用した。全員で850フランで済んだ。TGVの乗り場は普通の列車と同じ場所だった。リヨンまで片道2時間掛かった。印象に残ったのは延々と続くひまわり畑だった。子供達は乗り込むまでは興奮していたが仁は持ってきた電車の絵本を開いて”TGV一緒”と繰り返していた。そのうち疲れたようで寝てしまった。リヨンの駅の着いてすぐに帰りのチケットを予約して駅付近を散歩した。リヨンはとても暑かった。









7月25日 金曜日 晴れのち曇りのち雨</

1986-07-25 22:24:35 | 海外生活
朝6時30分の予約していタクシーが迎えに来た。空港では国際線のチェックインカウンターの場所が変わっていた。すでに沢山の人が並んでいるが全く前に進まない。いつもと違って一人一人に時間が掛かっている様だ。順番が来た時には出発前の20分しかないのでその係員の女性に話すととにかくもたもたしている。荷物を渡すと機内荷物は運んだ後だから自分達で飛行機まで運ぶようにと言うが走っても10分以上掛かるほどの距離がある。とにかく子供達に急ぎなさいと繰り返しながら走った。いつも充分に余裕を持たせて行動しているがこんなに未熟な地上乗務員だといくら日本人がしっかり時間を守ってもまたアジア人が時間に遅れあがってと勝手にこちらの人間に思われるのはしゃくである。主人はファーストクラスを予約していたのを忘れてビジネスクラスの列に並んだようだイライラしていたが席に着いておしぼりとジュースをいただいてほっとした。斜め前を見るとスージーの父親が座っていた。”どこの行くの?”と聞くので”スペインとパリ”と言うと”貴女の友達の美欄もパリに旅行に行く”教えてくれた。午後12時15分にパリの空港に着いた。子供達が汽車の絵本で見ていた世界一早いと言うTGVに乗りたいと言うので3日間はパリの観光を楽しむ計画を主人が立てた。春に泊まったホテルが場所もサービスも良かったのでHOTEL SAINTE ANNEを予約した。1時半にホテルに着く。フロントの人達が私達家族の事を覚えていてくれた。シャンゼリーゼ通りを散歩したりデパートで買い物を楽しんだ。










7月24日 木曜日 18℃

1986-07-24 22:21:40 | 海外生活
マリアンヌやリネにに会う度に”エキサイティング トッデイ”そして”パッキングは終わった?”と聞かれる。明日からスペイン旅行だからだ。いつも片付けても片付けてもすぐに子供達が散らかしてしまう。今日もやっと片付けたと思ったら買い物に行ってる間に子供達の友達が土足で上がっているはシャワールームから水はくんでいるはでまた片付けに追われる。

7月23日 水曜日 18℃

1986-07-23 22:20:19 | 海外生活
すっかりと秋になったようだ。日本からのお客様があると主人から電話があったので片付けをしているとデンエルがカードとクッキーとジュースを持って仁のお見舞いに来てくれた。カードにはデンエルが絵を描いてママが”早く良くなりますように”と書いてくれていた。夕方主人がノルウェー語学校の帰りにクラスメイトの23歳のスペイン女性を連れて来た。スペインの大学の獣医学科を卒業して今は北欧の獣医学を学ぼうとオスロに来たそうだ。ここで学ぶ為に昼間はベビーシッターやホームヘルパーのアルバイトをしていると言う。ここでは兄夫婦の家に住んでいるそうだ。突然彼女が”貴女知ってる?オスロでは男の人が会社の帰りにスーパーで買い物をして袋を両手に抱えて帰って来るのよ。そしてお料理を作り子供の面倒も見るのよ。”と一気に話した。”お兄さんもそうなの?”と聞くと”そうだ”と言う。主人は私達があさってからスペイン旅行に行くので話を聞こうと思ったらしいがとんでもない話になった。主人は私と彼女の間にすわっていたが”今の話解ったかなあ?”と言うが残念ながらなぜか全部解りました。スペインではシェスタタイム(お昼ね)の時間があるので買い物の時間に気を付けるように教えてくれた。オスロはすでに秋だがスペインはとにかく暑いと言う。

7月21日 月曜日

1986-07-21 22:16:15 | 海外生活
午前中に自転車で買い物を済ませて帰ると美欄がベランダで出来たきゅうりを持って来てくれた。夏休みの旅行の話を聞きに来たが我が家は主人が全部決めるので会社に電話をして直接話してもらった。そして彼女と一緒にお昼ご飯を食べた。以前に少年野球をしていたが今度はサッカーが始まるので涼もまた参加する事にした。主人が涼を連れてアメリカンスクールまで行った。すると仁が”仁君も行きたい”と大泣きをするのでバス停まで行くがすでにバスの時間が無かった。仁も納得してくれた。

7月19日 土曜日 曇り

1986-07-19 22:12:01 | 海外生活
主人が珍しく朝早く起きて”ショッピングに行こう。”と言っている。日本食品店のたもんに行きお米やカレールーなどの買出しをした。家に帰り着くと涼が”涼君だけ何も買っていないよ”と言うので”カレーは誰の?”と聞くと”涼君と仁君の”と答える。仁は黙って横で聞いていたが突然”蟹捕りに行こう”と言い出した。主人と子供達で蟹捕りにBigDoyの海岸に出掛けた。バケツの中に蟹をいっぱい入れて帰って来た。

7月18日 金曜日 曇りのち一時雨のち晴れ

1986-07-18 22:07:22 | 海外生活
朝10時45分のバスで美欄達とDNVに出掛けた。ミホヤは噴水を見て興奮し、リスを見ても興奮また会社の広さにも興奮してそこら中を走り回った。会社に入ると主人が待っていてくれた。ミホヤは食事どころではなくあちらこちらを眺め回し走りたがって仕方が無かった。食後に広い芝生で遊ばせて帰った。午後7時30分頃主人から電話があり”帰りが遅くなる’と知らせてくれた。午後11時20分に帰って来た。


7月17日 木曜日 雨のち曇り

1986-07-17 22:05:46 | 海外生活
どんよりした空で今にも雨が降り出しそうだ。朝11時頃市子さんから”12時のボートで行くからね。”と電話がある。市子さんと会うのは久し振りだ。彼女はたまにノルウェー人と結婚している日本人達と集まってお話をするそうだ。毎日の生活では近所のノルウェー人の友達とティータイムを過ごして楽しそうだ。ある友達の話を聞かせてくれた。ノルウェーの子供達の中でもいじめの問題があるそうだ。ある若者が喧嘩をして相手の若者を刃物で傷つけたそうだ。市子さんのティータイムをする仲間の中に傷つけた青年の母親がいたそうだ。その時のみんなの会話は”若い頃に刑務所に入ったら息子も反省出来て丁度良かった”と言う話になりその後もその母親を交えて変わりのないティータイムは続いていると言う。市子さんといるとノルウェーの話を日本語で聞けるので時間はすぐに経ってしまう。夜11時のボートで帰った。