なにわ会(海軍兵学校72期、海軍機関学校53期、海軍経理学校33期の合同クラス会)のブログ

最近流行のブログに挑戦してみました。掲示板に代えて大いに利用して下さい。多数会員の積極的書き込みを期待します。

日記3月29日

2007-03-29 11:54:55 | 日記
故村上達君の兄村上宏様が昨年12月19日逝去され、今後会誌は辞退するとの電話をいただいました。

日記3月28日

2007-03-28 17:59:31 | 日記
今日は石隈教官の本葬が行なわれ、鎌倉に行ってきました。円覚寺の中で行なわれましたが、階段が87段もあり、あがるのが大変でした。大勢の方が見えていて、会わなかったクラスも多くて、誰が来ていたかはっきりしません。65期の本村さんが弔辞を読まれました。柳田教官の時も本村さんが弔辞を読まれ、なにわ会ニュースに掲載させていただきました。今回もお願いして掲載したいと思います。

なにわ会ニュースと名簿の印刷代金の請求が来ました。名簿は60,420+消費税でした。発送代は38,925円+消費税でした。発送部数511ですので、1冊あたり80円で済んでいます。郵便だと210円ぐらいかかりますから、随分安くなっています。少し日数がかかりましたが、経費節減のため今後もこの方法で行きたいと思います。

戦後の海上防衛力再建と山本善雄という資料を旭輝雄君から頂きました。熟読して出来れば要旨をニュースに掲載したいと思います。

日記3月27日

2007-03-27 16:28:57 | 日記
昨日左近允尚敏君から第17回パインなにわ会の案内(日時19年4月22日(日)1430集合 1500から 場所 小松 遊雅亭)を頂きました。第1回は平成3年とのことです。

2号4分隊写真その2

2007-03-26 10:27:41 | 写真
その2、 この写真には田村君が欠けているので、その殉職の後に撮った写真だ。日時は不明だが、5月下旬だろうと思う。この頃GFのほとんどの艦艇は呉や柱島泊地に集結していた。わが海軍の最盛期であったと思われる。
前列右から 太田、桂、鈴木、伊吹、真崎
後列右から難波、藤田、清水、木村、亀井、本間です。



2号4分隊写真

2007-03-26 09:56:58 | 写真
 写真 その1、 古鷹山の山麓にある水源地の堤防の前で撮った2号4分隊の写真で桂君から送られてきたものである。12名が写っている。即ち田村誠治君がカッター競技でなくなる前の写真で、彼も写っていて彼が殉職した5月17日以前に撮影したもので、4月末か5月初めの日曜日か祭日に、全員が揃って撮った写真である。個人名は次の通り
前列右から 鈴木哲郎、太田正一、伊吹明夫、桂理平
後列右から 清水武、本間倫夫、藤田春男、木村、田村誠治,眞崎三郎、亀井壽、難波経弘




坂元正一を偲ぶ会の写真

2007-03-25 20:12:53 | 写真
今日の偲ぶ会の写真です。岩松重裕君撮影のものです。小生本日カメラを持参するのを忘れました。新庄浩君が写してくれていますので、送ってもらったら掲載しまっす。

日記3月25日

2007-03-25 19:38:28 | 日記
今日はアルカディア市ヶ谷で次のものが集まって、昨年12月28日に亡くなった故坂元正一君を偲ぶ72期の会か開かれ、坂元正一君の冥福を祈りました。

相澤善三郎、足立喜次、旭輝雄、池田武邦、泉五郎、伊藤正敬、岩松重裕、上野三郎、後藤寛、左近允尚敏、佐藤靜、新庄浩、都竹卓郎、東條重道、名村英俊、平野律朗、樋口直、溝井清、山田穰、山田良彦、山田良の21名、

深井良君の遺族、紳一君がブログに書き込んでくれました。今までコメントには時々書いてくれていますが、新規書きこみはこれが初めてで、嬉しく思いました。
会員の皆さん、ドンドン書き込んで下さい。書き込み方が分からない方もあると思われますので改めて書いておきます。

『なにわ会のプログ(http://blog.goo.ne.jp/naniwakai-ma480/)を開く。
IDのところに naniwakai-ma480 と入れる。
パスワードの所にパスワード(なにわ会3校のクラスNoからとった数字)をいれる。分からない方はメールで問い合わせて下さい。230829mi@kvp.biglobe.ne.jp 

2回目からは左側のカレンダーの下の「プログの作成・編集」をクリックする。
出てきた頁の中央付近にある「今日の記事を投稿する」をクリックする。
次に出てきた頁の上の方のタイトルを記入し、その下の大きく空いているところに文章を入れる。
そして、写真を入れたいときは、その下の「画像を選択」をクリックして、ファイ
ルの選択で画像のあるファイルを出してから、タイトルを記入して投稿をクリックします。』
以上です。一度なんでもいいから投稿してください。



兵、機、経理学校ご在学であった皆様、お教え下さい

2007-03-25 11:04:52 | Weblog
海軍兵学校、機関学校、経理学校に在籍であった方々に、ぜひお教え頂きたい事があります。
伯父深井良についての本「第九銀河隊指揮官深井良」を出版致しましたが、その中で伯父も鉄拳制裁を受けたし、行いもしたと記述しました。その事についての私の疑問に対し、1号の時に同じ分隊にいらした旭輝雄様から、全く異なる事実を3月3日にお手紙で知らされました。その時代の中で鉄拳制裁が憎しみからでなく、弟達の為を思えばこその愛のムチであり、広く受容されていた事は豊田穣氏等の文献や片山市吾氏の書き残された記述、東條重道様のお言葉からも良く分かります。
下は旭様から頂いたお手紙の差し障りの無い部分の抜粋です。

「昭和十七年十一月二十五日頃三学年の編成替が発表され、深井兄も第21分隊のメンバーと成りました。 席順は伍長 倉本恒治、伍長補 大野嘉秋、山田富三、深井良、沼田寛三、旭輝夫、宮路(戦後奥さんの家を継 富士となる)栄一、関根利彦、田尻博男、小笠原典麿、の十名でした。自習室、寝室の整備を終え、12月1日に入校してくる74期3号生徒の教育方針について、1号十名が夫々意見を述べた時、深井良兄は紳士的であり鉄拳の修正は行なわないと発言され~」

自分の弟(私の父、深井利男)を殴った事の無い伯父、深井良が下級生にも鉄拳は揮わなかった事は私にとっては「やはりそうであったのか」という感激でありました。当り前の事かもしれませんが、父利男も私を殴った事はありませんし、私も息子、翔太、佑馬を殴った事はありません。伯父の植えた種は今、樹になっているような気がします。

話がそれましたが当時現場にいらした方々にご記憶を辿って頂ければと思うのは、鉄拳制裁が当り前であった兵学校等で、この様に鉄拳制裁を否定し、行なわなかった1号が存在したのかどうかという事です。自身が行なわなかった、或いは鉄拳制裁を絶対しなかった者を知っているという方はぜひお教え頂ければと思います。伯父は極めて特殊であったのか、或いは伯父の様な1号はたくさん存在したのか知りたいと思います。また深井良についての同級生、上級生、下級生、教官の方々のご記憶も、もし少しでもありましたらお教え下さい。

どうぞ宜しくお願い致します。

余談になりますが、先日国際線乗務の仕事の中で機関学校出身の中松義郎(ドクター中松)氏とお話する機会に恵まれ、伯父の本に言及したところ是非読みたいという事でお贈り致しました。

日記3月24日

2007-03-24 22:11:54 | 日記
74期会報4月号をいただきました。昨年末テイクオフした江鷹会のHPについてかかれています。
75期会誌古鷹46号をいただきました。古鷹は今年から年1回発行に変りました。

日記3月22日

2007-03-22 04:40:59 | 日記
柳田教官のご子息から頂いたメールに次に言葉がありましたので紹介します。
『父の自分史にも、「兵学校教官時代」と区切って、若くしてなった「教官兼監事」の喜びと苦しみと反省が書かれています。この項の最後に、72期生の記憶が次のように書かれています。

「私は着任当初、教官としては砲術科に属し、監事として24分隊監事、更に72期が入ってきてからはその6部指導官を命ぜられた。入校前のいろいろな作業、入校後の面倒見などで忙しい日々が続いたが、それは張り合いのある仕事でもあった。
 自分たちが入校した時、指導官が初めから自分の名前を呼んだことに倣って、先ず自分の分隊に入ってくる者の名を覚えることとし、次に6部の者全部の名前に取り掛かったが、写真で100名以上の者の顔と名前を一致させるのは、容易なことではなかった。完全にそれが出来るようになったのは入校教育が終わる頃になっていた。それでは監事落第である。
 こんな苦労をしたお蔭で、72期の者とはその後も固い絆で結ばれ、現在でも教官として72期のクラス会には必ず呼んでくれる。 ありがたい事だ。」

春日美智子様から昨日に続いて日本産婦人科医会報3月号のコピーを2部送っていただきました。22名の方の寄稿があります。取り敢えず逐次HPに掲載しますので読んでください。ニュースへの掲載については別途検討します。

日記3月21日

2007-03-21 17:11:04 | 日記
春日美智子様(仁君の令嬢)から日本産婦人科会報2月号を送っていただきました。前に↓のHPでお知らせしたとおり、表紙に写真があり、末尾に監事 竹内亨氏の思い出が掲載されています。なお、3月号に「坂元会長を偲んで」が掲載されます。これも春日様からご送付頂けるようになっています。
2月号の記事は↓を見てください。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/0-sakamotokiji1.html