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地味に派手でしょ。

トイレマップ、完成

2006年07月22日 15時34分23秒 | 社工
電車に乗っていると、よくお腹が痛くなるんです。
そのため中学生の頃から駅のトイレにはよくお世話になりました。

で、人一倍トイレと親密な関係にあった僕が、星の数程トイレに入って気がついた思考ルーチンがあるんです。

電車でお腹が痛くなる(もしくは兆候がある)と、まず後どれくらい持ちそうか判断します。
で、現時点から行き先駅までの間にある駅、もしくはその付近の建物内のトイレをリストアップします。
これは何度も色々な駅で途中下車してトイレを使用しているからこそ出来る作業。
後は、その中からキレイさと、その駅までの距離を天秤にかけて最終的にどの駅で下車するかを決めます。
急にお腹が痛くなって長く持たない時は多少不満でも近いトイレ、
まだ余裕がありそうな時はちょっと遠いけどキレイなトイレ。
時間が無いときは乗換駅でホームから近いトイレ。
まぁこれが一連の流れです。

で考えたんです。
お腹が痛くなって、後どれくらい持ちそうかっていうのは自分で判断できます。
というかその人しか分かりません。

しかし、問題はその次、どのトイレで降りたらいいのか?
もし見知らぬ土地でお腹が痛くなった場合、
間違った駅で降りると致命的な事態に陥りかねない。
そこで、今回授業の自由課題が出たのを期に、
この知識がないと分からない部分を埋めるため、トイレマップを作りました。

僕は最近下車したときは、
駅ではなくて他の建物(駅ビルとか)のトイレを使用する事が多いのですが
まぁ今回そこまで調べる余裕は無かったので悪しからず。
駅のトイレのみに絞って調査してあります。

調査範囲は、山手線沿線。
内訳は山手線全駅、そして山手線内にある中央・総武線全駅、
山手線内の東京メトロは数が多すぎるので主要な路線の乗換駅のみに絞りました。
計58駅、一駅づつ途中下車し、

1.清潔さ、2.(個室の)広さ、3.ニオイ、
4.和式の個室、5.洋式の個室、
6.ホームからの距離、7.駅間

について調べました。
なお今回は共同研究者に恵まれたため、
女子トイレについても調べる事が出来ました。この場を借りてお礼を。
トイレを評価するだけなら良くあると思います。
そこにホームからの距離と、駅の間隔を組み入れて、
リスクの度合いまで表現した地図を作りたいと思ったんです。
そうしてできたのがこのトイレマップです。

トイレマップ男性版(表・裏)


トイレマップ女性版(表・裏)


表面は地図、裏面はデータになっています。
地図には裏面に記載されたデータのうち、清潔さ、広さ、ニオイは単純に平均して、
そこから和式・洋式の個数から考えた「個数のリスク(少ないと空いていないかもしれない)」と
ホームからの距離から考えた「距離のリスク(ホームから極端に遠いと、隣の駅に行けてしまう)」を
僕が適当に減点して数値化し、それを色で表しました。
色は良い方から「強く推奨」、「推奨」、「避けるべき」、「絶対に避けるべき」となっています。
後灰色の「改札外」というのは、トイレが改札の外にあるため、
定期の人は出れますがどちらにしても遠いだろうし、
定期をもっていない人は致命的な選択ミスになるため追加しました。
青い字で書いてあるのは、トイレがホーム上にあったり、ホームの先端から上り下りしたり、ホーム先端の階段の裏にあったりと
特殊な位置にあるトイレです。それ以外は大体真ん中辺の階段から上り下りします。
駅間は、駅と駅を繋ぐ線を分割し、その1マスを1分として表現しました。そのため間延びしてしまって美しさに欠けますが。

使い方は、自分の現在位置とどれくらい持ちそうか確認したら、地図を見てその範囲内でどの駅が望ましいかを確認するだけです。
大体当たりをつけたら裏面を見て、自分の好み(清潔な方がいいのか、近い方がいいのか、沢山ある方がいいのかなど)に合わせて最終的に下車する駅を決めます。

なおJRと地下鉄の乗換駅には、色が2種類あるところがありますが、
四角の方がJRで、丸い方が地下鉄になっています。
乗換駅なのに色が一種類しかないところは、時間の都合上調べられませんでした。ご勘弁を。

ただし
・万歩計が安物でちゃんと歩数が計測出来ていなかった可能性がある
・ホームからの距離はホームの最寄り階段からの距離を測ったが、そもそもホームのどの位置にあるのかまでは正確に記述出来なかった
・ごちゃごちゃして視覚的にわかりにくくなった
・全部の駅の全部のトイレを調べる事が出来なかった
・評価がかなり適当
というのが今回の反省点です。

まぁとりあえず完成したので満足です。
ツッコミどころ満載ですが厚手の高級紙に印刷すると結構それっぽく見えました。
使う人がいるのかどうかは果たして謎ですが。。。
地図じゃなくて携帯のアプリケーションで検索出来るようにできたらもっと使いやすくなるかもしれません。
まぁそれは卒論にでも(苦笑
とにかくほんと疲れました。もう当分駅のトイレには入りたくないです。



-神楽坂町歩記- 昼・後編

2005年12月19日 21時14分50秒 | 社工
今月の「東京生活」など数紙に神楽坂特集が組まれているのを本屋で目にしました。
これって流行をぎりぎり先取りしたのかな・・・?



前回の続きです。写真が皆無なので読みにくいですが悪しからず。


一般的にマンションの問題として取り上げられる場合、
往々にして前回述べた様なネガティヴな意見が多いですよね。
「まちづくり」っていう季刊誌に神楽坂の特集が載っていたのですが
やっぱり大抵は批判的な意見だったと思います。


しかし今回の街歩きで、
軟式少年は必ずしもマンションができる事が間違っているとは思わなくなりました。
この様な事例を目の当たりにして、何故? 
と思う方もいるかもしれませんが
夢中で路地を歩いてる時、実は余りマンションが気にならなかった。
単に注意力の問題といわれてしまいそうですね。
マンションや遠くの高層ビルが目に映った時、それを「自然な風景」と感じてしまった。
こう言った方が正しいでしょうか。


江戸時代からの区画が、関東大震災の難を逃れて今も残っている神楽坂。
大正時代から続く料亭。
生活感のある路地。
活気づく商店街。
これが本来の「自然な風景」であるはずです。


でも、ちょっと遠くを見てみましょう。
そこは東京。新宿区。
渋谷や池袋となんら変わらない高層ビル群。
新しいモノは古く、古いモノは新しく、進む開発。


そんな光景、目が慣れすぎたのか。
ここは東京なんだから、それが自然だ と思っている自分がいる。
神楽坂の方が、むしろ自分の中で「異質な風景」な訳です。
だから、この土地ちょっと変わってるじゃん!面白い!
って感じる。
青梅に行った時も似たような感じに襲われたのですが、
青梅はその土地全体が明らかに違うって雰囲気を醸し出していたのでちょっと違います。


いずれにせよ、
そういう都市の中で取り残されてるって感じが好きなんです。
それは非日常の世界だから。


しかし実際そこに住んでいる人にしてみれば、それは日常。
住環境を住んでいる人抜きで語るのは横暴です。
怖いのは無関心なデベロッパーがそれをしてしまう可能性があるということ。
土地の生み出しうる利潤に目が眩んでしまうのです。
企業に利益を優先するな、というのは無理な相談かもしれませんが。


集合住宅が並ぶ事については否定しません。
跡継ぎ難に苦しむ商店街にあって、
新しい世代が入って来ることは必ずプラスに働くはず。
活気を増すし、経済効果も期待出来る。



そこで集合住宅を、ポジティヴに考えたいのです。
神楽坂らしい魅力ある集合住宅。

具体的には神楽坂の特色である

・強いコミュニティ(まちづくりに対する住民の活動は、神楽坂がはしりと言われています)
・路地
・高低差

この3つを生かしたい。
特にコミュニティは重要。
高層マンションはセキュリティの問題もあってどうしても閉鎖的になってしまいがち。
そういえば宮部みゆきの「理由」でもその辺が浮き彫りになっていました。


外から閉ざす事で安全を得るのではなく、
住民全員がお互い顔見知りになるくらいの関係を築ければ、
それは防犯にも防災にも繋がるはずです。

このような特徴を併せ持つ集合住宅の新しいかたちを提示出来れば、
それが新しい指標になるのではないか。


今回は、そんな思いを抱いて課題に望もうと思います。
随分大げさな話になってしまいましたが、
本当のところまだ未定です(ぇ


冬休みは忙しくなりそうでなによりです。



-神楽坂町歩記- 昼・写真編

2005年12月17日 03時58分37秒 | 社工











神楽坂の路地が持つ魅力、感じて頂けたでしょうか。
路地の形や付近の建物を細かく確認することが出来ます。
細い路地なのに人通りは結構あるんですよ。

しかし、この路地の真価が発揮されるのは何と言っても夜。

想像してみて下さい。
夕暮れ時になると、個々の商店の明かりがぽつぽつと路地を照らし始めるのです。
金曜日の夜とか、かき入れ時はホント筆舌尽くしがたい光景。

夜の写真も撮りたいのですが、
夜景を撮るのが難しいのです。すぐぶれる・・・
やはり訪れてみるのが手っ取り早いかな。肌で感じて下さい。雰囲気を。


とりあえず今日は写真だけで。
文章は次回載せます。

 


-神楽坂町歩記- 昼・前編

2005年12月16日 02時42分03秒 | 社工

冬休みに入ったのに頻繁に学校に行くことになりそうです。
年末も忙しくなりそうで何より。


さてさて以前お話しした東京は神楽坂。
今回デジカメを手に再び行ってきたので、
その様子を2回に分けてお伝えします。




▲東京メトロ飯田橋駅からみた神楽坂通り。ご覧の通り坂です。



大学から東京メトロ南北線に揺られ30分。
飯田橋駅は、南北線と東西線が交差する唯一の駅です。
駅の所在地である「東京都千代田区飯田橋4丁目10番2号」は東京のほぼ中心。
そのため大変沢山の人が利用します。


改札を出るとまず皇居外堀が目につきます。
それと交差する様に通っているのが早稲田通り。
この早稲田通りの、飯田橋駅前の交差点から約400mを神楽坂通りと呼びます。
そしてこの神楽坂通りの周辺が、今回の対象地なのです。




▲左には東京理科大学。どれも背の高い建物です。




▲理科大校内のメインストリート。奥を真っ直ぐ歩けばすぐ神楽坂通り。



駅から辺りを見渡せば、すぐに東京理科大学を見つける事ができます。
特徴的なのは、メインストリートが神楽坂通りと繋がっていること。
校内から少しあるけば、もう繁華街なんです。
当然お昼時の学生の往来は活発でした。


都心の一等地に建っているせいか、校内は大変手狭。
そこで理科大は「創立125周年事業」ということで、
「神楽坂地区再構築計画」を打ち出しています。その計画の1つに、
老朽化しつつある教室棟をまとめて超高層棟に立て替える案があります。
現在NPO法人や近隣住民に対する話合いの場が設けられているそうですが、
実際のところ話し合いというよりは、
大学側の提案を聞く「説明会」のようになっているのだとか。
大学HPには「神楽坂地区の建物延床面積は現在の約1.4倍に」とありますが、
高層化による延床面積増加だけでなく、周囲の路地にも開発の手が及ぶのではないか、
というのがNPOや近隣住民の不安になっているようです。




▲神楽坂通り。個性的な商店が続きます。



神楽坂通りに出て、坂を登っていくとまず車道が狭い事に気がつきます。
そして歩道は片側だけでも道路と同じくらいあります。歩きやすい。
活発な人通りのため、何年か前に歩道が拡幅されたらしいです。


坂を登り終えると、商店と商店の間に神楽坂のシンボル善国寺が。



▲善国寺。祭られている毘沙門天は、七福神の一人です。



もともと「神楽坂」という名前は、江戸時代前期、
築土神社が移転してきたときにこの坂で神楽を奏上したことに由来しているんだそうです。


善国寺を通り過ぎると、右手には駐車場。少し開けた土地があります。
そしてその後ろには異様な光景が。






▲コインパーキングの後ろにそびえ立つ高層マンション。でか・・・

 

このマンションも建設当時に一悶着あったそうで、
もともと31階建て(95m)の予定だったこのマンションは
NPOや近隣住民の猛反対によって、
26階(83.5m)に下げて建設されたそうです。それでもデカイ。
総戸数は276戸。それまで人口2500人程度だった神楽坂に、
突如1000人分の無機質な入れ物が降って来た、というわけ。


この話はかなり根が深いです。
実は神楽坂では1丁目から9丁目にかけて、
街なみの連続性や高さ、店先空間、建物の外観、外構の意匠等の統一を図る
「まちづくり協定」が締結されています。
では何故、明らかに連続性の無いこのマンションが建てられたのか?
実はこのマンション、「まちづくり協定」の定める範囲のギリギリ外なんです。
30メートルほど。

また元々この土地にあった特別区道(路地)は、
同じ面積で他の場所に付け替えればOKなんだとか。
個別の事例が法的に問題無い以上、縦割り行政のお役所は口を挟みにくい。
住民側の努力もむなしく裁判は却下。
こうして、都内最大級のマンションが神楽坂に誕生したのです。


最も恐れるべき事は、このマンションによって景観が乱された事ではなく、
判例を作ってしまったという事です。
この先も、区道整理と協定の網をくぐり、
利益優先のデベロッパーは開発を進めるでしょう。
大学もここぞとばかりに土地を増やしにかかるかもしれません。


路地が無くなる。
路地が無くなったら、
もうそこは神楽坂ではありません。



ここまで高層建築物問題について批判的な視点で見てきましたが。
次回は、少し違った視点からこの問題を考察してみたいと思います。


ところで、この前半は、路地の写真を一枚も載せていません。
途中で方針変更しました(ぇ
上記の話を理解した上で路地を見れば、
ただの路地でも違って見えてくるかな、とちょっと思ったからです。
とか言ってほんとは話の収集がつかなくなったからです


肝心の路地のイメージが全然湧かないよ! って人ごめんなさい。
次回にまとめて乗せます。


とにかく後半に続く。


-青梅町歩記- 最終回

2005年11月14日 23時35分17秒 | 社工

三日間に渡って見てきた青梅の町も、
今日で最後です。


青梅街道沿いの商店街の店舗は、
ごくごく普通のものが多いです。
電気屋とか、八百屋とか。
うちの近所にもある感じ。
人の入りが特別多い訳でもありません。

 


▲青梅街道沿いの店。手前は雑貨店、奥は呉服店

 

そんな中に昔からある瓦屋根の商店や、
最近出来たばかりの雑貨店が。
上の写真は、新旧の店舗が隣り合って建つ象徴的なシーン。
雑貨店も新しくできたとはいえ、
元々は古い店舗を塗り直して改修して使っているの様なので
余り違和感を感じません。
昭和レトロ商品博物館や昔っぽい雰囲気の喫茶店もあって、
街並みに考慮しつつ、土地の魅力を引き出そうという努力を感じます。
そういう意味で高層マンションの建設はやはり問題になりそうです。

 


▲映画看板。泥絵の具の重ね塗りで描くそうです

 

昨日のとんかつ屋さんで気付いた方もいると思いますが、
町中いたるところに古い映画看板があります。
これらは全て「最後の映画看板師」として有名な久保板観さんの作品です。
昭和の映画最盛期の頃は、青梅にあった3劇場の看板全てを担当し、
年間400枚近く描いたのだとか。
残念ながら73年には最後の1館が無くなってしまいますが、
93年の街おこしイベントでボランティアで書いて以来今も書き続けているそうです。
(参考:11月9日朝日新聞朝刊)

 


▲夕暮れキネマ通り。哀愁が漂います

 

青梅街道から一本入ったところにキネマ通りがあります。
今は写真屋さんが並んでいるだけですが、
昭和の頃はここも賑わっていたのでしょう。
街おこしで映画看板に目をつけたのは成功でした。
色とりどりの看板は大変インパクトがあるのですぐ目につきます。
まちづくりではいかにしてその街のイメージを定着させるかが課題になりますが、
映画看板はそんな青梅の街に活気を取り戻すきっかけになった様です。


さて、更に一本道を外れてみましょう。
人通りはかなり少なくなります。

 


▲看板には「豆腐店 この先→」 こんなところに?

 


▲おそるおそる進んでいくと

 


そこら中に何故か猫の絵が。あたりを見渡すと・・・

 

 


▲「おとうふ」の文字が! ホントにありました!

 

映画看板ばかり見ていては、気付かないでしょう。
昔からこの場所で豆腐を作り続けているそうです。
はたしてこんな所にある豆腐屋に人は来るのか?
そう思って、外の通りで張り込んでいたのですが、
以外や以外。
10分間に3人も来ました。
地元の人が夕ご飯に豆腐でも買おうか、といった感じで、
着の身着のまま。

 


さて、最後に、
外の通りで待っている間に目にした光景を。


車がぎりぎりすれ違う事の出来る通りだったんですが、
その道のど真ん中に車が停車しました。
道路脇の賃貸マンションに入居するのでしょう、
おじさんとおばさんがせっせと荷物を運んでいます。
荷物をぱっぱと出してすぐ移動しようといった感じ。


その時、運悪く後ろから軽自動車が来て、立ち往生します。
おじさん焦ります。
すると、軽自動車のおばさんが窓から

急がなくていいですよー

そして次の瞬間、
何とエンジンを止めて(!)ドアから出てくるではありませんか。


・・・え、まさか手伝うの!?(汗


おばさんがたどり着くのと時を同じくして荷物はおろし終わった様で、
大丈夫です、すいませんと言っておじさんは車を発進させましたが、


予想外の結末にただただ ポカーン( ゜ д ゜;)

 

都会ならクラクションならされても文句言えない場面です。
まさにスローライフ。
実感しました。

 


・・・とまぁ、三日間に渡って青梅の街を見てきましたが、
とても実りの多い町歩きでした。
実際いたのは2時間半でしたが、
驚きと発見の連続で。

正直、大通りはおじいさんおばあさんばっかりで、
二十歳の若者には物足りない感じがしたのですが、
いやはや裏路地が凄かったですね。お腹一杯。

明らかに青梅には、昔の面影が色濃く残っています。
時には江戸時代だったり、時には昭和時代だったり、
いろいろな顔を見せてくれました。
人為的に「レトロ」になった部分も多くありますが、
中にはそこに住んでいた人が生活の一部としてずっと守ってきた、
自然発生的な「レトロ」が確かにありました。
別に人為的なのが悪いのではなくて、
青梅という街は人為的な「レトロ」と自然発生的な「レトロ」が
上手く混ざってるな、って感じがしました。
また裏通りは確かに良かったのだけど、、
あれは人がいなかったからかも。
でもお客さんが来なければ来ないで問題がありますね。
これからは、マンション問題も含め、表通りと裏通り、
人為的・自然発生的な部分のバランスを保ちながら、
青梅という街を更に充実させていってほしいなと思います。

「ALWAYS 三丁目の夕日」とかもう見なくていいか。
肌で感じたし。

 

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せっかく取った何とか写真を使いたくて、
随分長くなってしまいました。反省。

最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございました。
またどこかに出掛けたら、
写真も交えて書こうと思いますんでよろしくお願いします!

 


▲赤塚不二夫記念館より。さよならなのだ~

 


 


-青梅町歩記- 第2回

2005年11月14日 01時07分45秒 | 社工

第2回は旧青梅街道南地区です。

青梅駅の北側が山になっているのは昨日も話した通り。
駅周辺は平坦ですが、
南側も割と急な斜面になっており、眼下に住宅地が広がります。


▲坂道なので、石垣を作ってその上に家が建っています


住宅の数も北西地区と比べるとぐんと増え、
築10年前後の家々が多くなるので一見どこにでもある風景に見えますが


▲目の前に長屋が。手前の方は一度改修してる様です


▲奥の方が古めかしい感じがします


突然長屋と遭遇したりします。


(参考)長屋 -Wikipediaより
集合住宅の一形態である。1棟の建物を水平に区分し、それぞれ独立した住戸としたもの。それぞれの住戸に玄関が付いている。


写真を見ても分かるとおり、いわゆる木造2階建てアパートみたいなものすが、
アパートと違うのは、2階部分が他人の住戸じゃないってところですね。
全部で1棟の建物なので、リフォームとかもなかなか出来なくて大変そう。
これ共同トイレ、共同お風呂・・・なんでしょうか。
外から確認することは出来ませんでした。


 
▲長屋の目の前に井戸。古き良き時代が目に浮かびます


こちらの古井戸はまだ使われているそうです。
長屋の住人が所有しているのだとか。
大変生活感に溢れています。



▲ふと見上げればマンションが。


住宅地から、青梅街道の方に視線を移すと、
マンションが乱立している事に気付きます。
とても目立つ。

大通りに出てみると、かなり違和感が。
実際青梅市の景観に関するアンケート調査でも、
やはり市民の関心の多くはマンションに向けられていた様です。
町は人の手で作られたものですが、その中で自然発生的に出来た風景を、
是非後世に残していって欲しいものです。



▲石垣とねこ ありそうで無かった組み合わせ



▲家、傾いてるんですけど・・・


しばらく歩いても、ほとんど人と会いません。
猫しかいません。
どこかで子どもの声が聞こえます。
ジブリ映画に入りこんだっぽい。



▲よく見ると「商い中」の看板が。ビックリ


このとんかつ屋さんはもともと料亭だったそうです。
芸者が表通りを闊歩していた頃は、
お座敷もさぞにぎやかだったことでしょう。
今は、地元の人がたまに通りがかるくらい。
明かりの消えた電灯と提灯は、ちょっと寂しげに見えました。
照らし甲斐が無くなったよ、なんて聞こえてきそうで。

今更ながらノスタルジックって言葉の意味を再認識しました。





・・・いかがでしたか。第2回はこんな感じです。
お気づきの人もいるかもしれませんが、
今回の町歩きでは青梅街道沿いはほとんど歩いていません。
パンフレットに沿って裏路地ばかり。
こんなところデジカメ片手に歩いてる観光客なんて勿論いません。
それでもこんなにいろいろな発見があるんですから、
ちょっと得した気分。
全く飽きないところです。


明日は北東地区を。
ちょっと商店街の方に出てみたいと思います。


-青梅町歩記- 第1回

2005年11月12日 22時33分50秒 | 社工

行ってきました。青梅。
写真を撮りまくったので全部で3回くらいになると思います。
今日はその1回目。
こういう所は実際行ってみるのが一番ですが、
少しでも雰囲気を感じてみて下さい。


前日の雨もやみ、心配した天候はなんと晴天。
これはもう町歩き日和というもの。


▲JR青梅駅:電車が沢山停まってます。踏切から撮影


▲後ろを向いてみる・・・実は単線だった!

実は、車で行ったんです。
電車でのらりくらり、も良かったんですが
家からだと国道16号をずーーーーーーっと進むだけで
着くって事が判明したので。

駐車場代は30分100円。何と良心的な・・・
しかも所々に沢山あったので駐車に困る事は無し。
青梅線の本数を考えると移動手段は車になりがちです。
駐車するところがないと訪れた人も出鼻を挫かれますし、
迎える側としても道路脇に路駐されるのは避けたい。
良く考えられてますね。

まず行ったのは駅からみて北西の地区。
店舗はほとんど無く、背後が山なので斜面になっています。


▲細い小径には民家を覆い隠す様に石垣と生垣が。

この辺りにある民家は、
一目見て築数十年と分かる木造建築。
道は軽自動車がぎりぎり通れるくらい。
他には何もありません。
市立図書館くらい。
地元の図書館の5分の1くらいのサイズですが。


駅の方に戻る途中、
周りに小さい商店や家々が立ち並ぶなか、
突如として謎の空間が。
家の塀と塀に囲まれて、
大人2人が並んで通れるかどうか。


▲入り口。塀と塀で視界が一気に狭まります。

実はこの細い道、「七曲がり」と言って、


▲隣は民家。ちょっとドキドキ。大きな声出せません。

進んで行くと曲がり角に突き当たって、


▲当然、こちら側が「玄関」です。郵便屋泣かせ。

更に進んで行くとまた曲がり角に突き当たって。


▲歩くこと約5分。ついに出口が。

この操作を七回繰り返す、
つまり七回曲がらないと外に出られない、
それが「七曲がり」なんです。

こちらも築数十年の木造建築が大半。
そこに比較的最近建てられた建物が混在して、
見事なまでに静寂な空間を作っています。
ばったり人と会うと逃げられません。挨拶しましょう(笑

この道がどういう因果で出来たのか調べても分からなかったのですが、
戦前から残ってる住宅に必要最低限の通路を確保しつつ
周りに新しい建物を建てていったからこうなったんでしょうか。

戦後の区画整理が行われた部分と、
戦前からある整理されてない部分との衝突点って感じなのかな。
そういう専門知識はほとんど皆無なので、
詳しく知ってる人いたら是非教えて下さい。

まだまだ続きます。
明日は南地区をお伝えしますよ。
稚拙な写真・文章ですが、
これらを通して少しでも町の雰囲気・匂いを感じて貰えたら幸いです。


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なお、今回町を歩くにあたって、
東京工業大学社会工学科 中井研究室
http://www.soc.titech.ac.jp/~nakai/
に掲載されているパンフレットを参考にしました。
要所ばかりをまとめて二時間半程度で回れたのも、
先人の努力があったからこそです。
トップページから成果物のところにいくと、
軟式少年の文章よりずっと良くまとまったパンフレットがあるので
良かったら参考にして下さい。