陸奥国陸奥小堤城 [コヅツミジョウ] | ||
別称 | 大雄寺館 | |
城郭構造 | 平山城 | |
築城年 | 1302年 | |
廃城年 | 不明 | |
指定史跡 | 指定なし | |
住所 | 亘理郡亘理町泉ケ入91 [MAP] | |
スタンプ設置場所 | ||
御城印販売場所 |
概要
中世の亘理を治めた亘理氏(武石氏)の居城と伝えられる。
城の範囲は大雄寺敷地の大部分を占め、寺の敷地を囲むように土塁があり、
中世城郭の面影を残している。
また、東南の突き出た一角は曲輪(くるわ)だったと考えられる。
※現地標柱より
大雄寺山門
江戸時代後期のもので亘理町指定文化財の山門(楼門)です。
本堂
慶長9年(1604)伊達成実が福島県信夫郡小倉村(福島県福島市)にあった伊達家菩提寺陽林寺から父実元の位牌を奉じ、萬松山雄山寺を開創した。
亘理伊達家霊屋と歴代墓所
伊達成実霊屋
成実は慶長7年(1602)35歳で領主となり、正保3年(1646)79歳で没した。伊達政宗を補佐して仙台藩草創に絶大な貢献をし、亘理伊達家250年の基礎を築くと共に、亘理の町の原形を作った偉大な人物である。霊屋は成実没後間もなくの建立と考えられる。方一間の宝形造りで、中に成実の位牌と甲冑姿の木像を安置している。仙台藩内の霊屋建築としては松島円通院三慧殿と共に江戸初期を代表するものであり、霊屋・木像は昭和54年(1979)に宮城県指定文化財となった。霊屋の前には殉死した成実の家臣である常盤・但木・前田・小川の4人の五輪塔が建っている。霊屋は、毎年1月16日、8月16日に開帳している。
※現地看板より
伊達実元・実氏霊屋
伊達実元は、伊達政宗の祖父晴宗の弟で、大森城(福島県福島市)の城主で天正15年(1587)に61歳で没した。
伊達実氏は、岩出山伊達家の出であるが、亘理伊達家の養子となり、5代領主となり、享保2年(1717)64歳で没した。
伊達氏歴代墓所
亘理伊達家2代から13代までの歴代領主および夫人・子女等の墓碑があります。
土塁
城を囲むようにあったとされる土塁の一部が残っています。
当時は城内が見えないような高さの土塁が築かれていたのでしょう。
泉ヶ入遺跡
丘陵斜面が包含地で、縄文中期と古代の土器の出土品があった。
※現地標柱より
2024/7訪問