オスロ日記(1985-1986)と その後(2012-)

30年前、主人と子供たちとでノールウェーのオスロで過ごしていた頃とその後の日記

1985-6月28日

1985-06-28 17:00:31 | 海外生活
6月28日 金曜日
 
主人はいつも通りに出勤する。菊入さんは今日は休みだそうだ。涼も夏休みに入りゆっくり今日は主人も菊入さんもいつも通りに出勤した。明日、菊入さんが帰国されるので加納さん御一家を招いて送別会を5時から開くので午前中子供達を留守番させて買い物に出掛けた。メニューはオードブルやオーストラリア風シチュー、さばのブロバンス風、マカロニサラダ、ピーマンともやし炒め、デザートはパイナップルの蒸しケーキとパンチボールに決まった。買い物から帰ってくると涼が’”仁君、ウンチちびったからパンツ替えてあげたよ”と言う。助かるお兄ちゃん!以外と早くに料理の準備を終えた。主人は20分遅れて帰って来る。加納さんの奥さんは音大の大学院出身で歌声を披露してくれ歌の指導もしてくれた。菊入さんは明日の準備があるだろうという事で早めのお開きにした。主人は夜8時過ぎに会社に行くが着くなり私に電話をかけてきた。”コンピューターが動かんすぐにマッツリンドスタッドに伝えてくれ”(彼はスウェーデンから転勤して来たばかりなのでまだ電話がないのだ)と言うので走って3分程のアパートまで行き伝える。部屋に帰り着くとまた電話が鳴っている。主人からだ”動きだしたと伝えてくれ”と言うのでまた走った。すでに駐車場で車に乗るところだった。伝えると”有難う他の用事もあるので会社に行く”と言う。疲れた~!?ところで菊入さんは金子牧師に会うと出かけている。夜11時30分頃帰って来た。主人は午前4時の帰宅だった。

1985-6月27日

1985-06-27 14:02:54 | 海外生活
6月27日 木曜日

主人はいつも通りに出勤する。菊入さんは今日は休みだそうだ。涼も夏休みに入りゆっくりしている。菊入さんが私と子供達にお昼をご馳走して下さると言うのでオスロ中心部に出かける。グランドホテルの1階のレストランでノルウェー独特のオープンサンド(サンドイッチ用のパンの上にサーモンや、海老、ローストビーフ、キャビアなどをレタスやマヨネーズなどと一緒にのせて食べる)をいただく。涼と仁にはノルウェーの童謡のLPレコードを2枚買ってくださる。それから、町はずれにあるフリーマーケットを教えてくれた。テントがずらりと張ってある広場では魚や野菜が安くて売られていた。アクセサリーや小物の店に行きノルウェーの民族衣裳につけるブローチなども教えてくれる。この5日間で彼から主人の仕事の内容や今なぜ忙しいのかを教えてくれたので知ることが出来た。家に戻ると菊入さんに午後7時からパーティーがあると電話があった。軽くスパゲティーを食べて6時30分に出かけて夜11時過ぎに帰ってきた。主人の帰りは遅い。
  

1985-6月26日

1985-06-26 14:01:30 | 海外生活
6月26日 水曜日

朝、6時に起きる。涼のお弁当が要らないので楽だ。なぜか今日は菊入さんのパンツまで洗濯することになった。夜、子供達を早く寝かせて主人と3人でドライブに行く。湖と菊入さんが2度目の駐在で住んでいたアパートに行った。彼は感無量のご様子で涙ぐんでいた

1985-6月25日

1985-06-25 14:00:29 | 海外生活
6月 25日 火曜日 晴れ

今日も朝6時から朝食の準備をする。家を片付けた後、明日は涼の幼稚園の終園日なのでスティーン&ストロム(デパート)で先生への小さなプレゼントとメッセージカードを買う。涼が幼稚園から帰って来て先生へありがとうの言葉を書かせる。いつも帰りが遅い主人が今日は早かった。さて、菊入さんは友達と町で会って来たそうで主人よりも早く食料をいっぱいかかえて一人で帰って来た。夕食にロールキャベツを作ったが菊入さんは‘大好物だ‘と言ってよく食べていた。夕食後、子供達が寝て主人と3人で夜9時30分からドライブに行く。湖や、菊入さんが一度目のノールウェイ駐在のときに3年間住んでいたマイヨルスターにあるアパートに行って帰って来た。主人は夜11時にコンピューターを見に会社に行き午前1時に帰って来た。私はチーズケーキを焼きながら待っていた。菊入さんは何も知らずに‘グーグー‘と寝ていた.。

1985-6月24日

1985-06-24 13:59:03 | 海外生活
6月 24日 月曜日 晴れ

朝6時に起きてベーコンと目玉焼きパン コーヒを用意いして涼のお弁当を作る。主人と菊入さんが7時15分に家を出て会社に行く。その後、涼と仁を起こす。8時15分にはマイケルと彼のお父さんのトニーが階下の駐車場にやって来る。涼と仁に朝ご飯を食べさせてトニーブローガンさんの自動車でバス停まで涼を送っていく。そして家のかたずけ、お買い物、一人他人が加わるとやはりずいぶんと気を使う。涼が幼稚園からかえって仁と二人で遊んでいると4時ごろ主人と菊入さんが帰ってきた。みんなで夕飯のおかずを一番近くのALIと言うスーパーマーケットまで買いに行く。はんぺん レバーペースト キャビア 魚の酢漬け そしてメロンを買う。そして今日もホテルが田舎にあると言うことで泊まっていく。

1985-6月23日

1985-06-23 13:57:41 | 海外生活
6月 23日 日曜日

今日は日本から安岡さん夫妻と入れ替わりに菊入さんが見える。彼の義兄は現在日本の碩 学と言われている立花隆だ。テレビで見ると奥さんとそっくりだ。サラダレーケル ナスの蒸しものなどを用意しておく。11時に主人が子供達を連れて飛行場にお迎えに行った12時ごろ菊入さんが我が家に来た。神戸のときと変わらない菊入りさんだ。食後くつろいで睡眠をとる。泊まる予定のホテルがひどく不便なところにあると言うので社交辞令で家に泊まったらどうかと言うと驚いたことに本当に泊まっていくと言う。午後から私達に夕食をおごりたいと言うのでホルメンコーレン フログネルパーク にドライブしておいしいアップルパイをご馳走になった。結局、いいレストランがみつからなかったので急遽、私が夕食を準備することになった。

1985-6月22日

1985-06-22 13:55:56 | 海外生活
6月 22日 土曜日 曇りのち雨

午前中、サンビカに買出しに行く。その途中主人が突然、安岡さんのところに行くと言い出した。聞きたいことと伝えたいことがあると言うのだ。いつも突然の人だから驚きはしないが安岡さんは今日の午後、帰えられるのだから忙しいだろうと思うのが主婦なら常識だ。男はそこらへんが分からん。もしも安岡さんの荷物がこの車に収まるならそのままオスロ中央駅までおくってやろうとしたのだが結局人間が載ると荷物が収まらないのが分かったので30分ほどでお別れの言葉を言って引きあげた。明日は入れ替わりに菊入さんがやってくる。来週も多忙だ。

1985-6月19日

1985-06-19 11:18:03 | 海外生活
6月 19日 水曜日

今日主人が夕方4時30分に返ってきたと思ったら夜の8時にもう一度会社に行って翌日の朝の4時に帰ってきた。又出勤するのかなー?主人の話によるとコンピューターのパワーがプアーなのに過大な仕事をさせようとしているので何とか人間の知恵で折合いをつけてそのジョブをやってもらっているので大変なのだとのこと。

1985-6月18日

1985-06-18 11:16:43 | 海外生活
6月 18日 火曜日 晴れ

晴れるとノールウェーと言えども本当に暑い。空気が乾燥しているので太陽を寄り近く感じて日差しが強い。じりじりと肌が焼きつきそうだ。お天気のいい日は上の階のジェネファーがいつものように”じん、じん”と誘いにきて二人で外で遊んでいる。タイヤのブランコもかけっこも年下のジェネファーに負けている。外人の子供達はとても体力があった。涼 仁ともにひとつ年下の子供達と遊んでちょうどよかった。実際涼はマイケルの弟のアレンととっても気が合っていた。ところで涼は無事に俊介君の家に着いたようだ。主人は日本では土曜日曜はしっかり休んでいたのだがオスロに来てからは土日もなく働いて週日もよく遅くまで仕事をしているが今日だけは早く帰ってきてもらって俊介君の家に涼をお迎えに行ってもらいたかった。約束どおり早めに帰ってきたので一緒に涼のお迎えに行く。すぐに分かると思っていたのだが目印の白いピザハウスを見落として通り過ぎてしまって、日本人がたくさん住んでいるマンションまで行ってしまいそこでで詳しく豊島さんの家を聞いて無事に約束の6時までに着けた。豊島さんのご主人は三菱商事の駐在員だった。子供の友達付き合いを通じて今まで避けていた日本の会社のオスロ駐在員のコミュニテイに急速に引き込まれていくようだ。豊島さんは涼のブリテイッシュスクール入学以来終始、私達に好意的だった。何故なら俊介君が豊島さんの言葉を借りれば“涼に惚れ込んでいる”からだった。

1985-6月17日

1985-06-17 11:13:46 | 海外生活
6月17日 月曜日 晴れ

久々晴天!私は土曜日にとっておいたスカートを取りに行きたいがいつも主人が会社にあるDEN NORSKE CREDIT BANKからキャッシュを引き出して私に渡してくれているのだがまだ今月分の生活費を下ろしていないので主人に連絡をとろうとしていたら主人から電話がかかってきて”今から阪大の内藤先生と大阪府立大学の細田先生が立ち寄る”と言った。そのとき私に生活費を渡して一服して先生達をオスロセントラルステーションに送っていくとのこと。私もちょうど涼を迎えに行く時間なのでお客さんのためにジュースを用意して出かけようとしたときに主人とお客さんたちが帰ってきた。主人からお金を受け取って主人達を残して涼を迎えにバス停に行く。涼のスクールバスが到着したとき主人がお客さんを乗せて通り過ぎていった。主人の車に載って通り過ぎる内藤先生と細田先生に挨拶をする。スカートを受け取って家に帰ると幼稚園のクラスメイトの豊島俊介君のお母さんから電話があって涼にぜひ遊びにきて欲しいというのでとりあえず明日の下校のときに俊介君のスクールバスに乗せてくれるように先生にレターを書いて持たせることにする。とにかく忙しい日だった。

1985-6月16日

1985-06-16 11:11:47 | 海外生活
6月16日 日曜日 晴れのち曇り

今日も主人は出勤。でも土日で間違って消したデーターを復旧できそうだと言うので私も 安心した。せっかく本社に来たのだから頑張らなくては男がすたる。私もだいぶ寛大になった。夜、この前一度我が家に見えた阪大の内藤先生から主人に電話があって“明日ベリタス(主人の会社)を見学したい”と言ってきた。