父が膵臓癌という病名と余命を告知をされたのは7月。
その時は父に病状と余命については告知せずに肝臓が悪いという事で
治療を続けてきた。
その後の治療過程で予想以上に肝機能が良化し外来も可能になるとの主治医の話であったため、今後の治療を円滑にするために病名だけは父に告げた。
ただ、その時は母や自分は前向きに治療に向い合っている父に、
余命はあくまで経験値という事で言わない事にしたわけだが・・・
旅行にも出掛けるようになった父を見ていると、
このまま根治はしないにしろ数年は延命できるはずだと勘違いしてしまい、
坂道を転げるように悪化した父を見ると、とてもじゃないが今更余命について
父に告知する事が出来なくなてしまったのである。
特に今話題の邦画「象の背中」の記事などを目にすると、
このまま家族のエゴで余命を隠す事に非常に罪悪感を感じてしまう。
父の人生は誰の物でもない、父自身のもの。
それを身内とはいえ自分たちが黙っていていいのだろうか。
父にも残りの人生でやりたいこと、伝えたい事があるのではないか。
と思いつつ、今の父にはとても言えなくなってしまった。
今後父が人生の終焉を迎えたとき、この事は自分自身の罪として
一生背負わなければいけないだろうと思う。
その時は父に病状と余命については告知せずに肝臓が悪いという事で
治療を続けてきた。
その後の治療過程で予想以上に肝機能が良化し外来も可能になるとの主治医の話であったため、今後の治療を円滑にするために病名だけは父に告げた。
ただ、その時は母や自分は前向きに治療に向い合っている父に、
余命はあくまで経験値という事で言わない事にしたわけだが・・・
旅行にも出掛けるようになった父を見ていると、
このまま根治はしないにしろ数年は延命できるはずだと勘違いしてしまい、
坂道を転げるように悪化した父を見ると、とてもじゃないが今更余命について
父に告知する事が出来なくなてしまったのである。
特に今話題の邦画「象の背中」の記事などを目にすると、
このまま家族のエゴで余命を隠す事に非常に罪悪感を感じてしまう。
父の人生は誰の物でもない、父自身のもの。
それを身内とはいえ自分たちが黙っていていいのだろうか。
父にも残りの人生でやりたいこと、伝えたい事があるのではないか。
と思いつつ、今の父にはとても言えなくなってしまった。
今後父が人生の終焉を迎えたとき、この事は自分自身の罪として
一生背負わなければいけないだろうと思う。