武蔵国 杉山城 <スギヤマジョウ> | ||
別称 | 初雁城、雁城 | |
城郭種別 | 城郭 | |
縄張り | 階郭式山城 | |
築城者 | 山内上杉氏 | |
築城年 | 1505 | |
廃城年 | 1590 | |
主な城主 | 山内上杉氏、杉山氏 | |
指定史跡 | 国指定 | |
住所 | 埼玉県嵐山町大字杉山 [Google] [地理院地図] | |
城址碑 | あり | |
現地案内板 | あり | |
スタンプ | 嵐山町役場庁舎 08:30-17:15 | |
現存建造物 | なし | |
復元建造物 | なし |
概要
この城跡は、戦国時代の築城と推定される典型的な山城です。総面積は、訳8haにも及び、山の高低差を巧みに利用し10あまりの郭を理想的に配置しています。
まさに自然の要害と呼ぶにふさわしい県内でも屈指の名城と評価されています
現存する遺構の保存状態も非常によく、複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えには当時の高度な築城技術が偲ばれます。
「馬出」や「桝形」の塁線を屈曲させて構える「横矢掛かり」の多用はその典型とされるものです。
また、城の立地についても、北方に越畑城・高見城と連絡し、西方全体に鎌倉街道を見下ろすという絶好の条件を備えています。当時の社会情勢から判断して、松山城と鉢形城とをつなぐ軍事上の重要拠点のひとつであったと考えられます。
築城年代や城主等に不明な点も多いですが、地元では松山城上田氏の家臣杉山主水の居城と伝えています。
杉山城は、全て私有地であり地権者のご理解とご協力によって公開されているものです。
まさに自然の要害と呼ぶにふさわしい県内でも屈指の名城と評価されています
現存する遺構の保存状態も非常によく、複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えには当時の高度な築城技術が偲ばれます。
「馬出」や「桝形」の塁線を屈曲させて構える「横矢掛かり」の多用はその典型とされるものです。
また、城の立地についても、北方に越畑城・高見城と連絡し、西方全体に鎌倉街道を見下ろすという絶好の条件を備えています。当時の社会情勢から判断して、松山城と鉢形城とをつなぐ軍事上の重要拠点のひとつであったと考えられます。
築城年代や城主等に不明な点も多いですが、地元では松山城上田氏の家臣杉山主水の居城と伝えています。
杉山城は、全て私有地であり地権者のご理解とご協力によって公開されているものです。
※現地看板より
攻城記録
駐車場
出郭
大手の前に配置された郭をいい、北側には低い土塁が見られます。
一見無防備な広い空間に見えますが、この説明板の部分には発掘調査によって溝が掘られていることが分かり、大手には直線的に進入できないような工夫がされています。
※現地看板より
大手口
外郭
南二の郭
南三の郭
井戸郭
井戸跡
現在、城跡内で確認されている井戸跡は、この1箇所だけです。
地山が岩盤なので、現在でもほぼ一年中水がしみ出ており、春先には山椒魚の産卵場所となっています。
蓋の石は、おそらく城の造成の際に掘り出されたもので、このように蓋をしたのは、廃城の際に敵方に使われないように「水の手を断つ」ためだと思われます。
※現地看板より
本郭 北虎口
北方面の虎口は、強力な横矢掛かりに守られています。
南西の井戸跡方向から帯郭を登り進んできた敵は、大きく回り込まなければ本郭に進入できないよう工夫されています。
虎口の前には、小さな平場(虎口受けと言います)が見られます。
※現地看板より
本郭
城址碑
東二の郭虎口
東二の郭
本郭の北東側の尾根に作られた東二の郭は、全体的に東三の郭に向かって自然の地形のまま、緩やかに傾斜しています。
東側の虎口は、杉山城跡では珍しく直線的な坂虎口となっています。
西側の虎口は、本郭からの高くて強い横矢掛かりに守られ、北二の郭への通路となっています。
※現地看板より
嵐山町役場
スタンプ設置場所
模型
NHKの「日本最強の城スペシャル」でこの模型が登場しました!
町職員による手作りの作品です。
※現地説明表記より
2024/8最終訪問
周辺地図
※ 当サイトの地図は、主郭等の城の中心部にロケーションを置いておりますのでご注意ください。
※ 城址等は、私有地になっている場合もありますので、有権者の確認を行うなどをし他の人の迷惑になるような行為はやめましょう。
※ 自分で出したゴミは、家に持ち帰り処理を行うようにしましょう。
※ 城址等は、私有地になっている場合もありますので、有権者の確認を行うなどをし他の人の迷惑になるような行為はやめましょう。
※ 自分で出したゴミは、家に持ち帰り処理を行うようにしましょう。
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