事務局長通信

障全協第30回活動者学習会に参加しました

 昨年に引き続き、障全協活動者学習会に参加しました。今年は宮城県、一日目は松島で研修、二日目は女川町の視察でした。

 研修は、震災後1年半が経過する中での復旧・復興の現状と課題と当面する運動の課題についてです。



 震災関係では支援事務局の方のお話しを聞きました。中心となるのは被災者の現状や声、それが施策に反映されることが重要だということですが、宮城県では行政がその立場にたてておらず、計画作成に当事者が参画することなくすすめられているという現状です。産業・生業の再建、雇用、医療や介護・福祉の分野、1人1人が大切されることが重要なのに、惨事ビジネスをすすめる経済界の意向や社会実験の場にされている報告に、ほんとうにひどいなと思います。また。講師の方は、地域のコミュニティーづくりにも取り組んでいて、日常からのつながりを大切されている話しも聞きました。取り組みやつながるを広げる中で「住み続けたい」という思いが住民の中に生まれ、震災発生時にも要援護者への支援がスムーズに行われたそうです。具体的に学ぶことが出来ました。

 当面する運動課題では、障害者施策のこの間の流れを確認しながら、確信をもって運動をすすめるために、共同の推進、現実的な施策への対応、まだ解決されていない実態への運動の強化、政策提言等が提起されました。社会保障全体の底上げなしには、障害者施策の充実は図れないと強く思います。

 二日目、石巻、女川町の視察に行きました。いくつかのャCントを回りながら、当日に何が起こったか、今何が問題になっているか等の話しを聞かせていただきました。女川原発には直接行けませんでしたが、津波で壊れた「オフサイトセンター」を見て、安全神話いんは何も根拠がないのに、原発再稼働をおしすすめる今の動きに憤りを感じました。女川原発も5つの電源のうち、最終的に1系統しか地震と津波に耐えた電源はなかったとの報告に驚きました。

視察用に特別に編集してもらったパンフレット


石巻みづほ第二幼稚園(市内の施設の多くの時間が同時刻で止まっています)


津波と火災で全壊・全焼した門脇小学校。震災直後、学校にいた児童・教職員の方は助かりましたが、下校していた7名の児童が亡くなりました。校舎は、右側に燃料庫があったこともあり右側から焼けています。


女川町地域医療センター(旧女川町立病院)入口、写真の高さまで津波が来ました。海面から約19メートル


地域医療センターのある場所からみた女川町、すべて流されました


津波の高さがここまで来たことが分かる風景。樹が枯れています。


東北電力女川原発オフサイトセンター。原発から直線距離で約7.5キロ地点。災害時の対応施設として整備されたが、すべての機能が失われました。女川原発を襲った津波は、潮位計観測では13メートル、後1メートル高かったら、海水ャ塔vが冠水しており、それ以上の津波であったら福島原発と同様の事故が起こっていたと言われています


 視察が終わってからは、南三陸で交流会、いろいろと今後の話しをしました。充実した3日間でした。

美味しかった南三陸イクラ丼

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