なにわ会(海軍兵学校72期、海軍機関学校53期、海軍経理学校33期の合同クラス会)のブログ

最近流行のブログに挑戦してみました。掲示板に代えて大いに利用して下さい。多数会員の積極的書き込みを期待します。

日記3月4日

2007-03-04 12:29:36 | 日記
昨日深井良君の甥伸一様から良君が1号時21分隊で一緒だった旭輝雄君から1号時代の伯父良君のことを教えてもらえたとメールがありました。

坂元正一君が神戸一中時代一緒だった高橋氏と伊藤輝雄氏(共に葉山大正会のゴルフコンペの仲間)から中学時代の坂元正一君の思い出をいただきました。

高橋氏曰く『坂元さんが終戦後、東大の医学部に行かれたのも、お父さんの跡を継がれようとされたことと推察します。坂元さんも、中学五年生の時、一年生の年級指揮官をされ、岩松さんが副年級指揮官でした。二五〇名入学中の四年生で一番の人が五年生になると、全学年の総指揮官になり、六番目の人が一年生の学級指揮官になりました。このように、一高や海兵には当時上位の学生が入学しました。神戸一中の東京クラス会では、坂元、草川の両氏が東大の医学部を出られ、クラスメートの相談に乗られ、何回かお世話になりました。坂元先生らに紹介してもらいますと、どの病院でも特別扱いしてくださいました。両先生も亡くなられ、大分寂しくなってきました。』

伊藤 輝雄氏曰く『神戸での観艦式は私も鮮明に覚えております。一中の一年生の頃ですか、乗り組みの士官(多分先輩?)を迎えて夕闇迫る校庭で分列行進をしたのを思い出します。空には航空隊の編隊飛行、海にはイルミネーションとサーチライトの光芒が交錯してまさに帝国海軍最盛期の威容を見せ付けられました。彼のご母堂の最後はご立派なものですね。』