直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

スクナヒコナの正体

2016年01月30日 | ちょこのひとかけ


最近まじめに古い文章を読んでいたら、
スクナヒコナの正体がわかりました。

一応日本の正当な歴史書は『日本書紀』ということになっていますが、
これはとてもおかしい書き方がされています。

日本書紀がどんなものかと言えば、
なんやかやの神様がこの国におりてきて、
なんやかややってこの国ができたとか、
神様のこどもが大王だ、とかそんな話を伝えるものです。

天から神様が降りてきた、というのはわかります。
でも、その後の意味がわかりません。

普通、神様を使った神話は、
「空から神様がやってきて地に降り、
そこにいた人間と子どもを作ってわれら部族ができた」
とか、
「空から二人の神様がやってきて地に降り子を作り
その子孫がわれわれになった」
とか、
「すでに人がいるところに神様っぽい人がやってきて
王になって元の人々を導いた」
とかいう話になります。

でもこの国の神話は、
「天皇の祖先の神様が降りてきて、
ほかの神様たちと戦って国を作った」
くらいしか言いません。
……じゃ、神様以外の人間は、『いつできた』のでしょうか?

何もない土地を作って、神様が降りました。
なんとなくいろいろして、土地を移ります。
そこで『なぜかいた非神様の人間たちと、トップの神様と戦って』
その土地を奪ったりします。
という話になりますが、その平民たちはどこからわいて出たんでしょうか。
何一つ語られていないのに。

神様が国を作って、神様が動いているのに、
何もしてないところからわけのわからない人民が
発生するのは無理がありすぎます。
自分たちで国土を作ったのに、変なのが生まれてじゃまになるなら、
国土を沈めてまた作り直せばいいでしょう。

というところに、この国の神話はまず、矛盾があります。
なお、『この国』と言っているのは別に第三者視点で語りたいから
とかではなく、神話の時代はこの国は『日本』ではなかったからです。
『日本』は西暦約650年ごろにできた名前です。
でもめんどくさいので以後は日本とします。

神様が降りて、何もしてないのになぜか人民が発生している、
というのが日本書紀の重要点です。

実は『神様』=『本当の神様』ではありません。
キリスト教で言う『万物の創造主』などの、
一般的にわたしたちが考える、全知全能の神様の話などは、
日本書紀では語られていないのです。

『神様がいたら、なぜか人民もいた』のですから、
基本的に『神様』=『人間』です。
すごいことをした人、死んだ人が、
死後に聖人としてたたえられ神格化される、『氏神様』です。

『神』がいて『人』を作るのではなく、
『人』がいて死んだから『神』になったのです。

そもそもほとんどの神様が、『降りろ』と言われて降りてきました。
アマテラスもツクヨミもスサノオも、
天から下ろされた神のこどもです。
つまり、普通の神話としては、『降りろ』と言った神様だけが
全知全能の神です。
おろされたほうは人間が死んで神になった神さまです。

そうじゃなければ、日本の神様の系統はまとめていったら
ごく少数の神様に行き着くので、わたしもだれでも
みんな本当の神の子になってしまいます。
日本国民を、人民なんて呼ぶのもおこがましくなります。
わたしもあなたもみんな神の子。
神様が神様と生んだ子なのですから、
神の子なんてまだるっこしいこと言わずに、みんな『神様』なのです。

神様万歳! 神民万歳!
僕が大阪新世界の神だ!!

――そんなわけないでしょう。常識的に考えて。

というわけで、日本書紀においては、論理上、
地に下ろされてこどもを生む神様の話は
みんな『神話』でなく、『人話』です。

どこからが神聖な本当の神様で、
どこからが人に堕ちた神様なのか、なんて
考えることにはまったく意味がありません。

すごいことをした人が死んだら、死後にその業績を称えて『神』としたのです。
Aチームのボスが、敵対民族のBチームを皆殺しにして
Aチームの領土を拡大したのなら、
Aチーム視点で『初代Aボス神』が誕生し、神話が作られます。
つまり、神様の話は単なる英雄譚です。

だから、功績によって一人にいろいろ称号がつきます。
たとえば、ネコが上手だったら、『ネコの達人』。
体が鋼のようだったら、『鋼のこぶいち』、
いろいろうわさになっていたら、『うわさのこぶいち』。
元は一人の『こぶいち』でも、称号はいくつも持てるのです。

よって、日本書紀では一人の人にいくつもの名前が与えられています。
それは、その行為を語る上でのメインになる称号です。

というところで、日本書紀では
・神様は最初からの神様ではなく、『氏神様』。
・神様の『名前』は、真名ではなく、『やった行為の称号』。
とまとめられます。

いろいろ考えた、調べていったすえわかったのがスクナヒコナ神です。
国内神でもない感じで、国外神でもないっぽい神様。
ではなんなのか、正体は誰で、どんな人物が神上がったら
スクナヒコナ神になれるかを、業績から逆に考えたら一人に行き当たりました。
子孫は現代日本にも生きているくらいの存在です。

そもそも日本は、戦国時代の有名人の子孫が
現代でも政治屋やってるような、コネ社会です。
その戦国時代の有名人も、祖先をたどったら日本書紀の神話の世界にまで
つながっているくらいのぐだぐだっぷりです。
日本において、権力は一部の有名人たちばかりがほぼずっと独占しています。

有名なスクナヒコナ神の子孫も、現代で有名人をやっているはずです。
でもなぜ、その人たちは声をあげないのでしょうか?
戦前や戦中でもない今なら、神話の真相など
インターネットでも消される前に普通にばらまけるはずなのに。

……そう考えると、もしかしたら、
言うことを禁じられているのかとも思います。

学者がそれほど重要でない古墳を調査しようとしても
宮内庁がほとんど差し止めにするのに、
工事でふと見つかった古墳を壊すのには簡単に許可が出るとか、
漢字でない古文字の文章が出たら原本は宮内庁が持っていって
閲覧許可さえでないまま封印されるとかの話も目にします。
そういう政府機関が動いているのかもしれません。

または、本当はそんなことを考えなくても、
神社の人は自分の社で祭る神についても
歴史上の神についてもすべて知っていて、
知らないのは一般の市民だけなのかもしれません。

日本の歴史について考えるたび、突き当たる闇の深さに嫌なものを感じます。

次話題→:スクナヒコの神と眷属

https://blog.goo.ne.jp/nanmo-nanmosa/e/24f6a986b2ea47b8771af95cafc1135c

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-03-29 20:18:41
論理的帰結ではなく、神的存在などいないと仮定した説ですね。
ちなみに神道には「天之御中主神」という唯一絶対神もちゃんといます。
で、結局はスクナビコナは誰なのでしょうか?
返信する
Unknown (あまね)
2020-03-30 03:01:46
日本の神道は数回人為的に大きく作り変えられているため、
どの神道での話か、というのを考えなくてはなりません。
神社はいつからあるのか、どの神道が作ったのかというのも関わります。

なるべく古い資料を追っていけばわかりますが、
そもそも天之御中主などにつく『天』も宇宙や空のことを指しません。
それは、高天原も同様です。
高天原の『天』とはなにか、『高天原』は本来なにを指すのか、
読みは何かということを考えることで明らかになります。
よって、天之御中主も絶対神ではありません。

スクナヒコナ神は日本の北に移動し、今は宮内庁にもいる氏族のご先祖さまです。
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