秩父の山並みもくっきり。
空気が澄んでる。
引越したら、もう富士山は見えなくなるな。
でも、
会社の社食から見えるから、いいや。
昨日、主人は職を求めて、
25年ぶりに会う古い知人のところに出かけて行った。
四時間近く話をしたらしい。
その人の25年と、主人の25年。
全く接点もなく
全く違う道を歩いてきたけど、
共通の友人が、その人と主人を繋いでくれた。
その人は主人との再会を喜んでくれたらしい。
25年前から、尊敬していたし
二言、三言でも会って話せば
その人がそれまでどんな生き方をしてきたかは解るんです、
と言ってくれたらしい。
そんな風に言ってもらえただけでも
ありがたいことや。
主人の今までの生き方の一番軸になってる部分も、その人はきちんと見抜いていて、認めてくれてたらしい。
そんな深い話は、誰とでもできることじゃない。
彼はこの25年間、様々な立場の人たちと対峙して、大きな器の人に成長したのかもしれない、と主人。
311のことも、話に出たらしい。
震災後、
人としての自分に何かできることはないか、
これから何をすべきか、
その人は深く考えたらしい。
人との出会いは不思議や。
主人のことを解ってくれる人がいて
嬉しかった。
主人は
私が壊れたことや、
いまの仕事の状態で
今までの自分の生き方がこういう結果を招いているのかな、と
自問自答を繰り返していた。
苦しんでいた。
鬱になりかけたこともあった。
それでも
彼の強いところは
いい意味でも悪い意味でも
ひたすらに
容赦なく信念を曲げないとこや。
それは吉であり、凶でもある。
一言でいえば、めんどくさい奴や。
でも、そんな彼を解ってくれる人がいてくれた。
それだけで十二分に嬉しかった。
清志郎の歌に
君が僕を知ってるゥ~
という歌がある。
人は誰か一人でも良き理解者がいてくれたら、それで前を向いて生きていける。
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