旅のメモ帳

旅に出たので、メモを取ります。

ハノイ1日目

2005-08-31 | Weblog
インドに比べればベトナムって楽勝だと思ってたけど、
たった一人だけ「ベトナムってインドより人がしつこいよ」と言ってる子がいて鬱になる。
インドよりしつこいなんて、そんな世界がこの世にあるのだろうか?
確かに金にはものすごくセコくて、むちゃくちゃボラれるらしい。
嫌だったらバンコクにすぐ戻ってこよう。飛行機で戻ってこよう。

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ハノイの空港から街まではミニバスというものが走っていて(乗合いのバンみたいもの)、
2ドル(アメリカドルも流通してる)で街の中心部まで連れっててくれる。
しかしこれも勝手にコミッションの取れるホテルに連れてかれたりするらしい。
嫌な予感がしたので、地図を見ながら自分の位置を確かめる。
案の定、違うホテルに連れてかれ「ここだ」という。
しかもホテルの奴が車まで乗ってきてしつこい。
「予約してあるんだけど、私の名前知ってる?」
「以前にも来たことあるんだけど、ここじゃない(本当は来たことないけど)」
と言っても、名前は知ってる。でも日本人だから覚えられなくてとか、ホテルは改装したとか、
もう呆れるほどバカな事を言ってくる。
行きたいホテルに歩いていける距離だったので
「絶対にここには泊まらないよ。私もう歩くから」と車を降りる。
ベトナムもずっとこんななのかな・・・、疲れる・・・。

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ベドナムドンって1000ドンで7円というレート。
計算難しいなぁ。
水1本が5000ドンって・・・。

バンコク4日目

2005-08-30 | Weblog
明日ベトナムのハノイに行くことにする。

やっとベトナムのガイドブックを読んだけど
「日本人女性は簡単にセックスをさせてくれると思っている男性も多いので注意。
しかしセックスが目的で滞在している日本人女性がいることも事実である。」
と書いてある。
上の一文はどこのガイドブックにも似たようなことが書かれている。
読むたびに吐き気がするけど、自分で毅然とした態度をとるしかないと思う。
しかし下の一文って何?? さっぱり意味がわからない。
セックスが好きなのは趣味の問題だしまったく構わないが、なんでそのためにベトナムに滞在するの??
やりたいだけなら、日本でだっていくらだってやれると思うんだけど?
なんかホントに気持ち悪くなってきた…。

できるだけ現地人とは触れ合わない方向で旅を進めよう…。

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バンコクでは日本人ばっかりいる日本人宿に泊まった。
部屋に付いてったタイ人女にジュースに睡眠薬を入れられ現金40万円取られたことにもめげず、
どうしてもタイ人の彼女が欲しいと日々ナンパに励む英語もタイ語もしゃべれない21歳大学生とか、
大仏の写真を撮ることが目的で世界を旅してる人とか、
ギターを担ぎ歌いながら旅してる人とか、濃い人が多くて面白かった。

バンコク3日目

2005-08-29 | Weblog
バンコクでこんなに自由な気持ちになれるのは、もちろん誰からもジロジロ見られないし、
好きな服装ができるっていうのもあるけど、路線バスを乗りこなせて自力でどこでも好きなところに行けるっていうのが大きい気がする。

バンコクのローカルバスは200以上の系統があって、行き先はタイ語で書いてあるけれど、
バスマップさえ手に入れれば何番のバスがどこに行くかわかるので、乗りこなせる。
結構すいてることも多いし、女性も子供もいっぱい乗ってるし、路線バスだからめちゃ安いしボラれることもない。

インドにだってもちろんローカルバスはある。
しかしどのバスもインド人が満載で、ドアから人がはみ出しいる状態だ。
もちろん男ばっか。女が乗ると痴漢が出て触られるらしい。
とてもじゃないけどあんなの無理、私には無理!
うーーん、路線によっては学生が多くて平和っぽいバスもあるらしいんだけど。
インドではバスで街中の移動はあきらめて、リキシャに乗るしかない。
リキシャの値段交渉は戦いだし、しかもお土産屋やらなんやら頼んでないところに行こうとする。
好きなところに行けないのって、ものすごいストレス。

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今日は「ステルス」という映画を見る。
アメリカ映画で空軍ものだ。英語音声のタイ語字幕。100バーツ。
音とか激しいので、映画館で見てよかったかな。
アメリカでは7月公開で日本は10月公開らしい。
日本よりタイのほうが早く封切る映画もあるんだね。

バンコク2日目

2005-08-28 | Weblog
バンコクなので久しぶりにドミトリーに泊まる。
1泊70バーツ。インドより安く済ませてる。

バンコクでは食べてばかり。
毎日ニンジンジュースにアイスクリーム、焼き鳥を買い食いし、屋台でご飯、夜はお酒。
インド料理が合わなくて(油っぽすぎる!)痩せたけど、ここでは絶対に太りそう。
日本でのインド料理は美味しいんだけどねぇ、インドでのインド料理って・・・。
あの油の量じゃそりゃベジタリアンでも太るわけだよ。

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以前から白人のおじさんにはタイ人に間違われて、たびたび買われそうになっていたけれど、
今回はどうもタイ人からも現地人と間違われている感じがする。
いきなり訳のわからない言葉で話し掛けられ、不思議そうな顔をすると英語に変わるのだ。
たぶん1発目はタイ語で話し掛けられたのでは・・・。
私ってどんどんタイ人に近づいている?
小柄の体とロングのストレートな髪型がタイ人っぽいんだと思うけど。

バンコク1日目

2005-08-27 | Weblog
カルカッタの空港で同じくバンコクに行く日本人に会ったので、安宿街のカオサンロードまで一緒に行くことにする。
彼は南を中心に回ったそうだ。南はのんびりと良い人が多く、カルカッタが一番しつこかったと言っていた。
私なんてカルカッタがそれでも一番しつこくないなと思ったのに・・・。
やっぱり旅のルートの選択を間違った気がする。

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出発は約1時間遅れでバンコクに帰ってきた!

ここでは誰も私をジロジロジロジロ見たりしないし、誰も声をかけてこないから真っ直ぐ歩ける。
たまに物売りが来るけど「No Thanx」とニッコリ笑えば、むこうもニッコリ笑って行ってしまう。
さっそくスカートとキャミに着替えて(インドでこんな服装をしたら・・・)、
夕方(インドで暗くなって出かけると真っ暗なので牛の糞を踏む)のカオサンロードに出る。
旅行者の白人やアジア人、露天や屋台で道はいっぱいだ。
屋台で買い食いしながら(インドの屋台のものを食べたらお腹壊す)、
ビールを飲みながら人を眺めたりする(インドでこんなことしたら、速効インド人に取り囲まれる)。
なんて幸せなんだろうと思う。

カルカッタ5日目

2005-08-26 | Weblog
今日こそインド博物館に向かう。
11時に行ったら無事にオープンしてた。

変なものがいっぱいあるらしいと聞いたけど、変なものというか何と言うか…。
これは本当に国立の博物館なのだろうか…。
いろんなものがグチャグチャで、ケースのガラスも割れてたり、クモの巣はってたり…。

高校生の集団が博物館に来ていて、またとり囲まれる。
いくらなんでも高校生だし(制服着てるから割とちゃんとした学校だと思う)、
騙そうとかそういうんじゃなくて、理系の学生である彼らは日本という国に興味があるらしい。
将来は日本で働きたいとみんな言う。
人を騙したりしない、立派な立派なインド人になってねと姉さんは思うのでした。

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明日とうとうバンコクに向けて出発だ。
飛行機で2時間30分。とても近い。
インドの旅も終わりだと思うと、もう少しがんばれたかなぁと感傷的になるけど、一歩街に出ると「あぁやっぱもう無理、早く脱出したい!」と切に思う。

こんなに外国人女にしつこいのは、宗教も関係してると思う。
男女の関係に厳しいので、インド人同士の恋愛には制約がありすぎる。
でも外国人女だったら簡単にさせてくれるかも?と思ってるらしい。
おおっぴらな風俗もないし。
しかしインドも変わりつつある。
手をつないで歩く男女も出てきたし、公園でイチャイチャしてるカップルもいた。
いくら厳しく規制しても、インターネットから流れ込む情報は防ぎようがない。
インドでは太った女性が人気だったけど、いまの若い世代はダイエットをしているらしい。
どこにいても世界中の情報が入るので、世界中の流行が同じ方向に向かってる気がする。

10年後、20年後の世界はちょっとしか変わってないだろうけど、100年後の世界ってどんなだろと思う。
世界中が同じような感じになってるかもしれない。
早く死にたいとも思わないけど、長生きをしたいとも思ったことがない。
だけど100年後の世界は見てみたいな。


カルカッタ4日目

2005-08-25 | Weblog
今日はインド博物館に行こうと思っていたのに、なぜか開いていない。
しかし道でガイドブックを出すと、また大量のインド人が寄ってくるので、
そのまま何事もなかったかのように博物館の前を通り過ぎる。
確か10時からやってるって書いてあったし、休館日でもないのに…。

しかたないのでヴィクトリア記念堂とセントポール寺院に向かう。
いままで旅をしていて、入場料が無料の場所があると嬉しかったけど、インドでは話は別だ。
入場料が無料だと変なインド人が大量に入り込み、ウザくて仕方ない。
勝手に隣りでガイドを始めて、お金を請求したりするらしい。
ある程度の入場料なら払うから、ウザいインド人を排除してゆっくり見学したほうがマシだ。
ヴィクトリア記念堂の中は美術館と博物館になっている。
誰にも声をかけられることなくのんびり見学。

帰りは3km×1kmの広さがあるモイダン公園を抜けて帰る。
インド博物館の前を通りかかったら開いていた。
受付で「何時に開くの?」と聞くと10時とのこと。
10時に開いてなかったじゃんかよー。また明日トライだ。

カルカッタ3日目

2005-08-24 | Weblog
今日も死を待つ家にボランティアに行く。

ほとんど寝たきりのばあちゃんの食事の介護をする。
骨と皮だけの体。
おばあちゃんに思えるけど、栄養状態が原因なだけでもしかしたら50代かも・・・。
顔を見てると、ばあちゃんはどんな人生を送ったのかなぁと思う。
カルカッタの街から出たことは一度もないだろう。
子供は居るのかな。

でも物質的な豊かさが幸せに比例するとは思わない。
どんなに金持ちでも、いつも不幸を感じてる人はいるし、
物がなくてもちょっとのことを幸せに感じて生きてる人も居る。

ばあちゃんはたくさん笑った人生だったかな。
私も、豊かな国からやってきて、インド人に追い掛けまわされ文句言ってるだけじゃダメだと少し反省。
んー、でもやっぱウンザリ・・・。



カルカッタ2日目

2005-08-23 | Weblog
今日と明日の2日間、マザーテレサの家にボランティアに行く。
マザーテレサの家には
・孤児の家
・障害者の家
・女性と薄弱者の家
・死を待つ人の家
の4つがあって、お母さんの看病でずっと心残りがあった私は死を待つ人の家に行こうと決めてた。

死を待つ人の家は、倉庫みたいなところに簡素なベッドがずらっと並んでいる。
ここに居るのは、生まれてからずっと道で生活してきた人たち。
死を待つ人の家で初めて屋根がある生活をしたのかもしれない。

インドは英国の統治下だった影響で、英語がとても通じる国だ。
教育を受けられるレベルにある若い世代は、ほとんどバイリンガル(ものすごいインド訛りだけどね)。
しかしここにいる人たちは、とうぜん英語はしゃべれない。
ちなみに西インドはヒンディー語ではなく、ベンガル語になる。
目と目で微笑んでくれるおばあちゃんもいるけどね。
ベンガル語を少し勉強すれば良かった。
仕方ないので日本語で話す。
「ばあちゃんは今度はどの国に生まれたい?生まれ変わったら、
もしかしたら来世でばあちゃんと私はどこかの学校の同級生になるかもね」
ばあちゃんは笑ってた。

私は日本に生まれたからこうやって旅をしていて、ばあちゃんはインドの道に生まれたからこうやってここにいる。
生まれた国や状況で、命の重さが違うのは真実なんだよね。


カルカッタ1日目

2005-08-22 | Weblog
カルカッタはそんなにはしつこくないらしい。というウワサは聞いていた。
と言うか、北インドの観光地が異常なだけで、南インドとかは平和らしい。

朝の8時にカルカッタの駅に到着。
駅の外に出てみたが、確かにあまり声がかからない。
今まで1分間に5回くらい声をかけられていたのが、ここでは3分間に1回くらいだ。
まぁとにかくどっちにしても不快には変わりない。

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安宿街のサダルストリートに向かう。
今日からまたシングルの部屋だ。
いままでの旅ではドミトリー(相部屋)に泊まってきたけど、インドではシングルやダブル。
値段が安いのでドミトリーに泊まらなくていいこともあるし、それ以前にあまりここにはドミトリーがない。
治安が悪いからかなぁ。

今回の旅で最安の一泊120ルピーの部屋にする。
部屋はたぶん2畳くらい。
ベッドと台が一つしかない。エアコンやテレビなんてもちろんない。
たぶん刑務所の独房より狭いと思う...。
最初は暗い気持ちになったが、なんだかそのうちこの狭さが落ち着いてきた。
庭やバルコニーがたくさんあるので、寝る時以外は外の椅子でボーっとしてればいいしね。
蚊には食べられるけど。


バラナシ3日目

2005-08-21 | Weblog
今日は早起きをして、同じ宿に泊まってる日本人2人と計4人で朝日が昇るガンジス川でボートに乗る。
雨季なので仕方ないけど、ちょっとくもり気味。

ヒンディー教徒はガンジス川に浸かり、祈りをささげる。
詳しいことはわからないけど、どうもヒンディー教はガンジスに浸かることで、罪が清められるらしい。
宗教に熱心なくせにこんなに人をダマす人が多いのは、簡単に罪が清められるから?

ガンジスに入り祈りを捧げることは沐浴というが、ボートに乗ってそれを眺める。
ものすごく神聖なものを想像してたけど、どっちかと言うと体を洗ったり歯を磨いたり洗濯してる人のほうが多くて、生活臭のほうが強かった・・・。

ボートの上ならインド人も寄ってこないし快適だと思ってたけど、
お土産品を満載したボートが「ミルダケ、タダ」と近寄ってくる。
ウザ過ぎる!

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今日の夜は夜行でカルカッタに移動。
アグラから一緒に旅をしてきた彼女とも、カルカッタでお別れ。
ウザいバラナシを一緒に旅できて本当に良かった。
一人だったら、どんだけ凹んだだろう・・・。

バラナシ2日目

2005-08-20 | Weblog
バラナシは汚い街。
細い路地が入り組み、牛がいっぱいいて、牛の糞もいっぱいあって、ハエもたくさんいる。
しかし観光地なので、道にはいっぱいのお土産屋。
とにかくまっすぐ歩けないほどインド人がやってくる。
「ツルタマユノミセ、コッチ」とか何年前に習った日本語なんだよ・・・。
とにかく多いのが「ジャパン!ジャパン!!」というやつ。
(もしくはヒンディー語でジャーパーニ!)
これって日本で道行くインド人に「インド!インド!!」って声かけるのと同じでしょ。
やっぱりこいつらは頭がおかしい。

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インドは大好きになってハマるか、大嫌いになるか、2つに1つだとよく言われる。
こういう言い方をされると、1/2の確率で好きか嫌いかの感じがしてたけど、それは間違いだとわかった。
50人いたら3人くらいがハマって、47人は嫌いになると思う。
インドが好きな人って、たぶん強く刺激を求める人なんだと思う。
騙されるかも、ボラれるかも、という緊張感がないと物足りないんだろうなぁ…。



バラナシ1日目

2005-08-19 | Weblog
バラナシはガンジス川の沿いの街。
ヒンドゥー教の聖地だ。
ここで死体は燃やされ灰は全部ガンジスに流される。
ちなみに子供とかは天寿をまっとうしなかったので、焼かずにそのままガンジスに流すらしい。

まず先にカルカッタ行きの電車を予約してしまおうと、駅の窓口に行く。
ここには外国人専用窓口があって、横入り大好きなインド人に悩まされずに切符が買える。
しかし窓口は1つしかなくしかもオフィスはエアコンなし。
後ろに並んでいたフランス人は、あちこちでそうとうボラれたらしく、いろんなレシートを見せて愚痴っていた。
「俺はフランスに戻ったら"絶対にインドには行くな”と広告を出す!」と言っていて、思わず笑った。

バラナシは聖地だけど汚くて治安が悪いらしい。
駅を出た瞬間リキシャがドワーーっと寄ってくる。
断っても断ってもしつこく付いてくるので、うちらの後ろや横には10人以上のインド人が引っ付いている。
どこに動いても付いてくるので、まさに民族大移動状態。
本当にうんざり!!!
どうにか一台に決めて走り出したけど、運転手は自分がコミッションの取れるホテルに連れて行こうとする。
何度もいい争いをして、どうにか泊まりたいホテル近辺で降ろしてもらう。
するとまた大量のインド人が寄ってくる。
「もう予約してあるから、あなたのホテルには泊まれない!!」と言っても、
そこはいっぱいだの、火事にあって燃えただのウソをつく。
もう本当にうんざり!!!

アグラ3日目

2005-08-18 | Weblog
今日の夜に夜行に乗ってバラナシに移動する。
アグラ→バラナシの直行の夜行列車はなんと満席。
仕方ないのでゴウリヤーという街を経由。丸一日電車。

最初の電車ではインド人のママみたいな人が向かいに座った。
インドの女性はとても太っている。
宗教上、肌を出すのはいけないらしいが(若い人は変わってきてるけどね)、なぜか腹と背中は出していいらしい。
サリーはたいてい腹が出ている。
宗教上の問題じゃなく、マナーの問題でその腹はしまえと言いたくなる。
サリーって基本的には布を巻くだけでどんな体にも合わせられるから、太るんだろうか?
ベジタリアンなのになんで太るのかが謎だ。

アグラ2日目

2005-08-17 | Weblog
今日はタージマハールを見学に行く。
タージマハールは宮殿ではなく、王妃の死を悼んで王が建てた巨大な墓らしい。
総大理石の真っ白な建造物。
インドに来て初めて美しいものを見た。

明日の切符を買いに行った駅で、スロバキア人の白人の女の子と話した。
インドどうよ?と聞くと、「もう二度と来たくないわ。インドの男大嫌い!!」と絶叫してた。
白人もたいへんらしい。
いままでいろんな国でいろんな旅人に会った。
お別れの言葉は「Have a nice trip!」とのんびりと言い合ったりしていた。
でもここでは必ず「Good luck!」だ。
インドの旅って戦いだ。