スペインのセビリアから15キロくらい南に
コリア・デル・リオという小さな町があります。

この町とその周辺には「ハポン」という姓の人たちが暮らしています。
「日本」という姓をもったスペイン人が存在します。
いったい日本とどんな関係があるのか知りたくなりますね、
じつは彼らは日本人の子孫と見られています。
17世紀初期、仙台の伊達政宗が支倉常長らをヨーロッパへ
派遣して、セビリア周辺に1年間滞在して日本に帰国しました。
しかしそのうちの6~9人は帰国しなかったのです。
仙台藩の支倉常長(はせくらつねなが)を大使とする外交使節団で、
後世「慶長遣欧使節」と呼ばれるようになる一行であります。

使節団の一行はサンルーカルで船を乗り換えると、グアダルキビール川をさかのぼり河岸の港町で
初めてスペイン本土の土を踏んでいる。
その場所がコリア・デル・リオだったのです。
この地にとどまった侍たちは、現地の女性と結婚して
やがて子孫をもうけました。
なお、現在でも「ハポン」姓の人たちの子供には、
モンゴロイド独特の蒙古斑があらわれるといいます。
コリア・デル・リオにはJapón(ハポン、日本)の姓を持つ人が
今では約700人ぐらいいるといわれています。
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コリア・デル・リオという小さな町があります。

この町とその周辺には「ハポン」という姓の人たちが暮らしています。
「日本」という姓をもったスペイン人が存在します。
いったい日本とどんな関係があるのか知りたくなりますね、
じつは彼らは日本人の子孫と見られています。
17世紀初期、仙台の伊達政宗が支倉常長らをヨーロッパへ
派遣して、セビリア周辺に1年間滞在して日本に帰国しました。
しかしそのうちの6~9人は帰国しなかったのです。
仙台藩の支倉常長(はせくらつねなが)を大使とする外交使節団で、
後世「慶長遣欧使節」と呼ばれるようになる一行であります。

使節団の一行はサンルーカルで船を乗り換えると、グアダルキビール川をさかのぼり河岸の港町で
初めてスペイン本土の土を踏んでいる。
その場所がコリア・デル・リオだったのです。
この地にとどまった侍たちは、現地の女性と結婚して
やがて子孫をもうけました。
なお、現在でも「ハポン」姓の人たちの子供には、
モンゴロイド独特の蒙古斑があらわれるといいます。
コリア・デル・リオにはJapón(ハポン、日本)の姓を持つ人が
今では約700人ぐらいいるといわれています。
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