相貌失認というものがあるそうです。
相手の顔を認識できないという障害だそうです。
何かの調べ物をしていたらそんな文字を見て、
内容を見てみたら、ほかの人のエピソードに思い当たるものがいろいろあって
思わず苦笑いしました。
そういえば昔、朝、学校で中年女性に声をかけられて
とりあえずにこやかに会話しながら誰だろうと思っていたら、
1時間目の授業がはじまったらその人が教室に入ってきたことがありました。
大学のゼミで親しげに話しかけられて、ゼミの人だというのはわかっても
誰だかまったくわからないというのはデフォルト。
教育実習に行っても、クラスの生徒の顔と名前なんて
4・5人しかわからずに冷や汗をかきました。
「先生、わたしの名前知らないでしょ?」
なんて訊かれたときはぎくっとしました。
実写のテレビを見ていて、ヒロインが変装してもぐりこむ
みたいな話になったあと、誰だか知らない人の話をやっていると思ったら、
最後の最後で変装をといたところで、
ずっとヒロインの話をやっていたのだと気づくようなこともしばしば。
家で母っぽい人から声をかけられるから母だとわかり、
父っぽい人から声をかけられるから父だとわかっているような気もします。
まったく予想外の出先で、こちらに意識を向いていなくすれ違ったら、
もしくは街角の大テレビに映っていたとしても、わからないんじゃないかと思います。
わたしも常々、人には名札をつけておいて欲しいと思っていますが、
ネットで話を見ていたら、ほぼ同じことを書いていた人がいて
あー、やっぱり、とうなづきました。
ただ、アニメを見て、どのキャラがどのキャラなのかはわかりますし、
声を聞いてどのキャラがどのキャラなのか、誰が誰なのかもわかります。
8種類のキャラが装備や色を変えているだけのゲームでも、
同じキャラを使っている十数人を、装備や色から誰が誰かを判別することができます。
となると、この障害の主原因は、人の顔の差異を特徴化する能力と、
それを記憶する能力に異常があるのではないかと思います。
アニメのキャラもゲームのキャラも、何が特徴なのかは
はっきりと示されているので理解できるような気がします。
わたしにとっての世界とは、たとえば生まれたてのひよこを10匹並べ、
「これがケテルンヌス、これがコクマノミシャー、これがビナトリーウェ、
これがケセドヘモジョリタ、これがゲプラゲーナス、
これがティファレティーヌ、これがマサネツァフン、これがポマモホトルネ、
これがイエソクワモルコ、これがウェマルコ」
なんて次々に見せられ、次の瞬間にはすべてを箱に入れ、まぜて、
その中から一匹取り出して、
「じゃあ、この子の名前は? 間違えたら人とか社会人としてどうなの? って叫ぶし、
覚える気もない怠け者の烙印を押して会社どころか社会にも居場所をなくしてやる!」
と常に脅されているようなものです。
そもそも名前すら覚えられないし、顔もわからないし、
それを両方適合させて答えろなんて、
冷や汗混じりで心臓ばくばくです。
病的に名前と顔が覚えられないのは昔からわかっていましたが
それが病気の一種として名前がついたのはとてもいいことだと思います。
すべての人に名札をつけた生活、なんて所詮むりでしょうから、
『他人の顔が認識できません。名前とどういう知り合いなのかを
まず教えてください』みたいに周りに訴えかけられる、
妊娠バッヂみたいなものが必要な人に配られるようになればいいなと
個人的には思います。